社会との関わり方

嫌な経験を活かした結果

無視するOL

私の残業を望む部下を置いて帰った日

会社の終業時間になったので、
帰る支度をしていたのだけど、

「今日中に見て欲しい書類があります」

と部下に言われて、待っていた私。

けれど2時間待っても、
まだ部下は書類を作成中で、
見て欲しいと言われた書類が、
私のところに回ってくるのは、
夜の8時頃になりそうでした。

いつもの私なら、相手の気持ちを考えて、
書類を作成し終わるのを、
待ってあげるところなのですが、
以前、その部下に付き合って残業した時に、
その部下は自分の気が済んだら、
先に帰ったことがあって、
私はその時に、
自分を蔑ろにされたように感じて、
とても嫌な気持ちになったことがありました。

今日もこのまま、
彼女の回してくる書類を待っていて、
また私に書類を回し終わったら、
さっさと彼女は帰るのではないか、
と思った私は、
それはとても嫌な気持ちになるので、
彼女の仕事を待って、
遅くまで残業するよりも、
彼女が回してきた書類を、
朝、会社に早く行って点検する方が、
よほど良い方法だと考えました。

だから私は彼女に向かって、

「書類が出来たら、
私の机に置いておいてください。
明日の朝、早くきてみますから」

と伝えました。

それは多分、
彼女の望む方法では無かったらしく、
彼女は私の方に目もむけずに、

「はい」

とだけ、答えてきました。

彼女の態度全てが、
不機嫌さを現しているようで、
声も普段の彼女の話声よりかなり低くて、
一瞬怯んでしまったのだけど、

「先に帰るのを彼女に悪いと思っているから、
不機嫌そうに聞こえるのかもしれない」

と、私は自分に言い聞かせました。

そして、思い切り愛想よく、

「じゃあ、お先に失礼します」

と言って、
何も気にしていないかのような態度で、
事務所を後にしてきました。

それから家に帰り着いたら、
彼女を待っていたら、
コンビニ弁当になっていただろう夕飯を、
野菜たっぷりに手作りして、
お腹いっぱい食べて、
洗濯と入浴まで済ませて、
今(夜10時)、寝る準備に入っています。

この時間に眠ることが出来ること、
とても、とても幸せです。

いつも人に合わせていると、
相手にとって、
それが当たり前になってしまって、
蔑ろにされてしまうという経験を、
ちゃんと活かして。

今日は、相手の不機嫌そうな態度に、
引きずられずに、
職場を出ることが出来ました。

明日も何事も無かったかのように、
部下にご機嫌に挨拶したいと思います。

嫌な経験をした分だけ。

自分を幸せにする行動を、
積み重ねていけたらいいな。

私の残業を望む部下を置いて帰った次の日

昨日、早く家に帰ったので、
今日はいつもより30分ほど早く、
職場に行きました。

でも、昨日言っていた書類は、
私の机の上には乗せられていませんでした。

その書類を見るために早く出勤したのに、
これでは意味がないなぁと思って、
周囲を見回してみると、
その部下の机の上に、
目当ての書類は乗せてあって、
その書類は間違いの箇所に、
付箋が貼ってありました。

それをみて、
昨日、私が家に帰ってから、
その書類を作成していた部下が、
自分の作った書類を点検した時に、
間違いが多かったため、
その書類を完成させるのを諦めて、
家に帰ったことが分かりました。

そして。

私より大分後に出勤してきた、
その部下に対して、
私が昨日思い描いていたとおりに、
機嫌よく挨拶をすると、
部下も普通に挨拶を返してきました。

その様子を見ていてつくづく、
昨日、部下の仕事に付き合って、
残業しなくて良かったなぁ、
と思いました。

もし、部下に付き合って残業していたら、
結局、昨日の時点で書類は回ってこず、
それは私にとって、
とっても骨折り損な出来事だったため、
私は今日、こんなに笑顔で、
部下に挨拶することは出来ませんでした。

さらに。

昨日、私が先に帰ることに対して、
不機嫌そうに見えた部下は、
今朝は全く普通で、
やっぱり昨日、私が先に帰ろうとした時に、
部下が不機嫌に見えたのは、
先に帰ることを申し訳ないと思っていた、
私の気持ちが、
そのように見せていたのだ、と思いました。

なら、これは私の認知の歪み。

自分が人より先に帰ることで、
人から責められると思ってしまうのは、
私の間違った思い込み。

こんな生きづらい認知の歪みは、
手放さなきゃいけないね。

自分が他の人より先に帰ってもいい。

このこと一つを自分に許可するだけで、
私は元気に今日を過ごすことが出来て、
いつもは家に帰り着いたら、
疲れ果てて他に何も出来なくなるのに、
今日は帰宅してすぐ、
車に乗ってお買い物に行くことが出来ました。

自分を大切にするために出した、
ちっちゃな勇気が。

私に小さな自信と、
生きづらい認知の歪みを修正する機会を、
与えてくれたのでした。