心的外傷/トラウマ

老後対策がきっかけで起こった心の傷の癒し

友人がいない私が行った老後対策

元々、友人の数が少なく、
週末に一緒に遊びに出かける相手など、
2、3人しかいなかった私でしたが、
さらに自分自身が、
その数少ない友人のそばから、
転勤で遠くに引っ越してしまったことと、
年齢が上がってきて、
お互い活動的ではなくなってきたことも、
相まって、
アラフォーになった頃には、
週末に遊びに出かける相手など、
皆無になってしまっていました。

そのため、
シングルマザーから、
子供が結婚して巣立ち、
いよいよひとり暮らしとなった私は、
このままでは、
孤独で寂しい独居老人になってしまうと、
老後は趣味にいそしむことに決め、
子供の頃に好きだった、
絵を描くことを趣味にしようと、
絵画教室に通いだしました。


あくまで絵画教室に通うことは、
一生涯に渡って続けられる、
趣味を持つことで、
人付き合いが不得手な私でも、
死ぬまで人と繋がっていられることを、
目的としたものだったため、
転勤でその絵画教室のある県から、
別な県に引っ越してしまっても、
私は数時間かけて、
その絵画教室に通い続けていました。

それは絵画教室に通う目的が、
社会と繋がれるコミュニティに属すること、
というものだったため、
転勤のたびに違う絵画教室に通っていては、
人付き合いが上手くない私は、
結局、
趣味仲間の中でも上手く関われなくて、
やっぱり、
寂しい老後を過ごすことになってしまうと、
考えたからでした。

しかし、昨年からのコロナ禍のために、
私のこの人生計画は、
大きく崩れました。

県を跨いだ不要不急の外出を自粛する

という、
想定外の事態により、
県外の絵画教室に通うことが、
出来なくなったからです。

この騒ぎもすぐに沈静化するだろうと、
楽観的に考えていた私は、
コロナ禍が落ち着くまでは、
休息期間だと思って、
週末は家でのんびりしていましたが、
さすがに半年近くもその状態が続くと、
元々通っていた絵画教室に通い続けることを、
断念せざるを得なくなりました。

そのため私は、
コロナ禍が収まって、
以前通っていた絵画教室に、
通えるようになるまでの繋ぎのつもりで、
引っ越した県内で、
新しい絵画教室を探し出し、
そこに通うことにしたのでした。

新しい絵画教室で起こった私の気持ちの変化

私が新しく引っ越した県内に、
いくつか見つけた絵画教室の中で、
現在通っている絵画教室に、
通うことを決めたのは、
ホームページに掲載されていた先生の絵が、
自分の好きな感じだったからでした。

けれど、
いざそこの絵画教室に通ってみると、
以前通っていた、
デッサン(絵を描くための基礎練習)中心の、
生徒が多い絵画教室とは違い、
作品を描く(展覧会等へ応募する)ことを、
主目的とした生徒が多い教室で、
私はその違いに戸惑ってしまいました。


(デッサン:描画技術向上のために描いています)


(作品:飾ることを前提に考えて描いています)

それでも、
寂しい老後生活を回避するために、
絵画教室に通っていた私は、
絵画教室で特に何がやりたいと、
いうことも無かったため、
新しい絵画教室の先生が行っていた、
テンペラ絵具と油絵具を使った、
混合技法という手法を初めて用いて、
上に掲載したような、
6号の小作品を1枚描きあげると、
次は、
他の生徒の皆さんと同じように、
展覧会に応募する絵を、
描くことにしました。

「自分のような、
初心者の技量で応募しても、
落選して恥をかくのではないか」

という恐れは、
心に浮かんできましたが、
そんな恐れの気持ちよりも、
自分より年齢が上の、
他の生徒の皆さんが、
展覧会に応募する作品を、
一生懸命に描いている姿が、
まるで高校生の、
部活動のように生き生きしていて、
そんな皆さんと一緒に、
展覧会を目指したら、
暗く辛かった私の高校生活を、
もう一度、
やり直せるような心持ちが、
私に起こったからでした。

私は高校生の時、
美術部に所属していましたが、
ろくに活動をしてはいませんでした。

そこには、
生まれた時から、
家族に自分の存在を、
否定されて育ってきた私が、
絵を描くことが好きで、
美術部に入ったくせに、
美術部の先輩に、
自分の存在を認めて欲しくて、
先輩達に媚びを売ろうと、
美術部顧問と、
仲の悪かった先輩に追従して、
美術部員でありながら、
絵を描くことをしなかったという、
大人になった今の私からみたら、
自分の大切な時間を無駄にした、
本当に愚かな理由が、
隠されていました。

そして、
さらにその理由の奥には、
家が貧乏だった上に、
家族との仲も悪かった私は、
親に、
美術部の活動に必要な油絵具を、
買ってもらうことが、
出来なかったという、

家族に愛されていない自分

を自覚しなければならない、
一番辛く、
誰にも触れて欲しくない、
繊細な理由が隠されていました。

そんな私にとって、
展覧会に挑む他の生徒の皆さんの姿は、
自分が送りたかった、
高校生活の再現のように思えたのです。

高校生のあの頃に戻って、
生きなおすことは出来ないけれど。

やりたかったことに挑戦することは、
まだ出来る。

そんな気持ちが私に起こったのでした。

下絵作業で向き合った自分の恐怖心

絵画教室の先生に、
自分の技量で、
展覧会に出したいと言い出すのは、
とても勇気のいることでしたが、
他の生徒の皆さんの多くが、
展覧会に出品している状況と、
どんなことを、
口にしても否定しないだろう、
先生の優しい人柄が、
私に自分の気持ちを、
正直に先生に伝える、
勇気を与えてくれました。

