数年前に私は、
自分の誕生日に、
離れてくらしている両親に対して、
「生んでくれて、育ててくれてありがとう」
と電話する、という行動をおこしました。
本当はその言葉は、
本心という訳ではなかったし、
仲が良い訳でもなかった両親に対して、
こんな言葉を言うのは勇気が必要でしたが、
私は自分の両親との関係を改善しないと、
自分を幸せにすることが出来ないと、
感じていた為、
感謝の気持ちが沸きおこらなくても、
とにかく両親に感謝している体で、
行動を起こしたのです。
初めて電話でこの言葉を言った時に、
私の両親は、
私の誕生日を覚えていませんでしたが、
私は気にしませんでした。
私には、
両親に誕生日を祝ってもらった記憶がないし、
父親に至っては、
私の誕生日を覚えていないどころか、
私の年齢さえ覚えようとしませんでした。
以前、母親が私に対して、
「そういえばお前、今日、誕生日だったね」
と言った時に、
父親が私に対して、
「そうなの、あなた様は今日がお誕生日だったの?
それは、おめでとう。
で、あなた様は今日、いくつになったの?」
と笑いながら言ってきた時の顔と口調は、
酷く私を傷つけました。
そのため、この記憶は私の中で、両親からお祝いを言われた記憶に分類されていません。
こんなやり取りが、わたしの誕生日前後で、
何回か行われた記憶はあるのですが、
私が覚えていないだけなのか、
茶化したり馬鹿にしたりせずに、
「お誕生日おめでとう」
と家族から言われた記憶が、
私にはありませんでした。
子供の時でこうなのだから、
大人になった私の、
誕生日を覚えていることなど、
両親に対して期待などしていませんでした。
だから私は、電話に出た母親に、
今日が自分の誕生日だと告げた時に、
「そういえば今日、お前は誕生日だったねぇ」
と言われた時も、
予想通りだったので傷つかなかったし、
父親が、
「おい、いくつになったんだ?」
と聞いてきた時も、
いつものことと、
軽く受け流すことが出来ました。
そして、そんな会話の流れの後、
自分をこの世に、
生み出してくれたことに対する、
お礼を両親に告げたのです。
最初にこの言葉を母親に告げた時、
「そんなこと言ってくれてありがとうねぇ」
と、母親は、
私に感謝の言葉を伝えてくれました。
父親のリアクションは、
よく分かりませんでしたが、
なんらかの感慨は受けているようでした。
私はそれから毎年、
自分の誕生日になると、
両親にお礼を告げるようになったのですが、
最初は感激してくれた両親も、
3年目ともなると何の感動も無くなるのか、
私の電話に出た母親が、
父親から何の電話か聞かれたことに対し、
「じゅんの、誕生日のいつもの」
というような言葉を父親に返し、
私が告げたお礼の言葉に対しても、
「はい、はい」
と母親から返事をされて、
虚しくなってしまい、
私は自分の誕生日に、
両親に感謝を告げるのをやめました。
この習慣をやめて数年経っていたのですが、
私の誕生日だった昨日、
私は久しぶりに、
自分を生んでくれたことに感謝する電話を、
母親にかけました。
そこには、父親が亡くなって、
1人暮らしが寂しいと言っている母親を、
元気付けたいという想いがありました。
相変わらず母親は、
私が今日が自分の誕生日だと告げると、
「そうだったねぇ」
と答えました。
「また、いつもの感謝の電話だよ。
生んでくれてありがとう」
と私が告げると、
母親は久しぶりだったからか、
初めて私から感謝の言葉を聞いた時のように、
「そんな風に言ってくれてありがとうねぇ」
と答えてくれました。
この自分の誕生日に両親に感謝する電話は、
普通の家庭で育った人からみたら、
とても他人行儀で、
奇妙な行動に思えるかもしれません。
でも、私は自分から、
両親に感謝の言葉を伝えた時以外に、
誕生日に両親からお祝いの言葉を、
聞いた記憶がありません。
そんな私にとって、
自分の誕生日は、
両親から祝ってもらう日ではなく、
自分を生んで育ててくれた両親に、
感謝する日だと位置づけることは、
誕生日を祝ってもらえない寂しさを、
感じる必要もなくなり、
感謝を伝えることで、
両親との関係の改善を図ることも出来る、
画期的な思考転換法でした。
相手にしてもらえないことに目を向けても、
私の心は幸せにはならないのだから。
普通の家庭に育たなかったのだから、
普通を望んでも、
手に入れることは出来ません。
だから、
自分に手の届く範囲で掴める幸せには、
手を伸ばしていこう、と思うのです。
そうやって少しずつ、
自分の幸せの範囲を広げていこう、
と思います。