幸せになる方法

自分を認めてくれる人は1人でもいい

今年に入ってから、
私のブログの内容はかなり変わりました。

それは、私が、
心理学をきちんと学ぶようになって、
自分のように、
幼少期に虐待を受けていた人間は、
治療的なカウンセリングが行える、
臨床心理を学んだカウンセラーや、
同じ苦しみを克服したセラピストへ
救いを求めた方が良いと思い、
そのことを伝えたかったから、
という思いも、
もちろんあるのですが、
もう一つ、
私の意識を大きく変えた出来事が、
お正月にあったからでした。

父親から虐待を受け、
だからといって、
母親に甘えることも出来なくて、

物心ついた時には既に父親から「母親の体が悪い原因はお前(私)のせいだ」と責められ続けていた、という理由がありました。

兄からも自分の存在を否定されていた私は、
家の中ではなく、
外の世界に居場所を求めました。

けれど、家族から、
自分の存在を認めてもらえないという、
経験をした私は、
外の世界でも、
人と上手く関わることが出来ず、
自分の本当の気持ちは、
誰にも言えないまま、
学校ではいつも人に対して怯え、
自分の気持ちは押し隠して、
人のご機嫌を取るように、
ヘラヘラと笑って、
上手くもない道化を演じることで、
何とか友人と呼べる人間を、
キープしていました。

けれど、そんな風に、
無理して作った友人関係が、
長続きするはずもなく、
学生時代からの友人で、
今でも連絡を取り続けている人間は、
わずか2人となっています。

その友人2人は、
地元に残って就職しているため、
転勤族で2〜3年で引っ越し、
地元に帰るのは、
盆と正月くらいの私とは、
やはり少しずつ、
疎遠になってきていました。

でも、そんな2人と久しぶりに、
お正月に会って話す機会が出来た時に、
私は思いもかけず、
その友人の1人から、
お年玉をもらったのです。

お年玉袋

お年玉の中に入っていたのは、
以前3人で出かけた時に、
私が立て替えていた費用でした。

私は2人から何も言ってこなかったし、
大した金額でもなくて、
自分から催促するのは、
何かせこい人間のように思えて、
もう忘れてしまっていたお金でした。

その友人は、
お正月に私が帰省した時に返そうと、
お年玉袋の中に、
お金を入れておいてくれて、
でも会うことが出来なかったために、
2年間ずっと、
私に会った時に渡すために、
こうやって持ち続けていてくれたのでした。

たったそれだけのことでしたが、
疎遠になってしまっていても、
そのまま記憶から、
フェードアウトすることなく、
私に会う意思を、
持ち続けてくれていた友人の存在が、
私に過去の自分が受けた虐待のことを書く、
勇気を与えてくれたのです。

実は私がこうやって、
ブログを書いていることを、
お年玉をくれた友人は知っています。

だから私は、
自分のあまり暗すぎる過去を、
このブログに書くつもりは、
ありませんでした。

現実に繋がっている人間に、
自分の暗い過去を、
しかも自分が、
父親に普通の虐待だけではなく、
猥褻な行為まで、
されていたと知られることは、
とても怖くて、
本当なら、
隠しておきたいことだったからです。

知られることが恥ずかしい、
と思っていました。
知られたら引かれて、
数少ない友人を失ってしまう、
と思っていました。

でも、私は、
この友人が私のことを、
ずっと気に留めてくれていたことを知った時、
とても逆説的な表現になってしまうのですが、

私は人に嫌われてもいい。

そんな風に、思ったのです。

人と関わることが怖いと、
感じる私にとって、
機能不全家族の中で生きてきて、
融和的な人間関係を、
体験していなかった私にとって、
友人関係は努力して築くものでした。

けれど、この友人は、
私が友人関係を、
維持する努力をしなくても、
ずっと私のことを、
友人だと思い続けてくれたのです。

それは、私にとって、
ありのままの自分を、
認めてくれていたことと同義語でした。

私のこの考え方は、
きっと一般的には、
あまり理解してもらえないもの、
なのでしょう。

けれど、ずっと存在を、
否定され続けてきた私にとって、
自分が頑張らなくても、
繋がりが持てる相手がいるということは、
喉から手が出るほど、
欲しかったものでした。

それが、思いもかけず手に入った時に、
私は人に嫌われてもいいと、
そう思ったのです。

私のことを好きでいてくれる人も、
きっといるから。

私の低かった自己肯定感が、
また一つ高まった瞬間でした。

たった1人の人が認めてくれただけで、
自分への認識はとても変わります。

自分のことを、
大切に出来るように、
幸せになりたいと思ったら、
広く浅い人間関係を築くよりも、
たった1人でもいいから、
努力しなくてもいい、
ありのままの自分を、
認めてくれる人を見つけましょう。

そうすると、
人に嫌われる恐怖という、
呪縛から自由になって、
ラクな人間関係が築けるように、
なると思います。