発達障害(ASD)グレーゾーン

困った定型発達者

正義の主張

4月から一緒に働き出した、
歳上部下の1人は、
コミュニケーションを取るのが上手で、
細かいことを気にしない、
まさに定型発達さん。

仕事で大失敗をしていても、
自分を責めて卑屈になることもなく、
文句を言っていた相手とも、
楽しく雑談出来てしまいます。

気持ちの切り替えが上手といえは、
そうなんだとは思うけど、
私は彼女の反省の無さが、
心配でしょうがありません。

先日も、彼女がしたミスのために、
九州本部の人から業務終了後に、
彼女あての電話が何回も、
かかってきていたのだけど、
その電話で叱られるのが嫌になった彼女は、

「私はいないと言ってください」

と言って、
電話を取るのを拒否してしまいました。

私は、そんな彼女の態度にビックリ。

だって、九州本部の担当者は、
彼女のミスをカバーするために残業して、
その調整のための電話をくれているのに、
相手の態度が気に入らないといって、
電話を取らなくなったのだから。

私には、ミスした彼女が、
何で自分のために残業してくれている、
九州本部の担当者に文句が言えるのか、
全く理解出来ませんでした。

だから、やっぱり九州本部の担当者のように、
彼女のミスをカバーするために、
残業していた上司の私が、
その後の九州本部の担当者との、
やり取りの電話を、
全て受けることになりました。

私が話した九州本部の担当者は、
ミスした歳上部下が私達に伝えたような、
嫌な言い方をすることもなく、
始末書ものの案件だったため、
彼女が書いた始末書の内容を点検してくれて、
この内容では本社は納得しないからと、
迷惑をかけたうちの支社のことを考えて、
始末書の書き方について、
アドバイスまでしてくれました。

それをミスした部下に伝えたら、
ミスした部下は更に文句を言い出しました。

「そんな細かいことまで言ってきたんですか、あの男は?!」

って。

私には、九州本部の担当者が、
彼女の書いた始末書を点検して、
指摘してきた点は、
本当にその通りだと思ったけれど、
彼女は書き直しを指示されたのが、
納得いかないようでした。

そんな彼女の様子を見ていて、
人生順調に生きてきた人間は、
打たれ弱いって本当だなぁって、
感じました。

コミュニケーション能力の高い彼女は、
会社の中に友人が多く、
九州本部にも本社にも、
彼女のことを可愛がってくれている人が、
いるようでしたが、
逆に九州本部の担当者は、
真面目にコツコツと働くタイプで、
あまり会社の中に、
親しい友人は多くないようでした。

だから、彼女は少し、
今回、彼女のミスをカバーしてくれている、
九州本部の担当者のことを、
下に見ている節がありました。

会社という組織の中にいると、
派閥やグループに属さない人間は、
それだけで偏見で見られることがあります。

そのような繋がりが、
仕事上大切なこともありますが、
現在、彼女が行なっている業務は、
コミュニケーション能力よりも、
業務の正確性が求められるものであり、
その業務の九州分を統括している、
九州本部の担当者にも、
同じことが言えました。

そう、仕事にミスが多く、
今回、始末書を書くことになった彼女が、
正確に業務をこなしている、
九州本部の担当者を見下げていい理由なんて、
どこにもなかったのです。

自閉症スペクトラムである私は、
自分の視野が偏りがちであり、
自分の考えに固執しやすいことを、
知っています。

だから意識して、
人の意見に耳を傾けるように努めています。

自分の考えがいつも正しい訳では無いことを、
私は経験上、知っているからです。

けれど、定型発達者の彼女は、
他人の意見を聞く耳をあまり持っていません。

それは今まで、そのような態度で、
社会で生きてこれたからなのだと思います。

けれど4月から彼女は初めて、
一般事務職から管理職に起用され、
全く新しい業務を行うことになりました。

一般事務職では優秀だと言われていた彼女は、
自分の能力に自信を持っており、
プライドが高く、
管理職業務を理解していないにもかかわらず、
自分を正当化しすぎるきらいがあります。

それが一部の部下の反感を買っています。

彼女は自分の正義を貫ければいいと、
思っているようですが、
今まで順調ではない人生を歩んできた、
私にとって、
彼女のいう"正義"は、
決して万人に共通する正義でないことを、
知っています。

こんな時、やっぱり私は思うのです。

遺伝子によって決まっている、
定型発達、発達障害という括りよりも、
その人が生きてきた環境の方が、
よっぽどその人の人格形成にとって大切で、
発達障害者のコミュニケーション能力は、
向上していくことが出来る。

そして、その思いは、
このような社会での経験によって、
裏打ちされ、
確信に変わっていくのでした。