私の成育歴

マルトリートメントと私69.浮かばない未来

ぐちゃぐちゃな絵
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

私は自分のことを他の子の家庭訪問で、

「変わっている」

言い続けたO先生が、
中学校1年生、2年生の担任でしたが、
中学校3年生になって初めて、
N先生が担任となりました。

このN先生はO先生とは違い、
人の心を思いやる、
優しい先生だったため、
私のことを家庭訪問で、

「変わっている」

などと私の母親に言うことも、
ましてや私の友人の母親に言うことも、
ありませんでした。

私は普通の子と違う自分に対して、
先生という人種が、
無視差別をしてきた経験から、
先生を信用していないところがあり、
母から絶えず、

「女の子に学は要らない」

と言われ、

「お前は高校までだよ(大学に進学させないよ)」

と言われて、

研究者になりたい

という夢を見失ってしまった私は、

元々、その生育歴から、
自分の存在価値を見出せていなかったために、
中学3年生になって、
自分の進路を考えるように言われても。

全く何も思い浮かべることが、
出来ませんでした。

私は幼稚園の頃に先生から、

「将来なりたいものの絵を描いてください」

と言われて、
自分が空に帰ることばかり願っていた私は、
自分の将来の夢など、
全く思い描くことが出来ず、
隣で看護婦さんの絵を描いていた、
中学校で友達になったチャコちゃんに、

「マネしていい?」

と聞いて、

「別にいいよ」

と言われて、
全くなりたいとも思っていなかった、
看護婦の絵を描いたのですが。

私の心はその頃から全く成長していませんでした。

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それでも進路希望調査はやってきて、
進学希望の学校を決めなければならず、

自分が生きていくことにも、
自分の未来にも投げやりになっていた私

は、
進学出来ないならば、
進学校に入っても仕方がないという思いから、
自分の家から徒歩15分ほどのところにある、
商業高校を希望に書きました。

そこの商業高校は、
あまり偏差値は高くなく、
地元の進学校に、
入れるくらいの成績だった私は、
受験勉強などしなくても、
入れるような高校でした。

母は私の選択に何も言いませんでした。

いえ、母は元々、
私に家事を手伝えという小言と、
私の行動が気味が悪いといって怒る以外、
私に口出すことはありませんでした。

私も自分に無理解な母に心を許しておらず、
母に何かを相談することは有りませんでした。

そんな私と母が一緒に受けた、
中学3年生の時の3者面談は、
本当に殺伐としたものでした。

私は担任の先生から、
高校の志望動機を訊かれた時に、

「進学出来ないなら進学校に行っても仕方ないので」

と言い、
そのことに対する意見を、
担任の先生から求められた母は、

「この子がこう言うので」

と言って終わりました。

ただ1人、
その時に私の担任だったN先生だけが、

「この子の成績であの学校
はもったいないですよ」

と母に言ってくれ、
自分の将来に対して、
投げやりになっていた私には、

「あなたは学者に向いていると思う。
せっかく勉強が出来るのだから、
伸ばした方がいい」

と熱心に言ってくれました。

そのN先生の言葉こそ、

私が自分の親から言ってもらいたかった言葉でした。

先生からの言葉

後に母は大人になった私に、
「お前が(進路について)投げやりになっているのは分かっていたけど、あえて何も言わなかった」
と言ってきたのですが、その言葉は
『まだ中学生だった私の将来について関わる気がなかった』
と言っていることと同じだったため、

大学まで行かせた兄と私との家庭内での待遇の差をさらに浮き彫りにし、
私という存在を母は見捨てていたのだと、改めて私を悲しくさせたのでした。

今にして思えば、
このN先生だけが、
発達障害という言葉は知らないながらも、
私のASDの特性を見抜き、
私に一番合った進路を、
考えてくれていたのだと思います。

もし私が、
自分の卒業した普通科ではなく、
情報処理科に進学していたならば、

私は就職を考えて、商業高校の情報処理科を希望していました。

その得手不得手がハッキリした特性から、
5教科の勉強は出来ても、
商業高校独特の授業についていけず、
落ちこぼれになっていたかもしれません。

本当は進学したかったけれど、
母親の発言への当て付けのように、
商業高校への進学を希望していた私は、
私のことを本当に考えてくれた、
N先生の言葉のお陰で、
ちゃんと自分の特性にあった、
地元で一番の進学校に、
進むことが出来たのでした。

マルトリートメントと私70.嬉しかった誘いと悲しかった違和感に続きます。