社会との関わり方

自分を非難された時の心の守り方

先日、仕事関係ではない、
プライベートで関わりのある相手と、
揉める事が起こりました。

私は相手の方にとても非難され、
そして責めつづけられたのですが、
その理由が、

私が相手の気持ちを察する事ができず、
相手の欲しい言葉と違う言葉を言った為、
とても傷ついた

というものでした。

私は、その相手を友人だと認識していて、
自分が発達障害の検査を受けた結果、
ASD(自閉スペクトラム症/旧アスペルガー症候群)
に該当したこと、
そして、
発達障害専門カウンセリングに通っている事、
そんな自分の深いところまで話していた為、
自分が非難される理由を聞いた時には、
かなり絶望的な気持ちになりました。

人の気持ちを察する事こそ、
私が最も苦手とする部分だと、
相手にも伝えてあったからです。


(上は私の田中ビネー知能検査の結果です)

人の感情を推し量る力となる論理・推理力、
私はこれが83点で、
平均下限値の84点を僅かに下回っていました。

今回、私が相手を思いやってした発言が、
相手の気持ちにそぐわず非難され続けた時に、
私はこの検査の結果を思い出したのですが、

「自分がASDだから揉めてしまった」

と考えることはしないように気を付けました。

そのことに原因を求めて、
人と揉める状況を、
仕方がないと諦めてしまったら、
社会に関わって生きていくしかない、
自分のこれからの人生を、
幸せにする事は出来ないと、
そう考えたからです。

だから私は、
発達障害専門カウンセリングで、
教わった技術を駆使して
ただひたすら、
相手の非難を受け止め続けました。

私が発達障害でカウンセリングに通っていることを知っていたその方からは、私が発達障害専門カウンセリングで教わった技術を使って話す事も非難されました。
けれど、それは定型発達者が成長過程で自然に身につけた事を、発達障害者である私が身につけられなかった為、改めて教わっているだけの事なので、そこに心がこもっていないと非難されるいわれはない、と私は思います。

その後、気持ちの落ち着いた相手から、
謝罪の言葉があり、和解したのですが、
私の心は、
人間全般に対して心を閉じそうなくらい、
傷ついていました。

でも、とても傷つきはしましたが、
それで心を閉ざしては駄目だ、
と私は思い直しました。

人と関わって誤解を受けて、傷ついて、
心を閉ざしてしまうというパターンは、
子どもの頃から繰り返していたもので、
そしてそんなパターンを繰り返しても、
幸せにはなれない事を、
私は自分の人生をもって知っていたからです。

私は友人だと思っていた相手でさえ、
何かあった時には、
このような態度を取るのだから、
ましてや一般的に自分に関わっている人間に、

発達障害に対する寛容な思いやりを求める為に、
発達障害を周囲にカミングアウトするのは辞めよう

と、改めて思いました。
(これはあくまで私個人の見解です。)

そして、
私は人の心を推察する能力は低いけれど、
自分に起こった出来事を生活に応用する
結晶性知能は109点と、
人よりも高いのだから、
自分の劣っている能力を嘆くより、
人よりも高い能力を活かすことで、
よりよく社会を生きていく力にしよう、
と思いました。

「私はあなたに傷つけられた」

この言葉が、
相手を傷つける意思が無かった人間に対して、
発せられた時に、
どれ程、その人間の心を傷つけるかを、
私は今回の件で、
身を持って知ることが出来ました。

だから、私は

「自分の心を傷つけられるのは自分だけ」

この言葉を、
自分の人生に採用しようと思いました。

心というものは、誰も見る事は出来ないし、
誰も触れることは出来ません。

唯一自分の心にだけ、
人はアクセスする事が出来るのです。

だからもし、自分の心が傷ついたならば、

「相手の言葉を受け入れた私が、自分で傷つけた」

のです。

これが真実かどうかは分りませんが、
少なくとも、こう思う事で私は、
自分を傷つけようとする、
あらゆるものに対して、
傷つくか傷つかないかを、
自分で選択する事ができます。

そして、

「私が相手を傷つけたと非難されて傷ついた」

と相手に対して思う負の連鎖を、
断ち切ることが出来ます。

  • 人と揉める原因を発達障害の所為にして諦めない。
  • 自分の心が傷ついた原因を他の人の所為にしない。

私が今回の出来事で考えた、
自分の心を他者の言動から守り、
自分の言動に責任を持つ方法。

人に誤解を受けやすい、
発達障害グレーゾーンは、
社会で生きていく中で、
自分の心を2次障害から守るために、
このような心構えを持っておくことも、
必要だと思います。