愛着障害

マルトリートメントと私53.愛情の恩返し

月の兎

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私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

自分のことを好きだと確認した男の子に、
私が感じた感情は、
ときめきや愛情といった、
煌びやかなものではなく、
ただ相手の思いに感謝して、
首を垂れてひれ伏すうような、

「恩」

でした。

幼少時代、小学生時代と、
機能不全家族の中で、
愛情を感じられなかった私にとって、
自分のことを、
好きな相手が存在してくれるなど、
分不相応に有り難いことだったのです。

「こんな私を好きになって下さってありがとうございます」

とても卑屈に聞こえるかもしれませんが、
私は大真面目に、
最大級の感謝を持って、
自分を好きになってくれた男の子に、
このような思いを抱いていたのでした。

恩を感じ、感謝していた私は、

この恩に報いたい

と考えました。

普通の定型発達者ならば、
自分を好きな相手のことを、
自分が好きでは無かった場合、
相手の気持ちは嬉しいけれど、
応えられないと考えるのでしょうが、
私は愛着障害と、
ASD(自閉スペクトラム症)を、
併せ持った、
自己肯定感の低い人間だったため、
自分に寄せられた好意には、
応えなければいけないと思い込んでいて、
相手を好きとか嫌いとかいう感情など、
二の次になっていました。

そして私には恋愛感情は理解出来ていませんでした。

私はどうしたら、
この男の子の愛情に報いることが、
出来るだろうか、
と考えました。

そして乏しい自分の知識と過去の経験から、
ほぼ唯一の、
男の子を喜ばす方法を探し出したのです。

それは、自分が小学生の頃、
自分を嫌っていた父を喜ばせた方法でした。

中学生の男の子と言えば、
友達同士で性的な話をしたがる年齢で、
クラスでもその男の子が、
ふざけて友達と、
性的な冗談を言っていたため、
ASD(自閉スペクトラム症)の性質から、
その冗談を額面通りに受け取っていた私は、
父を喜ばせた方法で、
その男の子も喜ばすことが出来る、
と思っていました。

ただ父との出来事は、
私の中で二度と触れたくない、
トラウマレベルの出来事であり、
そのトラウマのせいか、
中学生女子にしては、
私は性的知識の乏しい人間だったため、
男女の間の行為には、
自分が相手の体を触ってあげて、
相手にも自分の体を触らせるという、
行為以上のものがあることを、
よく分かっていませんでした。

私はその男の子が好きだから、
好き合っている男女間の行為を、
しようと考えた訳ではなく、
どちらかといえば、
仏教説話の中に出てくる、
倒れた老人を助けるために、
火の中に飛び込んで我が身を焼き、
食料として差し出す兎のような心境でした。

兎と同じように私は、
我が身以外に、
この男の子に差出せるものなど、
持ち合わせていないと思ったのです。

そんな折。

この男の子の仲のよい友人達と、
私が所属していた女子グループは、
仲が良い人間が多かったため、
この男の子の家に、
男の子の友人達が集まる時に、
私達女子グループも、
一緒に遊びに行くことになりました。

その時に、
その男の子の友人達と、
私の所属していたグループの女子達は、
ワザと私とその男の子を、
2人きりにして、
部屋に閉じ込めてしまいました。

友人達は冷やかし半分だったようですが、
私にとっては受けた愛情の恩を返す、
またとない機会に映りました。

私はその男の子が普段、
友達とふざけて、
女子とやりたいと言っていた行為を、
させてあげようと近寄りました。

けれど、その男の子は、
普段の言葉とは裏腹に、
何の行動も起こさず、
少し戸惑ったように私を見ていました。

(あれ?私を好きなんじゃないの?)

今にして思えば、
その男の子は本当に、
私を好きだと思ってくれていたからこそ、
何もしてこなかったと分かるのですが、
言葉を額面通りに受け取るASDであり、
身近な男性である父親から、
このような行為の時にしか、
関心を示されなかった私は、
私に何もしてこなかったために、
その男の子が本当に私のことを、
好きなのか分からなくなってしまいました。

私とその男の子の間に、
しばらく妙な空気が流れた後、
おもむろに友人達が、

「どう?2人きりで楽しかった!?」

などと言いながら、
閉じ込めた部屋のドアを開けてきました。

騒ぎながら楽しげに、
部屋に入ってきた友人達は、
閉じ込められた私達が、
2人きりにされて照れている姿を、
期待していたようだったのですが、
かなり密接していた、
私とその男の子の様子を見て、
私とその男の子の間に、
(未遂だけれど)何かが起こったことを、
誰も口にしなかったけれど、
敏感に察したようでした。

そのために後日私は、
恋愛話が大好きなTちゃんから呼び出されて、
このようなことを言われました。

「私、中学生で両思いになるのは早いと思う!」

実際にはTちゃんは、
中学生で男女間の体の行為に至ることが、
早いと言いたかったのではないかと、
大人になった今なら分かるのですが、
やはり言葉を額面通りに受け取る、
ASDである私は、
Tちゃんのこの言葉を、

「中学生で両思いになるのは早いから駄目なのだ」

と受け取ってしまいました。

元々、恋愛感情どころか、
愛情というものが、
よく分かっていなかった私は、
その男の子が私のことを好きだから、
恩を感じて好意を返そうとしていただけで、
両思いという訳ではありませんでした。

そして、その男の子が、
私の体を差し出すという恩返しを、
受け取らなかったために、
その男の子が本当に私を好きなのかも、
分からなくなっていた私は、
自分がその男の子と両思いだと思われると、

"中学生で早い行為"

を行う私は、
所属している女子グループから、
外されると考えて、
それからその男の子のことを、
避けるようになったのです。

今なら自分がその男の子に対して、
とても酷いことをしたと分かるのですが、
私がリアルに知っている愛情表現は、
父が母に無理矢理キスをしたり、
嫌がる母に無理矢理性的行為を行った、
という内容ばかりだったため、
その男の子が自分への愛情から、
自分に対して、
何も行わなかったということを、
理解することが出来ませんでした。

私の頭の中にはすっかり、
暴力的に自分を求めてくれる人こそが、
自分を愛してくれている人だという、
間違った認知が出来上がっていたのでした。

マルトリートメントと私54.受けた報いに続きます。