幸せになる方法

相手の機嫌を取ろうとする私の二次利得

励まされる女性

前回書いた記事で、私は

自分に好意的な人にさえ

嫌われるのを恐れて、
相手の機嫌を取ろうとする、
条件反射的な行動を取ってしまうことに、
気づきました。

今の冷静な頭で考えれば。

自分を嫌っている人や、
気難しい人のご機嫌を伺うなら、
分かるのですが、
自分に好意的で、
優しい人のご機嫌を伺うなんて、
全く無意味で、
かえって相手に嫌われる行為だと感じます。

だから、前回の記事の行為は自分でも

自分の取った行動なのに理解不能

だったのです。

それくらい、
私の意識と無意識の想いは、
かけ離れていました。

こういう時に、
私のとる行動パターンも決まっていて、

「相手が得意そうで、
自分が出来ない事柄について、
相手に質問を投げかける」

ということをやります。

相手が得意な事柄に、
興味をもって話しかけたら、
嫌がる人はいないし、
相手が出来ることが出来ない自分を、
アピールすることで、
相手に自分が上だと思ってもらい、
気分良くいてもらうことが出来るし、
質問をすることで相手が応えてくれるから、
会話の内容をいちいち考えなくて良くて、
安心なのです。

でも、熱心に興味があるフリをして、
質問した当の私は、
本当は興味のない事も多いので、
会話が成立したら安心して、
相手が一生懸命返してくれる回答を、
聞き流すという、
とても不誠実な対応を、
してしまうこともあります。

質問をするという行為が、
相手とコミュニケーションをとる手段に、
なっていたのです。

何で私はこんな真似をするんだろう?
こんな態度をとることで、
一体どんなメリットを得ているんだろう?

そんな風に自分に質問を投げかけた時に、
かえってきた答えは、

「相手が私のことを、
自分より下だと思うことで、
敵視されず構ってもらえる」

というものでした。

私は割と出来ることと出来ないことの差が、
激しい人間だと思います。

高校生の時、
国語の全国模試で学年1番を2回取り、
県でも3番、
全国でも100番台という、
成績を取りましたが、
数学などは定期テストでも赤点をとり、
追試を受けていました。

同級生からは

「国語のじゅん」

と呼ばれ、
私の成績の落差は、
笑い話のネタのようになっていました。

私も一緒になって笑っていました。

同級生に対等な人間だと思われて、
ライバル視されなくて良かった、
と思っていました。

その思いの奥底には、

私は人に助けてもらわなければ生きていけない

という思いが潜んでいました。

人に対等な人間だと思われて、
構ってもらえなくなって、
見放されたら私は生きていけないから、
出来る人間になってはいけない、
と思っていました。

だからいつも、人と対等ではなく、
一段低いところから人と関わっていました。

でも、

「本当の私はこんなもんじゃない、
私はもっと色んなことが出来るはず」

という思いもあって、

「出来ないでいることを選ぶ自分」

「もっと出来るはずだと思っている自分」

という、

全く相反する2つの思いの中で、
いつも葛藤していたのだということに、
このブログを書いていて気づきました。

私は高校生の頃くらいまで、
時々、自分が羨ましいと思う人をみて、

「本当は私があの場所にいるはずだったのに」

という、
物凄い悔しさに捉われることがありました。

私がそう感じる人は大抵、
周囲の言葉に惑わされることなく、
ただひたすら、
自分の好きなことを突き詰めている人達でした。

本当は、私もそんな人になりたかった…

過去を振り返ったら、
そんな想いがあったことに気づきました。

周囲に流されることなく、
人に嫌われても馬鹿にされても、
ただ自分の好きなことに一生懸命取り組む人達。

自分の人生を一生懸命生きている人たち

私は高校生の頃まで、
自分の人生を後悔していました。

人の意見を聞いて、
自分のやりたいことをやってこなかった、
自分のことを。

でも、高校卒業を目前にして、
親に頼らず自力で生きていく術を考えた時。

やりたいことをやる、
を諦めてしまいました。

そして、生活していくのに必死で、
やりたいことを諦めたことさえ、
忘れてしまっていました。

だから私は、
自分にもう一度、
寄り添ってあげることにしました。

もう大丈夫だよ、
私は自分の力で生きていけるよ

きっと

「人に助けてもらわなければ生きていけない」

という思いは、
子どもの頃に怯えて生きていた時に、
身につけたもの。

この思いは、
子どもだった私が生きるためには、
必要だったものだけど、
大人になった私には、
自分の人生を生きたいと望む私には、
もう不要になったもの。

怖かったね、辛かったね、
お父さんが機嫌を損ねて暴れだしたら、
ご飯さえちゃんと食べられなかったから
お父さんの顔色を窺って、
生きなければいけなかったもんね。

怖がっていた小さな自分に、
いっぱい寄り添ってあげることで、
自分の人生を生きていいのだという許可を、
自分に与えてあげたいと思います。