社会との関わり方

私が発達障害の診断を受けるために病院受診を決意した理由

部下を叱る女性

私は職場で係長をしているのですが、
部下の1人に、
とても厄介な人間がいます。

「私は仕事ができる」

と思っている人間です。

実際に仕事が出来るなら問題はありません。

その人間が厄介なのは

「私は仕事が出来ると
思い込んでいるところ」

なのです。

以前の私は、
その部下と対立することが多くありました。

部下を叱る女性
発達障害グレーゾーンの人間は、
細かいところに目がいきます。

他の人が見落としがちな点にも気づきます。

物事を曖昧にしておくのが苦手なため、
不明な点や納得がいかない事項があった場合、
休憩や食事も忘れて、
その事項をはっきりさせるために、
損得も構わず、
全ての時間と労力をつぎ込みます。

そんな私は、
その部下より仕事に詳しいことも多く、
今までの上司が見過ごしていた
彼女の仕事の間違いを、
ことごとく指摘してきました。

そのことで、
彼女のプライドを酷く傷つけたのでしょう、
私は彼女から、
無視されるようになりました。

彼女は平社員のため、
係長である私の方が立場的には上ですが、
2年から3年で転勤する、
総合職の私と違い、
地元採用の事務職の彼女は
ずっと同じ営業所で同じ仕事をしている、
いわゆるその職場のお局様です。

転勤してきたばかりで、
勝手の分らない上司の私より、
そこの営業所に詳しいお局様の彼女の方が、
なぜか態度が大きいという、
かなり精神的負担がかかる状況を、
毎日過ごしていました。

それでも私は頑張って、
その営業所の今までの間違いを正して、
正常な営業所にしようと、
孤軍奮闘していました。

私は昨年の4月に、
今の営業所に転勤になったのですが、
転勤先の営業所の、
ずさんな業務態度に呆れ返り、
会社の社則と指導に沿った業務を、
実行しようとしたところ、

「そのやり方はうちの営業所には合わない」

という、変化を受け入れられない、
お局部下の言動により、
遅々として進展していませんでした。

発達障害グレーゾーンの人間にとって、
合理性のない感情論だけのやり取りは、
非常に心身を消耗します。

だから私は、
仕事で指導されて気に食わないと、
怒りの感情をそのままぶつけてくる、
その部下と関わり合うのに、
ほとほと疲れ果てていました。

「自分は発達障害グレーゾーンではないか」

そう自分を疑うきっかけになったのも、
皆んなが煙たがりながらも、
上手く付き合っているこの部下と、
ことごとく対立してしまう自分に、
何か人として、
欠陥があるのではないかと悩み、
色々なことを調べて回った結果でした。

以前から私は、必ずこういった
職場のお局と対立してしまう自分に、
悩み続けていたのです。

私は決して人と争いたい訳ではありません。

駄目なことを見過ごせないだけなのです。

でも私のこの資質は、
お局と呼ばれる人種にとって、
とても目障りで、腹が立つもののようでした。

それは私が、彼女達を、
不可思議な存在としてみていることに、
理由の一端があるのかもしれません。

ただ、私には本当に分らないのです。

普段それだけ、
偉そうな態度をとっておきながら、
困った時には平気で人に甘えてしまえる、
その精神構造が不思議でたまらないのです。

そして周囲の人間も、
煙たく思う気持ちがありながら、
なぜ彼女達を甘やかしてしまえるのか、
それが定型発達した人間の、
当たり前だというのなら、
もう私には一生、
定型発達の人の心は理解不能だと、
そう思えてなりません。

でも、私は自分が、
発達障害ではないかと疑ったおかげで、

「絵を描くことで発達障害脳を改善する」

という人生の命題を、
見つけることが出来ました。

この命題の前では、
営業所のずさんな業務形態など
取るに足らない問題となります。

こんなことで心身をすり減らし、
命題である絵を描くことを、
疎かにしてはならないのです。

だから私は彼女に対する態度について、
対策を考えました。

そして、
一人のモデルをみつけることが出来ました。

それは以前、
私が部下として仕えていた上司で、
とても要領の良い、人任せな方でした。

私は自分の職務だと思った仕事は全て、
上司に頼ることなく、
一人でやりきっていたため、
その上司は私の仕事に対し、
一切口を出しませんでした。

私はその人任せの態度が不満でしたが、
この態度はお局部下に使える、
と思いました。

「私は仕事が出来るのだから、
私の仕事に口を出すな」

そう望むのであれば、そう接しよう、
と考えたのです。

ただ本来の私は、
人に物事を任すことが苦手なため、
彼女に対する態度だけ、
その人任せの上司のように振る舞おう、
と思いました。

そのような心持でいると、
会社の社則と指導に、
はっきりと抵触するもの以外、
全て彼女の好きにしたらいいと、
放っておけるようになったのです。

それは4月から9か月勤めてきて、
彼女が私の指導を聞かないということが、
周囲の人間に理解され始めたから、
でもありました。

今までの私は、

「彼女の間違いは上司である私の間違い」

という責任感で働いていたのですが、
今の状況で彼女が仕事を間違えた場合、

「上司のいう事をきかない彼女の間違い」

であることを、
周囲は理解するだろう、と思ったのです。

結局、私は、
仕事で自分が正しくないことをしていると、
人様に思われるのが嫌だったのです。

でも仕事の優先順位が、
絵を描くことよりも下がった今、
その拘りを手放すことが出来ました。

今日、お局部下がしていた仕事に対し、
間違っているんじゃないかと思ったことを、
質問しました。

「そんなこと当然分ってます、大丈夫です」

お局部下は私の懸念に対し、
居丈高にそう返事をしてきましたが、
私がその態度に、
苛立つことはありませんでした。

「あぁ、このやり方で大丈夫ならいいの。
あなたの方が詳しいものね」

と軽く返すことが出来ました。

これで、
後から彼女が困って何か言ってきたとしても、
私が彼女の尻拭いをすることはありません。

強気な態度をとる人間には、
それ相応の覚悟が必要なのだと、
私は思うからです。

そこに、
人間としての思いやりが欠けているのなら、
それは私の人生に、
不要なものなのでしょう。

関わりたくない人間は放っておく。

下手に相手に同情して優しくすることで、
自分が利用されて、
悲しい思いをする人生よりも、
よっぽど、
自分が幸せに生きられる道だと思います。