心的外傷/トラウマ

クリスマスに叶えた子供の頃の願い

食べる物が奪われていた子供時代

小学校に上がる前から、
私の夕飯は、
よく父親に奪われていました。

理由は、
母親が夕飯のおかずを、

『父親には刺身・子供にはハンバーグ』

といった、
子供と大人の趣味嗜好の違いに合わせて、
作り分けていたからでした。

そのため、
刺身もハンバーグも、
両方食べたかった意地汚い父親は、
父親が怖くて、
何も言えなかった私に対して、
(私は幼い頃、
父親の前では喉が腫れたようになって、
声を出せなくなる、
場面緘黙症の症状を患っていました)

「じゅんは、
これ(ハンバーグ)食べないだろう。
俺が食べてやる」

と言って、
私から夕飯のおかずを取り上げるのが、
常でした。


このことを、
大人になった時に、
自分の心の傷を癒すために通った、
心理セラピストに話したら、

「お母さんはお父さんにも、
ハンバーグをあげればよかったのにね」

と言ったため、

「いえ、
父は酒のつまみに刺身を食べるのが日課で、
刺身がないと機嫌が悪くなるんです」

と答えたところ、

「じゃあ、お刺身もハンバーグも、
両方食べさせてあげればいいじゃない」

と言い出したため、
私は心の中で、
この心理セラピストに、
自分の子供の頃の、
境遇を理解してもらうのは無理なのだ、
と悟りました。

金遣いが荒く、
毎晩酒を飲んでいた父親がいる家庭に、
お刺身もハンバーグも、
夕飯のおかずに出す経済力など無いことを、
理解する力が不足していることが、
分かったからです。

本当に家にお金が無かった時には、
米が足りなくても、
買うことが出来なかった為か、
米の中に大量の粟が入った雑炊が、
夕飯に出てきたことがありました。

それまで粟を、
以前飼っていた小鳥に、
餌としてあげたことしか無かった私は、
自分の夕飯に、
小鳥の餌と同じものが出されて、
大変驚いたものでした。


そんな家庭環境だったからでしょうか?

父だけではなく、
兄も私の食べ物に、
手を出してくるようになりました。

兄が私の食べ物に手を出してきたのは、
食事の時もありはしましたが、
主におやつでした。

私と兄は1歳差でしたが、
母親が兄と私におやつを出した時、
私は与えられたおやつを、
食べきれないことが、
度々ありました。

そんな時、
最初は欲しがる兄にあげていましたが、
段々と、
私からおやつをもらえることが、
当たり前と考えるようになった兄から、
後から食べようと思って、
とっておいたおやつさえ、
奪われるようになり、
私が後から食べるからあげないというと、
まるで私が悪いかのように、

「ケチ!!」

と文句を言うようになりました。

私からすれば、
同じようにおやつを与えられておいて、
人のものまで欲し、
自分の思い通りにならないと、
私に文句を言ってくる、
兄の方がよっぽどケチだと思いましたし、
そんな兄に対して、
自分のおやつを分けてあげたいとは、
思わなくなっていきました。

私はいつからか、
自分が絶対食べきれない量のおやつでも、

「兄にあげる位なら腐らせた方がマシ」

だと考えるようになり、
食べきれないおやつを、
こっそり隠すようになりました。

それはもちろん、
兄に対して嫌がらせをするという、
目的だけではなく、
後から自分で食べるようにとっておいても、
兄がこっそり、
私のおやつを食べてしまうということが、
起こっていたからだったのですが、
兄にとって私のその行動は、
兄に対する嫌がらせとしか、
映らなかったらしく、

「腐らせる位なら、
俺にくれればいいじゃないか!」

と言われ、
お前は強欲だと散々罵られました。

そして私は、
兄からそんな態度をとられるたびに、
ますます兄に対して、
何も、
してあげたくなくなっていったのでした。

忘れていた、兄から奪われていた出来事

私は大人になって、
自分の生きづらさと向き合い、
自分の過去の癒しが必要だと考えて、
色んなセラピーを受けた時も、
父親から、
夕飯を奪われていたことは記憶にあっても、
兄からおやつを奪われていたり、
そのことが嫌で、
おやつを隠していた時のことは、
まったく忘れてしまっていました。

私がこのことを、
思い出すようになったのは、
絵画教室で、
自分の心の中に封印していた、
子供の頃の想いに、
触れるようになったことがきっかけでした。

私はこの出来事を思い出した時、
子供の頃の自分のことを、
冬に備えて餌を隠すリスのようだな、
と思いました。


そして、
食という生きていくために必要なものを、
奪われないために、
幼い知恵を働かせて、
一生懸命に守ろうとしていた自分のことを、
とても愛おしく感じ、
それと同時に、
奪う・奪われるといった家庭環境の中、
ただ自分のものを守ろうとしただけで、
強欲のように、
責められて生きてきた自分を、
とても可哀想に思いました。

