(前回からの続きになります)
母の入院に際し、
私が連絡したのは、
兄だけではありませんでした。
私は自分の1人娘にも、
母の入院を連絡していました。
私が兄に、
連絡する時間的余裕を持てたのは、
母の入院手続き諸々を済ませて、
ようやく、その日、
初めての食事が摂れた後の、
夜7時前という、
まだ兄が働いているかもしれない、
時間だったため、
私とあまり仲が良くない兄に、
急に電話をして、
兄がまだ働いている時間だった場合、
兄に不愉快な態度を取られて、
嫌な気分になることを懸念した私は、
兄に対して電話することは避けて、
ショートメールで簡潔に、
お疲れ様です、じゅんです。
今日、母が入院しました。
今現在の診断では小脳梗塞です。
2〜3ヶ月の入院となります。
と状況を連絡することにしました。
詳細を書かなければ、兄に時間の余裕がある時に、折り返し確認の電話がくるものと思い、最小限の内容に留めました。
けれど、兄に連絡をした後に、
娘に対して母の入院の連絡をする際には、
電話で連絡する手段を選びました。
なぜなら、
朝から母の入院のために動き回っていて、
心身共に疲れ果てていた私が、
娘相手に連絡をするのなら、
文字を打つより話した方が、
ラクだったからでした。
私にとっては、相手に対して心理的抵抗さえなければ、文字を打つより電話で話す方が、労力的にはラクなのです。
娘に母の入院を告げると、
娘は心配して、
母の様子を詳しく聞いてきたため、
入院病棟に運ばれる時は、おばあちゃんは車椅子だった。
お母さんは病院に着くのが遅かったから、おばあちゃんと話をすることは出来なかったけど、
おばあちゃんを病院に連れて行ってくれた叔父さんが、おばあちゃんと会話出来たって言ってたよ。
と母(娘からみたらおばあちゃん)の様子を伝えると、
娘は母が自分で歩けなかったことは心配しながらも、
母が会話をすることが出来たという事実に、
少しホッとしたようでした。
母を心配して色々聞いてくる娘の様子に、
私も同じように、
ホッとした自分がいるのを感じていました。
母を心配して、
母の細かい様子を聞いてくることは、
私が兄に連絡した際に、
兄から当然あるだろうと予想していた反応でした。
そのため私は、
兄が母の様子を聞いてきたその時に、
母の細かい容態を伝え、
母の今後のことを相談しようと思っていました。
母が小脳梗塞で、
2〜3ヶ月入院すると言っているのに、
まさか兄が、
わかりました。
何かあれば連絡ください。
と、
母の入院についての一切合切を私に丸投げし、
この件についての会話を終わらせるとは、
思っていなかったのです。
だから私は、
母の入院に際して、
医師から告げられた重い内容を、
誰とも共有することが出来ませんでした。
病院に駆けつけてすぐ、
母のたった1人駆けつけた家族ということで、
母を診察した医師から呼ばれ、
告げられた内容は、
私にとって、
とても怖いものでした。
その怖さを1人で抱えていた私は、
自分と同じように、
母を心配してくれる娘の存在によって、
ようやく自分の気持ちを、
吐露する機会を得ることが出来たのでした。
私は母を心配する娘に、
母の容態について、
医師から告げられた内容を伝えました。
- 母が脳梗塞の症状が出てから、1日我慢してしまったことで、発症から4時間30分以内に受診していれば使えた、脳内に出来た血栓を溶かす血栓溶解療法が使えなかったこと。
- やはり発症から1日以上経過しているため、脳血管内の治療も出来ないこと。
- 現在の状況では、点滴や投薬で、残っている機能を維持する保存的治療しか出来ないこと。
- 小脳は手や足の運動機能に携わる脳であり、どのような運動に影響が出るかは今後の様子を見ないと分からないこと。
- 脳腫瘍の疑いがあること
母が死ぬかもしれないし、
介護が必要になるかもしれない。
母が死ぬかもしれないと思う不安の元となった、
脳腫瘍については、
医師から疑いと言われていたため、
兄に送ったショートメールには書かず、
折り返しの連絡がきたら伝えよう、
と思っていた内容でした。
そして、母に介護が必要となった場合、
現在、毎日12時間以上働き、
2〜3年で転勤しなければならない仕事をしている、
独り暮らしの私にとって、
とても対応出来ない状況でした。
もし2〜3ヶ月後に母が退院し、
母が今までのように、
1人で暮らせないとなった時、
どうしたらいいのだろう。
そんな不安や心配を、兄とは共有することさえ出来ませんでした。
でも、
私のそんな不安や心配を聞いた娘は、
自分も自分の夫も転勤が無い仕事をしていて、
アパート住まいの私と違い、
持ち家もあることから、
「私がおばあちゃんと暮らしてもいいけど、
小さい子供が2人いて、
1人は0歳なんだよねぇ」
と悩んでくれました。
そんな風に悩んでくれる娘の言葉に、
母の入院に対する、
兄の酷すぎる対応から、
母の生活を自分1人で背負わなければならないと、
思い込んでいた私は、
娘の言葉に救われる思いで、
こう言いました。
「おばあちゃんのことを、そんなに考えてくれて、ありがとう。
