社会との関わり方

時に正しいASD(自閉スペクトラム症)が周囲の非難にさらされるという現実

上司から非難されるOL

先日、部下Cが回してきた書類が、
間違っていると思って指導した時に。

普段仲が悪い部下Aと部下Bが、
2人かがりで私に対して、

「その書類はそれでいいんです!!」

と凄い剣幕で言ってきたことと、
それは係長である私所掌の仕事ではなく、
主任である、
部下A所掌の仕事だったこともあり、

「あぁ、そうなの。分かりました、ありがとう」

と引き下がったのだけど。

今日、やはり私の指導が正しかったことが、
九州支社からの連絡で分かりました。

九州支社の方からは、
今回、部下Aと部下Bが、
それでいいと言い張った書類の件で、
お客様に大変なご迷惑をお掛けしたため、

「課長、係長、主任の3人で謝罪に行ってください」

と言われてしまいました。

そのことについて、

「係長が言っていることが正しかったです」

と、素直に間違いを認めてくれたのは、
部下Cのみで、
部下Aと部下Bは、
私に対しては何をいうこともなく、

「え〜今はそんな風になってるのぉ?」

などと口の中でゴニョゴニョ言うばかりで、
自分の発言についての責任を、
取る気は無さそうでした。

その2人の態度は、今までの言動を鑑みても、
予想がついたので、
(許容は出来ないけれど)黙っていましたが、
いつもは部下任せで、
実務に手出しをしない課長が、
自分が謝罪に行かなければならないと、
知った途端、

「九州支社がそう言うなら、
それが正しいんだろうけど、
俺達のやり方の方が良い気がするけどなぁ」

と言い出したために、
自分が間違ったと思いたくない、
部下A、部下Bだけでなく、
素直に自分の間違いを認めていた部下Cまで、

「私もそう思います!」

と同調しだして収拾がつかなくなり、
私以外の人間は皆んな、

自分達のやり方がどれほど優れていて、
九州支社の指導がいかにおかしいか

を、口々に言い合っていました。

そんな状況下で、
私はひたすら口をつぐんでいました。

彼らの言うことは、
自分を正当化したいがための理論で、
関係する法律等に照らし合わせても、
全くおかしなことばかりでしたが。

仲間がいるということが彼らを増長させ、
1人正しいことを言った私の方が、
おかしいと非難される
ような状況になりました。

私は彼らの言葉に対し、
言い返したい気持ちをグッと抑えて、
ただひたすら黙っていました。

こんな状況下で正しいことを述べても、
相手から数の有利で迫害されることは、
過去に何回も経験してきたからです。

私は彼らの言葉が聞こえないかのように、
ただ黙々と、
自分の仕事に取り組んでいました。

そんな私の隣で、
ひとしきり騒いだ後、
ようやく彼らは気持ちがおさまったのか、
めいめい自分の席に戻って行きました。

私はホッとして、
詰めていた息を吐き出しました。

体にも無意識に力が入っていたらしく、
私はその吐く息と一緒に、
自分の体が緩むのを感じました。

気が緩むOL

私には、
ハッキリと自分が間違っていることが、
分かっているのに、
ただ自分の間違いを認めたくないために、
相手を非難しようとする人の考えは、
分かりません。

もしかしたらそこには、

数の有利で押し通せる

という考えがあるのかもしれません。

それならば私は。

ASDで、
基本いつもマイノリティ(少数派)な自分で、
良かったと心から思います。

徒党を組むことがないために、
自己を正当化する会話が増長することもなく。

自分の間違いを、
素直に認めることが出来るからです。

集団で、
自分達を正当化しようとする人達を見ると、
私はいつも心から怖さを感じます。

きっとそれは過去に、
自分の意見が正しくても、
集団から、
間違っているように扱われてきたことと、
無関係では無いと思います。

集団というだけで人は力を持ちます。
そして、その力に、
孤立しがちなASDが立ち向かうのは困難です。

過去の私は、
正面からぶつかる方法しか知らなくて、
とても痛い目をみてきたけれど。

そのような状況に一番有効なのは、
"かかわらない"という態度です。

以前の私は、
そんな態度は不誠実だという考えで、
キチンとそのような人達にも、
向き合うように努めてきましたが、
自分と他人を尊重する、
アサーション・トレーニングを学んで、

「何も言わないという自己表現」

自他尊重の態度なのだと知りました。

そして今回その、
何も言わないという自己表現をしたことで、
九州支社への非難を聞かされ続けたものの、
直接私に絡むような態度を、
取られることはありませんでした。

集団に同調出来ないASDは、
時として、
理不尽な非難にさらされることがあります。

それは社会で生きていたら、

決して避けては通れない現実

です。

でも、だからこそ。

自分の身を守るために。

集団と争わない術を身につけることも、
必要なのだと思います。