回想録

辛い記憶は忘れていい

辛い記憶

ここ最近、特に昨日の記事は、
私の元結婚相手の言動や、
彼の言いなりになっていた私に対して、
引く人も多かったのではないか、
と思います。

私は今でも、
彼から受けた仕打ちを思い出すと、
とても辛くて悔しい、
悲しい気持ちが溢れます。

でも、その感情は、
記憶に絡まる残滓のようなもので、
私はもう、
彼のことを恨んでいる訳ではないのです。

もちろん過去には、
彼のことを恨むあまりに胃を壊し、
救急車で病院に運ばれたことが、
2回ほどありましたが、
そのような激しい感情は、
時間と共に、
流れて消えていきました。

私には、過去のことに囚われている余裕が、
無かったからです。

私の心身の状態がどうであろうとも、
0歳児の子供は泣いてミルクを欲しがるし、
オムツも替えてあげなければいけません。

そして、私がどんなに醜い心でいたとしても、
子供は私に屈託なく笑いかけてくるのです。

笑いかける子供

働きながら子供を育てる忙しさで、
私は自分の辛い過去を、
振り返って悲しんでいる余裕など無く、
でも、その余裕の無さが、
私を幸せにしてくれました。

私の辛かった過去の記憶を、
忘れさせてくれたからです。

今年の1月から思い立ち、
過去の辛かった出来事を、
ブログに書くようになりましたが、
それまで私は自分の過去に、
昨日の記事に書いたような、
出来事があったことなど、
忘れて生きてきました。

そして、
そのことを忘れていたからといって、
生きていくのに、
少しも困ることはありませんでした。

過去の辛い記憶は忘れていいのです。

色んな心理セラピーなどを受けていると、
過去に起こった辛い出来事に、
向き合わないと幸せになれない、
過去の自分を癒さないと、
幸せになれないと言われる、
セラピストが多くいらっしゃいます。

でも、それは真実なのでしょうか?

私は過去の辛かった出来事を、
いっぱい忘れて生きてきています。

今、思い出すことが出来るのは、
私が無意識に、
思い出しても大丈夫だと、
思っている記憶だけです。

なぜ、そう言えるかと言えば、やはり過去の記憶が飛んでいるところがあるからです。
本来ならば忘れられないような、強烈な辛い記憶を忘れているのは、一種の自己防衛なのだと思います。

それでも私は今、
幸せに生きることが出来ています。

平日には精いっぱい働いて、
週末は好きな絵を描きに絵画教室に行って、
体を健康にするために、
ピラティス教室に通いながら、
その帰りに孫の顔を見に、
娘の家に遊びに行きます。

そして、週末の残りの時間は、
自分がずっと学びたいと思っていた、
心理学の勉強をする事が出来ています。

今が幸せに生きられるならばそれでいい。

それが、色んなセラピーや、
カウンセリングを受けてきて、
たどり着いた私の答えです。

自分の記憶に蓋がされているのは、
その事に向き合うだけの準備が、
まだ出来ていないから。

向き合う準備が出来たなら、
自然に向き合えるようになると、
私は思っています。

それなのに、心の準備がまだ整わないまま、
セラピストから無理やり、
過去と向き合わされてしまったら、
今、なんとか、
精神のバランスを保っていたものが、
崩れて、壊れてしまうかもしれません。

セラピーは、自分の人生を、
よりよく生きるためのものなのに、
そんな結果になってしまっては本末転倒です。

私が心理学を学ぶ中で知った、
セラピージプシーだった過去の自分に、
セラピストを選ぶ指針として、
教えてあげたいと思ったこと。

  • 相手に「害を与えていないか」と、いうことを忘れずに省みたい。
  • 心理療法の根本原則として「害を与えないこと第一なり」

【はじめての臨床心理学より抜粋】


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こんな心構えのセラピストの方から、
セラピーを受けていたら、
私はもっと早く、
自分を幸せに出来ていたかもしれない、
と感じます。

もちろん、これは私の個人的考えで、人それぞれで違うと思います。

それでもやっぱり、

辛い記憶を忘れて幸せに生きられるのなら、それでいい。

セラピーは自分を癒すために利用するよりも、
幸せに生きるために活用する方が、
ずっと早く、自分を幸せすることが出来て、
そのことで自然と、
自分の癒しも進んでいくのではないか、
と思うのです。