少し前、私は誕生日を迎えました。
実は私は以前、
自分の誕生日に、
自分に課していた習慣がありました。
それは。
愛着障害を抱えるほどに拗れてしまった、
親との関係を修復するために、
自分の誕生日には離れて暮らす親に電話して、
母親に対しては、
産んでくれて、
育ててくれて、
ありがとうの言葉を。
父親に対しては、
育てるために働いてくれて、
ありがとうの言葉を、
伝える、というもの。
1番最初にこの電話をかけた時には、
本当に手が震えました。
なぜなら私は、
父親から、
「お前を産むために、母さんは死にかけた」
と責められながら、
生きてきた子供だったから。
この言葉は、
物心つく前の幼かった私にとって、
自分という存在に罪悪感を抱かせる、
絶大な効果を発揮しました。
そのため、
幼い頃から私はいつも、
「お母さん、
生まれてきてごめんなさい」
と思いながら、
家族の中で肩身を狭くして、
自分の存在を消すように生きてきました。
だから私にとって、
両親に自分を産んでくれて、
育ててくれてありがとうと伝えることは、
自分を憎んでいる相手に、
笑顔で握手を求めるくらい、
勇気が要る行為
だったのです。
(あなたなら自分を憎んでいる相手に、握手を求めることが出来ますか?)
それでも、その行為を行なったのは、
自分の人生が本当に生きづらく、
苦しかったからでした。
(この頃にはまだ、自分が愛着障害だとは知りませんでした)
体が震えるほどの勇気を出して掛けたその電話は、
「何か言い出したぞ、こいつ」
のような対応で、
父親には響かなかったけれど、
母親は、
「そんなことを言ってくれてありがとう」
と、私に言ってくれました。
その言葉にホッとして、
それから私は自分の誕生日を、
に設定して、
毎年、両親に電話で、
感謝の言葉を伝えていたのですが、
もともと、
私の誕生日など覚えていなかった父親と、
毎年の行為で、
感動が無くなってしまった母親から、
私がある年の自分の誕生日に、
実家に電話を掛けた時に、
「あぁ、そう言えば誕生日だったね」
と電話を取った母親に言われ、
私の電話の用件を、
父親から聞かれた母親が、
受話器の向こうで、
「じゅんの、誕生日のいつもの」
と、
父親に言っているのが聞こえた時に、
私は自分のその行為が虚しくなって、
行うのを辞めたのでした。
(私にとって、親が私の誕生日を覚えていないのは当たり前のこと)
それから私は、
自分の誕生日を自分で祝うようになりました。
自分が生まれてきたことを、
自分だけは、
祝福してあげたかったから。
自分が愛着障害だと知らなくても、
生きづらさを改善するために、
20年以上の歳月を、
自分を癒すことに費やしてきた私は、
両親に自分の存在を認めてもらえなくても、
自分で自分の存在を、
認められるようになっていました。
親に自分の存在を、
認めてもらうことを諦めた私は、
ようやく自分の誕生日に、
心の平安を、
得られるようになったのです。
だからもう、
私が自分の誕生日のことを、
親に伝えることは無くなっていたのですが、
先日の私の誕生日に母から電話で、
「そういえば今日は、お前の誕生日だったね。
誕生日おめでとう」
と言われた時には、
私の誕生日覚えてたの?!