案の定、先生は、
未熟な私の大きな夢を、
笑うでもなく、
受け入れてくださり、
展覧会出品に向けた絵と、
自分が好きで描く絵の、
何が違うのかを、
説明してくれました。

正直、
詳しいことは、
あまり分かりませんでしたが、

展覧会に出す絵は、
自分の伝えたいことが、
相手に伝わる絵でなければならない

ということだけは、
理解することが出来ました。

展覧会に出品する、
絵の制作にあたり、

「自分の描きたいものを、
まず下絵として、
描いてみてください」

先生にそう言われて、
私は悩んでしまいました。

自分を否定されて、
生きてきた時間が、
20年以上という、
膨大な時間になっていた私は、
自分の嫌なことは、
何とか感じて、
表現することが出来ても、
自分の好きなものを感じて、
表現することは、
とても恐ろしく感じられて、
無意識に、
自分の心に蓋をしてしまう習慣が、
ついていたからでした。

そこには、
自分の嫌いなものを、
否定されても、
自分の心は、
大して傷つかないけれど、
自分の好きなものを、
否定されることは、
私にとって、
自分自身を否定されることと、
同じように感じられるため、
これ以上、
自分を否定されることで、
傷つきたくないという、
私の心が影響していました。

それでもやはり、
展覧会に挑戦する、
他の生徒の皆さんの姿に、
高校生時代の、
憧れを重ねていた私は、
怖いながらも少しだけ、
自分の心を見せることにしました。

私は以前、
通っていた絵画教室の先生から、

「自分は洋画家には、
かなり詳しいけれど、
あなたが好きだという、
画家は知らない」

と言われてしまってから、
私は自分が好きな画家さえ、
口にするのが怖くなっていました。

それは小学生の時に、
集団行動に馴染めない私を嘆いた、
自分の母親から、

「どうしてお前は、
他の子と同じように出来ないんだろうね」

と泣かれてしまった記憶が、
トラウマになっていたからでした。

自分が自分の、
思う通りの言動をとると、

普通の人と相違してしまい、
自分が大好きな母親を、
悲しませてしまう。

このことがあってから、
私は母親を泣かさないために、
家でも学校でも必死で、
母親の求める、
普通の子を演じる、
努力をするようになり、
そして、
その努力が実れば実るほど、
私は自分の気持ちを、
無視する形となったため、
その副作用として、
私は自分が今、
空腹かどうかさえ、
分からないくらい、
自分の本当の気持ちが、
分からない人間に、
なっていったのでした。

親元を離れて、
自分自身を取り戻そうと、
色んなセラピーを、
受け続ける中で、
自分の心が、
大分回復してきたことは、
感じていたものの、
そんな私が、
自分の好きなものを、
好きだと口にすることは、
ましてそれを、
他の人に伝わるように、
表現するということは、
まだとても、怖いことでした。

でも、
そんなことを言っていたら、
自分の憧れた高校生の部活動を、
再現する作業である、
展覧会に出品する絵を、
描くことは出来ません。

せっかく先生に、
私も展覧会に出品したいと、
言えた自分の勇気を、
無駄にしないために、
とりあえず私は、
以前通っていた絵画教室の先生から、

「そんな画家は知らない」

と言われた画家の画集を、
絵画教室へ持っていき、
その画集を参考に、
展覧会用の自分の作品の下絵を、
描くことにしました。


その画家の画集は、
洋画家に詳しいと言っていた、
以前の絵画教室の先生が、
知らないだけあって、
日本では手に入らず、
海外のネット通販で、
取り寄せたものでした。


値段のところに、
英国通貨、
ポンド£のマークが入っているのが、
分かるでしょうか?


私は絵画教室に、
この画集を持っていくと、
ドキドキしながらページを開き、
下絵制作に取り掛かりました。

現在の絵画教室の先生も、
この画集の画家は、
知らないようでしたが、

「ラファエロ前派のような感じですね」

と言われただけで、
とくに私の好みについて、
言及されることは、
ありませんでした。

きっと先生には、
この時の言動に、
何の意図もなかったと思います。

けれど、
今まで自分の言動や、
趣味嗜好が一般的ではないと、
隠してきた私にとって、

否定されない

ただこのことが、
とても大きな意味を、
持っていたのです。

心の奥底に隠れていた私の本心

自分が好きな画家や絵を、
否定されないという、
今までにない経験を、
出来た私の心は、
とても喜びました。

そしてこの出来事が、
私の心の奥深くに眠っていた、
記憶の扉を開いたのです。

本当はこんなことを想っていた

人から本当の自分を、
否定されないという、
ずっと諦めていた願いが、
思いもかけないところで、
叶った私の心から、
ずっと忘れていた、
子供の頃に封印していた想いが、
たくさんたくさん、
溢れ出してきました。

その想いを、
私は展覧会に出品する、
作品の下絵として、
たくさん描きだしていきました。

自分の子供の頃の、
想いを絵に描くことで、

人に知ってもらうことが出来る

それはまるで、
自分の心の中の澱を、
吐き出すかのような作業でした。

そして、この時から。

私にとって、
絵を描くということは、
子供の頃に封印してしまった、
自分の心の傷に向き合い、
癒していってあげる作業と、
なったのでした。