うつ病生活

世界から孤立していた私の話25〜うつ病と診断された私の休職期間

前回からの続きになります)

パワハラ被害者だったはずが、
Sへのパワハラ加害者として、
支社長から、
自分へパワハラ加害を行っている課長と一緒に、
他の管理職社員の前で非難を受け、
その支社長の誤解から、
誰からも庇ってもらえなかった私は、
ひとしきり、
誰も来ない女性用トイレで号泣した後、

(もう、これ以上は頑張れない)

と、ぼんやり感じた私は、
まるで白昼夢を見ているように、
現実世界の実感がないまま、
初めてSから、
課長のパワハラ相談を受けた女性用更衣室に、
自分のスマホを持ち込むと、
Sの父親から、
病院を紹介して欲しいと言われた時に調べた、
職場から近い、
精神科のある病院に、
今から受診する事ができるか片っ端から電話をし、
どこからも、
当日受診は断られたものの、
私が電話をしたのは金曜日だったのですが、
断った中で、
1番早い月曜日なら診察出来ると返答してくれた病院に、
受診の予約をして、
この精神科受診が、
自分の苦しい心を救ってくれるかもしれないと、
ようやく縋るものが出来た私の心は、
やっと少し、
落ち着くことが出来たのでした。

けれど、縋るものが出来たといっても、
期せずして、
自分がパワハラ被害者から加害者にされてしまった、
私が受けたショックの大きさは相当なもので、
いつまでも事務所に戻らなければ、
職務放棄になってしまうと、
涙を流しながら、
とりあえず事務所に戻ったものの、
放心状態で仕事に手を付けることが出来ず、
そんな私の異変を察して、
周囲の人間は私を遠巻きに見つめながら、
誰一人声を掛けてくる者はおらず、
皮肉にも、
唯一、私に声を掛けてくれたのは、
支社長から私と一緒に非難された、
私にパワハラ加害をはたらいている課長だけでした。

涙を流し続ける私に対して、

「何で泣いているんだ?」

などと心無い言葉を掛けてきたものの、
涙が止まらない私に対して、

「もう、帰ったらどうだ?」

と言ってくれた課長に、
月曜日の精神科受診のための休暇取得を、
課長に伝えねばと思っていた私は、
これ幸いとばかりに、
月曜日までの休暇を願い出て、
泣き腫らした顔で、
課長と係長に自分が休みの間の業務をお願いすると、
誰からも何の声もかけられないまま、
事務所を後に家路に着きました。

課長は私と一緒に、
支社長からの吊し上げの話し合いに出席していたため、
私が涙を流していた理由を、
理解は出来なくても察してはいたようでしたが、
係長は私が月曜日まで休むことを伝えている間、
私が泣いていることについて、
気にする素振りは見せるものの、
一切触れることはせず、
私はそんな係長の姿を見て、
3月に係長が自分の後任として着任してから、
何か困った素振りを見せていた時には、
積極的に自分から声を掛けていた自分を思い出し、
自分が相手に対して心を砕いても、
相手の自分に対する態度はこんなものなのかと、
虚しい気分に陥り、
私はまた、
職場から自分の家に向かう帰路の途中で、
堪えきれなくなり、
蹲って泣きじゃくったのでした。

私のこの、
時折激しい悲しみに襲われて号泣するものの、
それ以外の時間は、
自分と世界の間に、
薄い紗幕を1枚挟んだかのような、
フワフワとした現実味のない感じがする状態は、
月曜日に精神科を受診するまで続いており、
私はこの状態を以前、
元夫が家に愛人を連れてきて自殺未遂をした時に、
経験していたのですが、
そのことを話して希死念慮があると思われたら、
色々と大事になってしまうと考えた私は、
過去にこの状態だった時に、
自殺未遂を図ったことは告げず、
自分が感じている現実感の無さと、
職場でパワハラを受けていながら、
支社長からパワハラ加害者として扱われたショックで、
涙が止まらなくなり、
その日から夜眠れなくなったことを、
精神科医師に伝えました。

起こった出来事を淡々と、
きちんと相手に伝わるように話しながら、
でも話しているうちに自然と目から、
涙が流れてくるという状態の私の話を、
最後まで聞いてくれた精神科医師は、
私にこう言いました。