という、
喜びよりも驚きの気持ちを強く感じました。
そして、そんな母の言葉に、
「ありがとう」
と笑顔で返しながら、
私の心の中を占めていたのは、
大きな寂しさ
でした。

私の誕生日どころか、
年齢さえも知らなかった父親は別にして、
私は母親からも、
小学生の頃にはすでに、
「誕生日おめでとう」
などという言葉を、
言ってもらえることはありませんでした。
こんな風に母親の、
私に対する態度が変わった理由で、
思い当たることは1つだけ。
私が母親を助ける、
1番の存在になったから。
一緒に暮らしていた父親は2年前に亡くなり、
跡取りだと大切に育てられた長男(兄)は、
実家から車で4時間以上離れた場所に、
家を建てて暮らしており、
母親の身近に、
もう気安く頼れる人間はいませんでした。
昨年の3月に、
私が実家の近くに転勤してくるまでは。
私の転勤が実家の近くに決まった時、
母親はとても喜び、
なにかと私を頼ってくるようになりました。
そして。
もう頼れる人間は、
私しかいないと感じたのであろう母は、
今まで私が何かしてあげても、
通りいっぺんの、
お礼の言葉しか言わなかったのに、
心から私に"ありがとう"と、
繰り返し、
言ってくれるようになりました。
それは、それで嬉しかったのだけど。
小学生の頃から、
お前はいずれ(結婚して)
出ていく人間なんだから
と母親に言われ続け、
兄と差別されて育てられてきた私にとって、
その言動の変化は、
手のひら返し
のように映ってしまいました。
そして、
ほかに誰も頼る人がいなくなって初めて、
母親のほうから、
誕生日おめでとうと言われた私は、
こんな風に感じてしまったのです。
私は役に立たないと
誕生日おめでとうの言葉さえ
言ってもらえない。
そして、その現実は、
母親との電話を切った後、
私の目から涙を溢れさせるのに充分な効果を、
もたらしました。
寂しくて、哀しくて。
それでも私が、
なにかと母親を助け、
幸せになって欲しいと望むのは、
小学生に上がるより前の幼かった日に、
母親に大切にされていた記憶が、
残っているからです。
(記憶が擦り切れるまで辛い時に繰り返し思い出した、幸せだった時間)
これはあくまで、
私自身の体験による主観であり、
ASDで愛着障害を抱えた私からの、
ASDのお子さんを持つお母さんへの、
一方的なお願いなのですが。
知的障害のないASDの子供は、
普通と言われる子供よりも、
自分が過去に受けた言動を、
よく覚えていると思います。
ASDの子供を持つお母さんなら、
自分の子供が過去の些細なことを、
とても細かく覚えていることに、
驚いたことがある人も、
多いのではないでしょうか?
だからこそ。
そんなASDの子供に対する言葉は、
とても慎重になって欲しいのです。
お母さんだって人間だから、
子育ての大変さから、
感情的な言葉を子供にかけてしまうことも、
もちろんあると思いますし、
シングルマザーで子供を1人育てた私にも、
その気持ちに思い当たることはあります。
でも、そこは、
ASDの子供だって、
お母さんが一生懸命に、
自分を育ててくれているのは、
分かっているから、
後からお母さんの気持ちが落ち着いた時に、
何でそんな言葉を、
自分に言ってしまったのか、
ちゃんと説明してくれたら、
お母さんの言動に対して理解出来るので、
そのことを引きずることはありません。
(察して欲しい、は辞めてください)
かえって、
感情よりも理解を重んじるASDの子供は、
普通の子供よりも、
お母さんの感情的な言動を、
許してくれやすい側面もあるでしょう。
でも、
何年にも渡って自分に対してとってきた言動を、
急に手のひら返しをされたら、
例えそれが望んでいたことだったとしても、
受け入れられない気持ちになるのは、
定型発達者の子供より、
きっと強いと思います。
自分の心の中で、
親から受けた、
その言動に対する解釈を、
確立してしまっているから。
ASDの子供には、
何でそんな言葉を自分が言われるのか、
理解をはっきりさせないまま、
ただ起こった出来事として、
受け入れることが出来ないのです。
私のように、
ASDと愛着障害を抱えて、
生きづらい理由が複雑になってしまった、
子供を増やさないために。
言われたことを額面どおりに受け取る、
ASDの子供に対する言葉は、
慎重になってください。
感情的になるな、
と言っている訳ではないのです。
感情的になったとしても、
後で理由を説明してくれたらいいのです。
ASDにも心はあるので、
身近な人の言動で、
心が傷つくこともあります。
そして、
定型発達者の子供のように、
身近な人がなぜそのような言動に及んだか、
察することが出来ないから、
訳が分からないまま、
ずっとそのことを覚えていてしまうのです。
記憶力のよいASDの思考を、
哀しい記憶で溢れさせるか、
幸せな記憶で溢れさせるかで、
その子供のその後の人生は、
大きく変わります。
生きるだけで、
大変な思いをすることの多いASDが、
社会に出て2次障害を発生するかどうかは、
そのASDの生育歴によるところが大きいと、
私は感じています。
子供の生きる困難を少しでも減らすために。
1番子供の身近にいるお母さんに、
このブログの内容が届くことを願っています。
※これはあくまで、
ASD当事者である私個人の見解であることを、
ご承知おきください。