幸せになる方法

妄想劇場の住人の恐ろしさ

劇場の舞台

今日、ある部下と話をする時間があって。

体調を崩している部下の話になった時に、

「係長(私のこと)はあの人と合わないですもんね」

と、話していた部下から言われて、
私はとても驚いてしまいました。

自分では合わないなんて、
全く思っていなかったから。

その時、話していた部下が、
どうしてそう思ったのか、
よくよく話を聞いていってみると、
私と体調を崩して休んでいる部下が、
仕事の方針の違いから、
自分の意見を言い合っていた時に、

「喧嘩している」

と思って、
そのように言い出したことが分かりました。

その時私は、

これも認知の歪みだなぁ。

なんて、話していた部下を見て、
思ってしまいました。

その部下は、
いわゆる女子に多い、

「トイレも誰かと一緒にいかないと気が済まない」

というタイプで、
自分がトイレに入っている時は、
同僚の子を外に待たせたりしていました。

私は40歳を過ぎたいい大人が、
よくそんなことやってるなぁ、
なんて目で見ていたのですが。

彼女にとっては、
自分と相手の意見が違っている時に、
お互いの意見を言い合うことは全て、

「喧嘩している」

と認識されるようでした。

その認知の仕方は、
私とも、体調を崩して休んでいる部下とも、
大きく違っていて、
私と体調を崩して休んでいる部下は、
彼女の知らないところで、
お互いの意見の妥協点を見つけて、
わだかまりなく働いていたのに、
彼女の中では、
私と体調を崩して休んでいる部下は、
反目し合っていると捉えられていて、
あまつさえ、
それを周囲の人間に言って回っていたようで、
私は彼女の中の妄想劇場に、
恐怖感さえ抱いてしまいました。

何より恐いのは。

彼女の中の妄想劇場は、
彼女が自分で、
自分の思い込みだと気づくまで、

『彼女にとって』事実であり続ける

という点です。

現に、彼女に対して、
私がいくら体調を崩して休んでいる部下と、
意見を合わせて働いていると伝えても、
事実を自分の認知に、
都合が良いように曲解して、
決して私の言うことを、
信じようとしませんでした。

私は当事者で、
体調を崩して休んでいる部下と、
自分との交流を、
彼女よりも、よく知っているのに。

きっと、こうやって書くと、

「彼女の認知の仕方はおかしい」

と思ってくれる人も多いかと思うのですが、
このような認知の歪みはきっと、
自分でも日常生活の中で、
無意識に行っていると思うのです。

人の振り見て我が振り直せ、
ではないけれど。

自分の認知が歪んでいるかもしれない、
という視点を持てない人間は。

ずっと妄想劇場の住人で、
あり続けるのかもしれないな、と思って、
そんな認知を持っている人間は、
狭い自分の世界の中でしか生きられず、
それは幸せな人生のように感じられないから、
自分はそのような人間に、
ならないようにしよう、
と自戒のように思ったのでした。