「あなたみたいな我慢強い人間は、
よっぽどのことがないと病院など受診しないと思う。
受診してくれてありがとう

その、精神科医師の言葉に、
それまでただ流れるだけだった私の涙は、
堰を切ったようにとめどなく溢れ出し、
それまで淡々と言葉を発していた私の喉からは、
激しい嗚咽が込み上げてきました。

そんな私をみて、精神科医師は、

「よく頑張ったね」

と声を掛けてくれました。

その言葉は、
このパワハラ騒動が起こってから初めて掛けられた、
私への労いの言葉でした。

過去に自殺未遂をし
営業所全ての人間から無視されたこともある私には、
今回の病院受診は、
我慢しないと決めたから行ったただけであり、
過去の出来事と比べれば、
大したことが無いように感じていたのですが、
私が精神科医師に伝えた私の状態は、

うつ病

の症状であり、
まずは1ヵ月程休職した方がいいと言われました。

精神科医師に労いの言葉を掛けられて、
辛かった自分の気持ちに寄り添ってもらったことで、
幼い子供の頃に戻ったようにホッとした私は、
その医師の言葉に、

「分かりました」

と素直に頷いて、
スマホのスケジュールアプリに、
休職期間を入力しようとしたのですが、
その1ヵ月の休職期間中にどうしても外せない、
会社の重大プロジェクトに関する業務を発注する、
業者を決めるための、
プレゼン会議の日が入っていたのに気付いた私は、
それまでの打ちひしがれた態度から一変し、

「あ、休めません」

と真顔で精神科医師に言ってしまいました。

私が休むことで業務が滞り、
課長や支社長が困ることは全然構わなかったのですが、
この重大プロジェクトに関する業務は、
私が1人で回しており、
この業務に関する発注のプレゼン会議には、
多くの取引先が絡んでいたため、
自分と良好な関係を築いてくれている取引先に、
迷惑を掛ける行為は、
私はしたく無かったのでした。

そんな私の気持ちを汲んでくださった精神科医師は、

「じゃあ、その会議まで休職しましょう」

と言ってくれ、
休職を要する診断書に記載する期間を書くために、
私にプレゼン会議の日を聞いてくれたのですが、
私が、

「5日後です」

と話すと、
頭を抱えてしまいました。

「5日じゃうつ病は治らないんだよなぁ」

そう言って困った様子を見せる精神科医師に、

「申し訳ありません」

と私は謝罪したのですが、
やっぱり、どうしても、
その会議を私が休むことは不可能だったため、
どうしようと私が考えあぐねていると、
精神科医師はそんな私を慮って、

「いや、あなたみたいな人もいるから大丈夫ですよ。
仕事が気になったら、休めないだろうから」

と言いながら、
うつ病の症状の一部をピックアップした、
5日間の休職に見合った病名を、
診断書に記載してくれました。

それでも精神科医師は、

「本当は休んだ方がいいんだけどね」

と何度も私に言ってくれたので、
精神科医師の言葉どおりに行動しない私は、
せっかく自分に寄り添ってくれた人間を、
蔑ろにしてしまったように感じて、
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、
今年が重大プロジェクトの該当年で無ければ、
もしくは私1人に、
重大プロジェクトを任せるような職場で無ければ、
気兼ねなく休職に入ることが出来るのに、と、
やるせない気持ちで、
精神科医師に、
何度も謝罪の言葉を口にしました。

そんな私に対して、精神科医師は再度、

「大丈夫ですよ、
5日後にまた受診に来てくださいね」

と優しい言葉を掛けてくれ、
私は、人生で初めて睡眠薬を処方され、
睡眠薬を飲んで眠るという生活を経験したのでした。

以前、自殺を図るための睡眠薬欲しさに受診した精神科で処方されたのは、私の自殺を危惧した医師の配慮により、大量服用しても危険性の少ない催眠剤だったため(そのため未遂に終わりました)、睡眠薬を処方されたのも、眠るために睡眠薬に頼ったのも、これが初めての経験でした。

この時、私に処方された、
ソラナックス錠(0.4mg)とデエビゴ錠(2.5mg)。

左側の白いものがソラナックス錠で、
不安や緊張、睡眠障害等、
ストレスに起因する諸症状を改善するためのもの。

右側のオレンジ色のものがデエビゴ錠で、
オレキシン受容体に作用し、
寝つきを良くするためのもの。

この時の私には、
自分を救ってくれる唯一の拠り所となっていました。

世界から孤立していた私の話26〜孤立していた私に差し示された希望の光に続きます。