でも、あなたは孫で、おばあちゃんのことはまず、
おばあちゃんの子供である、母(私)と伯父さん(私の兄)が、
面倒を見なきゃいけないから、
どうしても手を借りなきゃならなくなった時に、お願いするね」
そんな私の言葉に、
娘は的確な反論をしてきました。
「でも伯父さんって、【何かあったら連絡ください】って、
しかもメールで言ってきただけでしょう?」
私は娘の言葉に、
苦笑してしまいました。
「うん、あれにはビックリした。
お母さん(私)が逆の立場だったら、
おばあちゃん(母)の容態はどうなのとか、
色々聞きたいことがあると思うんだけどね?」
娘と話しているうちに、
私の未来の恐怖に怯えていた心は、
だんだんとほぐれて、
会話の中で笑えるくらいになっていました。
少しずつ、
軽口がたたけるようになってきた私に、
娘はもう一つ、
私が兄に言って欲しかった言葉を、
言ってくれました。
「おばあちゃんのお見舞いに行きたい」
娘は母の家と、
母が入院した病院がある県から、
2つ隣の県に住んでおり、
母が入院した時は、
ちょうどコロナ禍で、
県を跨いで動くことも、
病院の面会も規制されていた時期で、
病院からもらった入院のパンフレットには、
他県の人間は面会が出来ないと、
記載されていました。
私は母の居住している県と同じ県に住んでいたため、面会可能でした。
でも、
母に脳腫瘍の疑いがあるという医師の言葉と、
最後に見た車椅子に乗せられた母の姿が、
私から遠ざかるように、
運ばれていく後ろ姿だったことに、
母に対して死のイメージを重ねてしまっていた私は、
母を喜ばせたくて、
娘が母と面会出来るかどうか、
病院に確認すると約束し、
通話を終えました。
通話が終わったのは夜7時30分を過ぎていて、
病院はとっくに電話対応時間外となっていたため、
病院には明日確認しなきゃな、
と私が思っていた時、
娘からLINEが届きました。
夫と一緒に家族全員でおばあちゃんのお見舞いに行きたいから、面会申請して何日後とか、何曜日のみとか決まりがあるなら、夫の仕事のシフトを調整してもらうから教えて欲しい。
お願いスタンプを添えて、
送られてきた内容に、
私は娘の、
母に対する想いを感じて、
心から嬉しく思い、感謝しました。
そして、
他県に居住している娘家族の面会が、
OKと言われた場合、
日程調整のために再度、
病院に連絡すると、
病院に迷惑がかかると思い、
あらかじめ面会希望の日にちや曜日があるかを、
娘に再度、
電話連絡して確認し、
この日のタスクは全て終わったと、
安堵しました。
朝から母の入院の用意でクタクタで、
もう何もしたくありませんでした。
けれど、
この通話の後に娘から来たLINEで、
私の神経は昂り、
心底疲れているのに、
心身を休ませることさえ、
出来なくなってしまいました。
娘から来たLINEには、
このような言葉が書かれていたのです。
伯父さんに電話でちょっと怒ったから連絡が来ると思う。

私は兄の、
母の入院に関する、
ショートメールの返信を見た時点で、
兄のことを身限り、
母の入院の面倒を1人で全部みようと、
悲壮な決意を固めていたのですが。
母子家庭で育ち、
おばあちゃんにもいっぱい面倒を見てもらった、
私の娘は、
おばあちゃんが脳梗塞という、
重篤な状態と聞かされても、
私に対して、
母を心配する様子も見えない返信をしてきた、
私の兄の態度に、
大変腹が立ったらしく。
それでも、
私と兄の間に確執があることを知っているため、
兄に文句を言えない私の心情を汲み取り。
娘自ら、兄に電話して、
ちゃんと母の容態と状況を私に確認するように、
兄に苦言を呈した、とのことでした。
娘のこの行動は、
母のことを思い遣った、
とても優しい気持ちから起こったものだと、
分かってはいたのですが。
私は小学生の頃に兄に、
と言われ、人間扱いされず、
家畜を鞭で叩くように、
タオルで叩かれるといった暴力も、
受けたことがあったため。
(水分を含んだタオルで鋭く肌を叩かれると、
ミミズ腫れが出来るって知ってましたか?)
私の兄に対する感情は、
嫌いよりも嫌悪と言った方が適切なほど、
拗れてしまっており、
大人になって、
波風を立てないように、
表面上、穏やかに、
兄と挨拶を交わす程度の社交は出来ても、
なるべく、
兄と話すことは避けていました。
そのため、
母の入院に関して兄へショートメールを送り、
兄からの、
折り返しの電話を受けるつもりでいたことは、
私にとっては、
とても決意が必要なことだったのです。
そんな私の決意と、
私が母の入院にかけた労力と心労への返事を、
たかが2行のメッセージで、
済ませておきながら。
娘に説得されれば、
私に電話をしてくるという、その態度が。
子供の頃と同じように、
兄が私の存在を軽んじている、
(家族の為に私が尽くす事が当然だと思っている)
ようにも感じられて。
今更、
なんの面目があって、
兄が私に電話を掛けてくるのかと。
私はとても、
穏やかな気持ちで兄の電話を待つことなど、
出来なかったのでした。
世界から孤立していた私の話5〜掛かってきた兄からの電話に続きます。