久しぶりに書いた、
私の過去を振り返った、
マルトリートメントのブログ。
書いては消して、書いては消して、
たったあれだけの文章を、
ほぼ1日がかりで書きました。
私の過去の中では、
小学校の頃と19歳から20歳の頃が、
振り返るのが一番キツくて。
昨日はブログを書きながら、
号泣して眠ったせいか、
朝起きたら瞼が腫れていて、
少し頭痛もしていて。
「小学生の頃は、頭が痛くなるほどよく泣いたなぁ」
なんて、少し懐かしく思いながら、
何とか職場に行きました。
けれども、小学生の頃と、
全く同じ症状が出ている訳ではなく。
昨日、ブログを書いている時から出ていた、
左瞼の痙攣と手の震えは、
大人になってから出るようになったもの。
それは、職場に着いてからも、
お昼を過ぎてからも治らず、
朝から始まった吐き気も加わったためか、
頭痛はドンドン酷くなり、
食欲も無くなっていた私は、
持っていったお弁当を、
半分も食べることが出来ませんでした。
心が体に与える影響の凄さを、
改めて感じて、
大人になった私がもう一度、
小学生の時に感じた感情を再体験して、
これだけ具合が悪くなるのだから、
ほんの8歳くらいで、
今の私のように安全に過ごせる家もなく、
我慢し続けていた小学生の私は、
本当によく頑張って生きていたなぁと、
自分のことながら、
とても可哀想で、愛おしくなりました。
「そんな辛い思いをするのなら、
過去のことなんて思い出さなくても、
いいんじゃないの?」
って言う人も、
もしかしたらいるかもしれないけれど。
少なくとも今の私には、
過去を振り返る作業が必要なのだと、
思っています。
それは今でも過去の出来事が、
私の人生に、
無意識に影響を及ぼしているから。
人が苦手だと思ったり、
怖いと感じたりするのは、
赤ちゃんの頃の私には、
無かった感情。
生きて成長していく中で、
身につけてしまったもの。
その感情は、
子供の頃には危険を回避するために、
必要だったかもしれないけれど、
大人になって、
安全な居場所を得られた私には、
もう必要なくなったもの。
幸せに生きていくために、
もう手放す時期がきているものだから。
自分の過去を振り返ることは、
今まで見ないようにしていた、
自分の中の傷ついた自分を見つけ出して、
「もう大丈夫だよ」
と、安心させてあげる作業なのです。
そうすることで、
私の無意識の中にある、
生きづらさの根源になっている信念を、
幸せなものに書き換えていけるから。
だから、いっぱい泣いて、
具合が悪くなったとしても。
私は自分の過去を振り返って、
傷ついたまま、
置き去りにしていた自分の心を、
見つけてあげたい、と思うのです。
そして。
今回の過去の振り返りで気付いた、
とっても大切なこと。
機能不全家族の中で、
マルトリートメントを受けて育った私に、
差し伸べられていた手が、
あったということ。
辛く苦しい思い出が多過ぎて、
記憶の奥底に封印してしまっていたけれど、
私の子供時代にも、
人の優しさに助けられていた思い出が、
ちゃんと残っていたのでした。
その思い出はまた後日、
ブログに書かせていただこうと思います。
決して独りぼっちで大きくなった訳じゃない。
辛く苦しいことばかり続いていたら、
忘れてしまいそうになるけれど。
そんな大切なことに気付くことが出来た、
貴重な振り返りでした。