愛着障害

実家帰省時に私がもう1つ行っていた自己主張.2

昨日の記事の続きになります。

まだ読まれていない方は、
こちらの記事から読んでいただけると嬉しいです。

実は、
私が母親と一緒に暮らさないと母に伝えることは、
私にとって、
あまり難しいことではありませんでした。

母もそんなことは望んでいないと、
感じていたからです。

私が母に対して優しく出来るのも、
母が私に対して優しく出来るのも、

お互いが離れていて、
決められた時間内だからこそ
出来ること

だという認識が、
私と母の間では出来上がっていたからでした。

もともと母に気を遣わない、
ASDの素の私は、
小学生の頃に、

「お前のことは理解出来ないから、もう放っておくことにする」

と言われるほどに、
母にとって理解出来ない人間であり、
そのため私が気を遣って、
母と一緒にいることに、
母自身も気付いていたのだと思います。


(親に愛されるという期待は人生の早い段階で手放しました)

だから私が、

「お兄ちゃんはお母さんが、
自分か私と一緒に暮らせばいいって言うけど、
お母さんはここ(実家)に居る方がいいんでしょう?」

と母に告げると、
母はコクリと頷きました。

「ここに居たら、
自分のお姉さんも近くに住んでるから、
会いやすいもんね」

おそらく私よりも、
重度の発達障害であっただろう父と、
40年以上も連れ添った母には、
私の知る限り、
頻繁に行き来出来るような、
親しい友人はいませんでした。

そんな母との会話の中で、
父が亡くなってから、
頻繁に出てくるようになったのが、
車で10分程度の距離に住んでいる、
母のお姉さんのことでした。

今の母にとっては、
お姉さんが近くに住んでいることが、
心の拠り所なのだと思いました。


(先日は1人で歩けない姉を、車に乗せてお墓参りに行ったそうです)

ずっと家族から理解されずに、
あまつさえ実の兄から、

「お前さえいなければうちの家族はうまくいくのに!!」

と幼少期に言われていて、
ずっと家族の中で、
孤独と一緒に生きてきた私には、

誰かに気を遣いながら家に住まわせてもらう辛さも、
その住んでいる家の中で厄介者扱いされる辛さも、
よく理解出来ました。

だから、母が私に対して、

「誰かと一緒に暮らして気を遣うのはイヤ」

だと言った時に、
私は心の底から賛同しました。

そして、こう思ったのです。

今まで父の傍で、
色々なことを我慢して生きてきた母には、
最後に自分の思い通りの人生を生きて欲しい。


そんな私の願いは、
1人で暮らす母が心配だから、
自分か私のどちらかと一緒に暮らして欲しい、
という兄の願いとは、
全く真逆のものでした。

世間一般的には、
兄のような考え方の方が、
母を思いやっているように、
思われるのかもしれません。

でも。

兄の提案する、
自分が住み慣れた土地と、
気心が知れた姉と離れて暮らす生活が、
母を幸せにするようには、
私には思えないのです。

これは私の母が、
一人で身の回りのことが出来るからこそ、
でもあるのだけど。

母には自分の好きなように、
好きなことをやって暮らして欲しい。

これが今現在の、
私の母に対する思いです。

だから現在、
母の近くに転勤になった私は、
母が好きなことをやって暮らしていけるよう、
母の心と体が元気でいられるように、
サポートしていきたいと思っています。

それは母と離れて暮らしていて、
母に気を遣う心の余裕があるからこそ、
持てる思い。

ASDとHSPを合わせ持つ私には、
どうしても1人になる時間が必要で、
そんな私が自分の母親とはいえ、
誰かと一緒に暮らすことは、
相手を思い遣ることが出来なくなるくらい、
ストレスになってしまうから。

ちょっと、一般的な思考の人には、
伝わりづらいのかもしれないけれど。

母と一緒に暮らすことは無いけれど、
母のやりたいことや楽しいと思うことに、
協力していきたいと告げて、
私は実家を後にしたのでした。