私の成育歴

マルトリートメントと私65.気絶するほどの疲労

救急車
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

私の兄は膝が悪かっただけでなく
小学生の頃から小児喘息を患っており、
体の弱い子供でした。喘息で具合が悪い時は、
心も弱っていたためか、
兄は小学生の頃は、
学校で絶対に自分に話しかけるなと、
私に厳命していたくせに、
自分が寝込んでいる時には、
家に友達も呼べず、
遊べないからと、
私が小学校から帰ってくるのを、
楽しみに待っていたりして、
私はその話を母親から聞かされたら、
(兄は自分から私に遊んでとは言いませんでした)
友達のすーちゃんと遊ぶ約束をしていても、
何だか兄が可哀想になって、
すーちゃんと遊ぶ約束を断って、
兄の側についてあげたりしていました。

兄は体が弱いのだから、お母さんに構われるのを羨んではいけない。

小学生の頃の私は、
自分が母親に構われない寂しさを、
兄の喘息のせいにして、
自分を納得させようとしていました。

けれど、段々と成長するうちに、
兄の体も強くなっていき、
喘息の発作も出なくなっていきました。

体が強くなってきた兄は、
ますます私とは疎遠になっていきましたが、
私は母が兄にばかり構う姿を見なくて済むので、
心の中で母に甘えられない寂しさを我慢しなくても良かったため、
その状況に特段の不満はありませんでした。

そんなことよりも私は、
普通の中学生として振る舞うことに、
全神経を費やしていたため、
お風呂に入る体力も残らないほどに、
毎日の気遣いで疲労困ぱいしていました。

私がなぜ毎日このように、
学校にいくだけで疲れ果てているのか、
ASDの私への理解を放棄した母には、
全く理由が伝わらず、
私が食事を摂るのがやっとで、
お風呂に入ることが出来なかった日などは、
母からはだらしが無いと散々なじられました。

けれど、どんなに母親からなじられて、
心が辛かったとしても、
お風呂に入るという、
そのひと手間にかける体力が、
私にはどうしても残っていなかったのでした。

それでも何とか気力と体力を振り絞って、
お風呂に入った時には、
湯船の中で寝落ちしてしまい、
お湯の中に頭まで沈み込んで、
どちらが上か分からなくなって、
お湯の中から出られずに、
溺れて暴れたことも何回かありました。

そんな私だったので、
自分の布団に入ると、
いつも微睡むことなく、
一瞬で寝落ちしていました。

私にとって布団の中は、
自分の母親の代わりにするくらいに、
唯一、心が休まる場所だったのです。

そんな私を見ていた母は、

「お前は寝つきがよくていいねぇ」

などと私に言いましたが、
布団に入ってすぐに意識が無くなる私には、
自分の寝つきが良いことさえ、
分かってはいなかったのでした。

だから私はある日の朝、
自分の部屋の布団の中で目が覚めて、
家の中で、
生活音が一切していないことを不審に思い、
パジャマのまま居間に行くと、
家族の姿が全くなく、
替わりに親戚の伯母さんが、
居間のコタツに座っていたことに、
非常に驚いたのでした。

言葉なく驚いて突っ立ったままの私に、
伯母さんはこう言いました。

「昨日の夜中、お前のお兄ちゃんが喘息の発作を起こして、
救急車で運ばれて、お母さんはお兄ちゃんについていった。
救急車がきてお兄ちゃんが運ばれても、
お前が一向に起きないものだから、
お前のお母さんがお前の面倒を私にお願いするために、
夜中に私に電話してきたんだよ」

私の家は6畳の和室が縦に4つ繋がっている、
決して大きくはない平家で、
私が自分の部屋として使っている和室は、
兄の使っていた和室と居間に、
挟まれた部屋でした。

私の部屋と兄の部屋と居間を隔てていたのは、
紙で出来た襖1枚のみで、
私はベッドを兄の部屋よりの壁に、
ピッタリ引っ付けて配置していましたが、
(私は和室にベッドを置いて寝ていました)
救急車がうちにきて、
隣の部屋から兄が運び出されたことなど、
一切気付いていませんでした。

「ご近所の人達も皆んな様子を見に家から出て来ていたんだよ。
本当に気付かなかったの?もうたまげた(驚いた)わ」

伯母さんからも、
病院からお昼頃に帰ってきた母親からも、

「兄が救急車で運ばれても寝続けていた妹」

と呆れて言われた私は、
自分がとてもいぎたない人間のようで、
とても恥ずかしかったのですが、
大人になってから私は、

「布団に入って微睡むことなく一瞬で寝落ちする人間は、
実は眠っているのではなく気絶している」

のだということを知りました。

普通は睡眠に入る場合、
10分ほどの時間がかかるそうなのです。

ASD(自閉スペクトラム症)の私は、
毎日布団の中で気絶するほど、
学校で神経をすり減らし、
何とか社会に溶け込もうと、
努力していたのですが、
学校にも家庭にも、
私のその努力に気付いてくれる人は、
存在しなかったのでした。

マルトリートメントと私66.母親に気味悪がられる子供に続きます。