私の成育歴

マルトリートメントと私10.食事を父親に取られる子供

泣く女の子
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

食事を父親に取られる子供

泣く女の子
私の父は、夕飯時になると、
焼酎で晩酌するのが常でした。

晩酌している時の父には、
よくお刺身が出されていて、
晩酌している時は機嫌が良かった父は、
ワサビをたっぷり溶かした醤油につけた刺身を、
3歳くらいの私に、
よく食べさせてくれました。

母は、
そんなワサビたっぷりの醤油につけた刺身を、
子供に食べさせるのを嫌がりましたが、
私は父が自分に何かしてくれるのが嬉しくて、
喜んで食べていたように思います。
(その時の嗜好は私の味覚に染み付いていて、
今でも私は刺身を食べる時には、
ワサビたっぷりでないと食べられません)

けれど成長してくると、
父や母が自分の夕飯から、
取り分けてくれる食事の量だけでは、
足りなくなってきて、
4歳くらいになると母は、
父親が分けてくれるお刺身などではなく、
ちゃんとした子供向けの夕飯を、
兄と私に作ってくれるようになりました。

父親には刺身、
子供にはハンバーグ、
といった具合に、
母が父の食べるものとは違う、
子供が好きなメニューを作ってくれて、
食べることが好きだった私は、
とても嬉しかったのですが、
(私はぽっちゃりした子供でした)
私が母の作ってくれた子供用のメニューを、
食べることが出来たことは、
あまりなかったように思います。

なぜなら、
母が子供達に作ってくれる、
子供向けのメニューは、
父も大好きなものであり、
お刺身も、
子供向けメニューも、
両方食べたかった父は、
私の夕飯のおかずまで、
食べていたからです。

「じゅん、お前、これいらないだろう?
いらないよな?
俺が食ってやるからな。
優しいなぁ〜俺」

などと言って、
父は私に満面の笑顔を向けました。

私は自分もお腹が空いているから、
自分も夕飯を食べたくて、
父親におかずを取られてしまったら、
自分が食べる分が無くなってしまうから、

「食べないで」

と言いたかったのですが、
父親の作られた笑顔が恐ろしくて、
声を出そうにも、
喉が腫れたように感じられて、
声を出すことが出来ず、
父の思い通りに、
私がならなかった場合、
いつも父は怒鳴り散らして、
暴れ回ることが常だったため、
私は父に笑顔を向けられながら、
ヘビに睨まれたカエルのように、
恐怖から身動き1つ、
取ることが出来ませんでした。

大人になって、
このような症状を、
場面緘黙症と呼ぶことを知りました。

場面緘黙症の色んな解説を読むと、

家庭では家族と話しが出来るけれど、学校や職場などの特定の場所や状況で、話すことが出来なくなる。

と書かれていて、
私にこの症状が出ていたのは、
家庭の中の、
家族である、
父親の前でだけだったため、
とても悲しい気持ちになりました。

父は恐怖で声を出すことも出来ず、
身動きも出来ない私から、
夕飯のおかずを取り上げると、
私のことなど気にすることもなく、
目の前で全てのおかずを、
美味しそうに平らげました。

私は夕飯を父に取られるという、
その行為自体も、
もちろん悲しかったのですが、
父が夕飯のおかずを取り上げるのは、
私からだけで、
1歳上の兄からは、
取り上げたりしなかったため、
そのことが余計、
自分という存在が、
父にとって大切な存在ではないと、
改めて思い知らされているようで、
更に私を悲しい気持ちにさせました。

その悲しい気持ちは、
場面緘黙症に陥りながらも、
私の目からこぼれる、
涙という形で表現されて、
私は声をあげることも出来ないまま、
父が食べて、
どんどん無くなっていく、
自分の夕飯のおかずを、
静かに涙を流しながら、
見つめ続けていました。

母は、夕飯の時にはいつも、
まず父に、
晩酌用のつまみやご飯をだして、
次に子供達用のご飯を作ってと、
大忙しで、
いつも自分が食事をするのは、
父や子供達の食事が、
終わろうとする頃だったため、
自分が料理をしている、
台所の隣の居間で、
私が夕飯を父に取られて、
声を上げずに泣いていることなど、
気がついていませんでした。

自分以外の家族の料理を作り終わり、
その他の家事も済ませて、
ようやくホッと一息ついて、
自分も夕飯を食べようと、
居間に戻ってきた時、
子供の夕飯のおかずの、
空になった皿が、
父の目の前に置いてあり、
声を立てずに涙を流している私の前に、
ただお茶碗によそわれたご飯が、
手付かずで残っている様子を見て、
全てを察した母が父に対し、

「何で子供のおかずを取り上げるの!!」

と怒って抗議すると、

「何にも言わないコイツ(私のこと)が悪いんだ!
嫌なら嫌だって言えばいいじゃないか!!」

と父が怒鳴って暴れ出し、

「何で俺が怒られなきゃならないんだ!!」

と言って、
家族全員の夕飯が乗った、
コタツの天板をひっくり返し、
床にご飯やおかずや焼酎や、
割れた茶碗やコップが散乱し、
居間は足の踏み場も無くなるほど、
父が当たり散らした、
壊れた物で埋め尽くされ、
私は目の前で繰り広げられる、
私が悪いと主張する父と、
私を守ろうとする母との言い争う声と、
父が苛立ちから、
目の前にあるお茶碗を激しく叩きつけ、
それらが割れる音を聞きながら、
やはり恐怖で声も出ず、
ただ震えるばかりでした。

割れた茶碗

そして、そのような、
大きな夫婦喧嘩があった後には、
いつも母と私と兄は、
父から家を追い出され、
外灯1つない、
田舎の夜の暗闇の中、
近所の家の、
納屋に続く階段に座り込み、
父親の気持ちが落ち着いて、
私達親子3人を迎えに来るまで、
無言でじっとしているのが常でした。

この夫婦喧嘩は私にとって、
母が私を、
守ってくれていると、
映っていたのですが、
父から夕飯を取られる訳でもない、
自分が食べたいだけ、
ご飯が食べられる兄からは、

じゅんのせいで起こる夫婦喧嘩

と映っていたようで、
兄は私と2人きりの時に、

「父さんと母さんがケンカするのはお前のせいだ!
お前さえいなければ、うちの家族は上手くいくんだ!!」

と私を責めました。

この言葉はやはり、
私の心に深く突き刺さりました。
息子を可愛がる父は兄にとって、
決して、
家族の和をみだす存在ではなく、
私こそが、
家族に不要な人間なのだと言われることは、
とても辛いことでした。

もともと私は、
生まれた時に父親から、

女の子なら要らない

と言われていた子供でした。

私の家族は4人。

父と母と兄と私。

家族4人のうちの2人から、
要らないと言われてしまったら、
私には家族の中での居場所など、
存在していませんでした…

マルトリートメントと私11.孤独な私の話し相手に続きます。