大人になった今でも、
私は人と分け合うのが苦手です。

それは自分の取り分を、
ちゃんと分けてもらえないのではないか、
などと心配してしまったり、
今もらえなかったとしても、
次はちゃんと、
自分が優先してもらえるという信頼を、
相手に対して持つことが出来ないからです。

それは、
私が自分が育った家庭環境で学んだ、

主張しなければ奪われる

という経験と、
真逆のものだったからでした。

この時の出来事を思い出すと、
私の胸はチクチクと痛みを訴えました。

そのため私は、
子供の頃に傷つけられた、
自分の心の願いを、
叶えてあげることにしたのです。

一人きりで食べるクリスマス・ケーキ

12月25日の夜、
私はおそらく安くなっているであろう、
クリスマスケーキを狙って、
近所のスーパーに買い出しに行きました。

もうすぐ閉店になる時間に行った、
クリスマス用品売り場は、
すごく閑散としていて、
店員さんの撤収が、
もうすぐ始まろうとしていました。

なんだか行きづらい感じでしたが、
私には子供の頃の、
傷ついた自分の心を満たすという、
目的があるのだからと、
意を決して、
撤収しようとしている店員さんの前にある、
クリスマス・ケーキ用の、
冷蔵ショーケースを覗くと、
有名なお店で作られたホールケーキが1個、
箱に入ったまま、
まだ売れ残って置いてありました。

私はそのケーキの箱に、
割引シールが貼られているのを確認すると、
店員さんの横から隙間を縫うように、
そのケーキに手を伸ばし、
そそくさとレジに持っていきました。

家に帰ってその箱を開けると、
私は一人で食べるには大きい、
直径15センチほどのホールケーキを、
切ることなく、
フォークで直接食べ始めました。


ゆっくり食べても奪われない。

食べきれなくても奪われない。

自分のペースで、
自分の食べたいだけ食べても、
誰からも罵られることのない、
安心して食べられる自分だけのケーキ。

人からみたら、
一人でホールの、
クリスマス・ケーキを食べるなんて、
可哀想な人に見えるかもしれないけれど、
これは私にとって、
自分の子供の頃の心の傷を癒すのに、
必要なことでした。

いくら頭で、
もう奪われないと分かっていても、
体験として刻み付けられた記憶は、
体験でしか、
上書きすることが出来ないから。

結局私は、
このクリスマス・ケーキを、
3日間かけて食べきりました。

最後の方では、
美味しいと思って食べるより、
早く食べきらなきゃ!という思いで、
食べていました(笑)

もう、ケーキは当分要らない!

そう思えた時、

「あぁ、私は、
子供の頃の自分の願いを、
叶えてあげることが出来たのだなぁ」

って思えたのです。

私はね、
人って自分が満たされていないと、
他人のことも満たしてあげられないと、
思っています。

少なくとも私は、
自分が満たされていないのに、
他人を優先してしまう時、
そこには自己犠牲や打算といった、
不純な気持ちが入り込んでしまいます。

だから、
自分のおやつを奪われて、
悲しかった、
子供の頃の自分の気持ちを封印して、
無かったことにして生きてきた私は、
人と食べ物を分け合うことが、
苦手でした。

でも、今の私なら、
ケーキだけでなく甘いお菓子全般を、
心から譲ってあげることが出来ます(笑)

私はいつも何かをする時に、

「大人は子供に譲ってあげるべき」

といった風潮のある社会が嫌いでした。

「どうして大人だからって、
我慢しなきゃいけないの?」

そんな私の気持ちは、
他の大人達に大人げないヤツだと、
一蹴されて終わっていました。

でもね、
自分の小さな欲望を満たした、
大人の今の私ならわかるのです。

他の大人達が、
子供に譲ってあげあれるのは、
自分が子供の頃に、
大人達から、
譲ってもらえたからなんだ

って。

そう思ったら。

今まで大人げないと人に言われて、
そんな自分を、
卑下してしまっていた私だけど。

私のような、
子供時代を過ごしていたなら仕方ない。

って感じたのです。

だって私はアラフィフという、
結構な歳月を生きてきた人間だけど、
子供らしい幸せな経験は、
ほとんどしたことが無かったのだから。

けれど、
失ってしまった子供時代は、もう戻らない。

そしてアラフィフというこの年齢から、
本来なら自分の親から受け取れるはずの、

「自分が愛され守られる」

という幸せな経験を、
他の大人達から体験させてもらうことは、
もう出来ない。

でも、それって。

他の大人達から、
体験させてもらうことは出来ないけれど。

大人の自分が、
自分に体験させてあげることは、
出来るんだよね。

人生は一度きり。
そしてアラフィフの私は、
もう人生の折り返し地点を過ぎている(笑)

人生の後半に差し掛かっているならば、
失ったものよりも、
これから手に入るものに、
目を向けていきていこう!!

そうして生きていったら、
人生の最期には、
とても幸せな人生だったと、
想って逝くことが出来ると思うから。

そう思った私は、
これからも、
子供の頃に満たされなかった自分の願いを、
叶えていこうと、
思ったのでした。