こだわりの強い、
ASD(自閉スペクトラム症)であり、
愛着障害も併せ持っている私は、
感情のコントロールが、
あまり上手くありません。
何か1つの強い感情に捉われると、
そのことからなかなか、
気持ちを逸らすことが出来ません。
今日も定型発達者でありながら、
人に気遣いの出来ない部下Aが、
間違いばかりの書類を回してきて、
そして、その間違いの内容は、
きちんと確認していたら、
防げるものだったため、
私は本当に頭にきて、
怒りで手が震えてしまいました。
私はいつもなら、
偉そうに見えないように、
間違えた部下の机まで自分で行って、
書類の間違いを指摘するのですが、
全然確認していない書類を回すという、
その部下Aの態度に腹が立ったため、
今日は自分の机に、
間違えた部下Aを呼びつけました。
1つの書類に、
数カ所あった間違いを指摘している間、
私は何とか平静を装おうために、
震える自分の左手を右手で抑えつけ、
怒りに任せて口撃したい衝動を、
必死に堪え続けなければなりませんでした。
激しいストレスがかかる時にいつも感じる、
肋骨の裏がつったような痛みも発症したため、
私は部下Aを指導した後、
しばらく心を落ち着けるために、
自分の机にじっと座って、
痛みに耐えるために奥歯を噛み締めながら、
呼吸を整えていました。
本当は自分のこだわりが強く、
人が気付かない、
細かい間違いまで気付いてしまう、
私のようなASDの人間は、
誰かと一緒に仕事をするのは、
向いていないのだと思います。
私の仕事の細かさに、大抵の人はついてこれません。
けれど会社員であり、
自分1人の裁量で、
仕事が出来る技術職でもない私は、
生きていくために、
必要なお給料をもらうためには、
誰かと一緒に仕事をするしかありません。
自分に向かない働き方を続けることには、
大変な苦労もありましたが、
でも、自分に向いていないからと諦めず、
頑張って今の仕事を続けてきたからこそ、
定型発達者である部下Aよりも、
周囲に対して気配りが出来る、
自分になることができています。
そして、そんな自分になれていることは、
私に"自信"という、
自己肯定のチカラを与えてくれます。
きっと、
自分に出来ることばかりしていたら、
今の私の自信を持つことは出来ませんでした。
「これは自分には向かない」
そんな風な見極めも、
もちろん大事だと思いますが、
向かないものにチャレンジすることも、
自分を成長させる上で、
大切なのだと思います。
「人の気持ちが分からない」
一般的にはそう評価されるASDの私が、
人生経験を重ねたことで、
定型発達者の部下Aよりも、
他の部下の心に寄り添えたように。
「自分はASDだから」
「愛着障害を抱えてしまっているから」
などと自分をカテゴライズせずに、
目の前にある色んなものに挑戦することで、
自分に対するラベリングは、
変えていけるのかもしれません。