幸せになる方法

「もっとラクに生きたらいいのに」に対する私なりの答え

もし指が4本だったら?

ASD(自閉スペクトラム症)の私はもっとラクに生きられる?

先日、とある方と話していて。

「あなたは難しく考え過ぎる。
もっとラクに生きたらいいのに」

と言われました。

この言葉って、
ASD(自閉スペクトラム症)や、
そのグレーゾーン にいる方達は、
人生で何度か言われたことがある、
言葉だと思います。

かくいう私も、
人生で何か問題が起こるたびに、
色んな方達から、
言われたことがある言葉でした。

私は自分が、
ASDに該当する人間だと、
知らなかった頃は、

「何で私は他の人達のように、
物事を受け流すことが出来ないんだろう?」

と、
とても悩んだことがありました。

それこそ、
中学生の時に性格を変える通信教育を、
こっそり自分のお小遣いをはたいて、
受けるくらいに、
私は自分の性格について、
悩み続けていたのです。

でも。

私は自分がASDだと知って、
そのこだわりがASD特有の、
脳の器質によるものだと知った時に、

この特性が治らないものだと知りました。

ただ、
脳の器質なんて目に見えるものではなくて、
私にこのようなアドバイスをしてくる人達は、
私のことを思って、
言ってくれているのだという気持ちもあるから、
私は人から、
このようなアドバイスを受けるたびに、

思いやりの言葉に応えたい気持ちと、
自分のこだわりを捨てられない特性に挟まれて、
いつも思考が停止して心が引き裂かれるような、
状態に陥りました。

頭をかきむしる女性
(頭を掻きむしって叫び出したい衝動をグッと堪えます)

いつもはここで、

「この人達に説明したところで理解してはもらえないのだ」

と諦めて口をつぐんでいたのですが。

社会で幸せに生きるためには、
ASD側から歩み寄ることが必要

といつも言っている私が、
理解されないからと諦めてしまっては、
自分の言葉を、
違えてしまっていることになるので。

「どう説明したらいいだろう?」

と自分なりに考えた答えを、
次に同じ状況が発生した時に、
ちゃんと相手に、
伝えることが出来るように、
今日はここに、
書き留めさせていただきます。

"あやとり"って知っていますか?

あなたは子供の頃、
あやとりをしたことがありますか?

あやとりって、
5本の指を全部使って、
色んな形を作り出しますよね。

あやとりする大人達
(1人ではなく2人でも遊べるあやとり)

では、
あなたと一緒にあやとりをしている子供が、
とても下手だったとします。

あなたはその子のためにと思って、
色々なアドバイスをしてあげます。

でも、
あなたのアドバイス通りにするには、
5本の指が必要だけれど、
その子の指は4本しかないと知ったら、
あなたは同じアドバイスを、
し続けるでしょうか?

もし指が4本だったら?

きっとあなたは、
そんなアドバイスはしないと思います。

出来ないことが分かっているから。

ASDも、
これと同じなのです。

目には見えないけれど、
脳の器質的異常により、
生まれつき出来ないことを、
持っている人達。

では指が1本少ないために、
5本の指があるあなたのように、
上手くあやとりをすることは出来ないけれど、
あなたと一緒に、
あやとりで遊びたいその子供が、
自分の出来る範囲で、
一生懸命あやとりに挑戦している時、
あなたはその子供に対して、
どのように接するでしょうか?

これにはきっと、
個人差があると思います。

一緒に遊び続けてくれる人もいるだろうし、
あやとりではなく違う遊びを提案する人も、
遊ぶのを辞める人もいるかもしれません。

それは個人の選択の問題だから、
こちらが口を出すことでは無いけれど。

5本の指がある人と、
同じように遊ぶことを
強要する人は、
(よっぽど人を貶めることが好きな人でない限り)
いないと思います。

ASDの私にとって、

「ラクに生きたらいいのに」
という言葉は、

「5本の指を使ったらいいのに」
と言われるのと、

同じくらい難しいことなのです。

そして、
私にアドバイスをしてくれる人にとって、
(自分では意識していなくても)
強いこだわりを持って生きている私は、
生きづらそうに、
見えるのかもしれないけれど。

私にとっては、
自分の中のこだわりを無視して、
ラクに生きようとする方が、
苦しいのです。

自分の中のこだわりを外すには、
いっぱい悩んで考えて、
自分の中で納得することが必要で。

それは一見、
効率の悪いやり方かもしれないけれど、
自分に納得がいったことならば、
ASDは黙々と頑張ることが出来るから。

アドバイスしてくれる気持ちは嬉しいし、
その気持ちを、
無下にしたいわけではないのだけれど。

長い目で見守ってくれたら、
嬉しく思います。