社会との関わり方

「頑張って」を言っていい時、悪い時

頑張れという応援

最近、私自身の仕事が多忙な上に、
長期出張に行っている人の仕事まで、
私が引き受けることになって、
仕事がちゃんと回るか心配で、
眠りが浅くなるくらい、
今の私の神経と体力は、
かなりすり減っていました。

今日、私が忙しく働いている姿を見ていた、
同じ部署のパートタイマーの方が、

「かなり忙しそうだけど大丈夫?」

と、心配そうに声をかけてきてくれました。

自分と同じ部署で働いている他の人は、
お喋りするくらい、
仕事にゆとりがあるのに、
脇目も振らず忙しく働いている私に対して、
なんの気遣いも見せなかったため、
私は自分を心配してくれた、
パートタイマーの方の言葉が嬉しくて、
弱っていた自分の心のうちを、
ポロッと明かしました。

「仕事がかなりキツくて潰れそうです」

これは、私の心からこぼれた、
SOSの言葉でした。

けれど、私のそんな言葉を聞いた、
パートタイマーの方は、
私にこう言ってきました。

「それでも私は、あなたに頑張って欲しいわ」

私は自分の耳を疑いました。

この人、何言ってるんだろう

って思いました。

私の過重労働を、
心配している人から出る言葉ではないと、
私は思ったからです。

パートタイマーの方は週に3日間出勤し、
1日4時間だけ働く勤務形態です。

1週間の勤務時間は12時間。

対して私は、週5日、
毎日10時間は働いているので、
1週間に50時間は、
働いていることになります。

私は、その人から、
頑張って欲しいなどと言われなくても。

毎日10時間働いている時点で、
私はもう十分頑張っています。

私は今でも精いっぱい、
心身共にギリギリのラインで働いているのに、
パートタイマーの方は、
私の労働時間の4分の1も働いていないのに、
そんな人から、

「頑張って欲しい」

などと言われたら、
自分は長時間労働などしていないのに、
何て勝手なことを言っているんだろう、
という怒りと、
私の頑張りがまだ足りないから、
もっと頑張れと言われているような、
自分の努力を認めてもらえていない、
絶望的な気持ちで、
私はそのパートタイマーの方の言葉に、
泣きそうになりました。

今の私にこれ以上頑張れと言うことは、

「限界を超えて潰れなさい」

と言っていることと同じことでした。

私は、自分ではやらない、
やれないことを、
人に望むような言動をとる人が、
好きではありません。

だから、私は、
その人に対してハッキリとこう言いました。

「私は今でも十分頑張っていて、
これ以上頑張れと言われたら、
泣きたくなるくらい辛いので、
頑張れなんて言わないでもらえますか?」

そう言ったら、
パートタイマーの方はバツが悪そうに、

「あら、ごめんなさいね」

などと、ゴニョゴニョ言いながら、
私の前から立ち去りました。

私はそんな、
パートタイマーの方の後ろ姿を見ながら、

人を励ます言葉は選ばなければいけない。

と、つくづく思いました。

私は以前、

「鬱の人を励ましてはいけない」

という意見と、

「鬱の人も励ましていい」

という、
真逆な意見を聞いたことがあるのですが、
でも、この2つの意見は、
真逆に見えながら、
実は同じ目的を持った言葉だということも、
私は聞いていました。

鬱の人を励ましてはいけないというのは、
今まで病気になるくらい、
もう十分に頑張ってきたのだから、
それ以上頑張れなんて、
言ってはいけないという意味と。

鬱の人を励ましていいというのは、
鬱になるくらい今まで頑張ってきた、
その頑張りを労って、
元気になったらまた頑張って、
という、
未来へ向けた励ましの意味でした。

どちらも、

その人の現状を認めてあげて、
相手の心が軽くなる言葉を使う

という点を心がけているところは、
同じだと感じました。

私に対して心配しながら、

「もっと頑張って」

と言ったパートタイマーの方に、
悪気はきっと無かったのだと思います。

でも。

私はその時、
パートタイマーの方の言葉に、
反論出来るくらいの、
判断能力が残っていたから、
良かったけれど。

もし私が、
鬱状態で脳が疲弊し、
正常な判断が、
出来る状態で無かったのなら、
私はその、
パートタイマーの方の言葉によって、
私の頑張りはまだ足りないのだ、
と考えて絶望し、
自分をとても追い詰めて、
いたことでしょう。

心身が弱っている相手を、
励まそうとする時に、
ちゃんと、
自分が励ましたいという気持ちを、
言葉で伝えることが、
出来ないのなら。

せめて「頑張って」と言う、
タイミングは考えないと、
相手に余計な負担を強いてしまうから、
気をつけようと、
今日の体験から、
自戒を込めて思いました。

そして、改めて、

人は自分のことを真摯に考えて発言してなどいない。

ということを念頭に置いて。

自分を追い詰めるような言葉を、
受け流せる、
もしくは争いなく反論出来る心の余裕を、
持つことを心がけようと、
思ったのでした。