私の成育歴

自分の小学生時代を振り返って思うこと

土手に座る独りぼっちの女の子

自分の生きづらさを紐解くために始めた、

「マルトリートメントと私」

と題した、
自分の生育歴を振り返るブログ。

気がついたら、小学生時代を書くのに、
5月23日から9月2日という、
3ヶ月ほどの日数を、
かけてしまっていました。

特に父親から受けた、
性的なマルトリートメントについては、
起こった出来事をそのまま書いたら、
元々このブログを書いていたアメブロでは、

「健全なサイト運営にふさわしくない」

と言われて、
表示されなくなるような内容だったため、
なかなか書くことが出来なくて、
随分と時間がかかってしまいました。

私の小学生時代は、
ASD(自閉スペクトラム症)を原因とする、
学校生活での生きづらさに加えて、
父親からの、
性的虐待までをも含めたマルトリートメントが、
家庭での生きづらさをも抱えさせ、
より生きることの困難さを、
深めたように思います。

そして、ASDと父親からの虐待といった、
2つの問題を抱えて苦しんでいた私を、
多分持て余してしまったのであろう母が、

「お前もそれくらいのことで泣くな!!」

と、私を突き放してしまった時に、
私の心の安全基地は完全に崩壊してしまい、
私の愛着障害は完成してしまったのだ、
と思うのです。

安全基地とは、子供にとっての愛着対象が、幼い子供に提供する心地よい安定や保護が保証された環境を意味する。子供は母親などの養育者を安全基地のように感じられると、好奇心は外の世界に向けられ、外的世界を探検することができるようになる。危険信号を感じると愛着対象にしがみつき、危険が過ぎると再度探索を行う。必要に迫られた時に心のよりどころとなる『心の安全基地』を持つことによって、辛い境遇や危険を乗りこえていくことが出来るようになる。この時母親が不安定であったり、不在であったりすると、子供は不安を感じるようになり、それが継続的に、かつ極度に繰り返されると、発達的に悪い影響を受けやすくなる。

愛着障害(あいちゃくしょうがい)は、乳幼児期の虐待やネグレクトにより、保護者との安定した愛着が絶たれたことで引き起こされる障害をいう。「甘える」や「誰かを信頼する」などの経験値が極端に低いため、自分に向けられる愛情や好意に対しての応答が、怒りや無関心となってしまう状態。

Wikipedia「安全基地」「愛着障害」より一部抜粋

過去に"もしも"は無いのだけれど。

それでも、もしも。

私が抱えていたものが、
愛着障害、または、ASDの、
どちらか一方だけだったとしたら、
私は自分を幸せにするのに、
35年もの時間を要することは、
無かったのではないか、
と思ってしまいます。

だから、今。

もし、このブログを読んでくれている、
あなた自身や、あなたの周りに、
過去の私のような子供がいるのなら。

どうか、
愛着障害を抱えるような子供には、
しないであげて欲しいのです。

ASDは生まれもったものだけれど、
愛着障害は決して、
必ず抱えなければいけないものでは、
ないのだから。

もし、ASDの子供が、
大人になるまで心の安全基地を、
持ち続けることが出来たなら。

その子はきっと、
自閉スペクトラム症という
"障害"ではなくて、
自閉スペクトラム症という、
1つの"個性"として、
自分の人生を生きていけるのではないかと、
そんな風に思います。

それは、過去の私が成し得なかった、
憧れの生き方でもあって。

私が今からの人生で、
目指している生き方でもあるのです。