幸せになる方法

自分自身に対するフィルターに気付いておくことの大切さ

グラスの水

あなたってどんな人?

「人は自分のフィルターを通して世界を見てる」

この言葉は、
人の心に興味がある人なら、
聞いたことがあるのではないかと思います。

その意味は、

同じ物事が起こったとしても、人それぞれの捉え方で物事は違って見える

ということなのですが。

例えば、よく言われるのは。

「コップにまだこれだけの水が入っている、
と考えるか、
もうこれだけの水しか入っていない、
と考えるか」

グラスの水
まだこれだけの水が入っている、
と考える人は安心出来るし、
もうこれだけの水しか入っていない、
と考える人は不安になります。

これは、
どっちの見方が良いとか、
悪いとかではなくて、

自分がどういう風に考えるクセがあるのか、
知っていると良い

ということ。

よく、

「もうこれだけの水しか入っていない」

と考える方が、
ネガティヴでよくない考え方、
と思われがちですが、
不安は決して、悪いものではありません。

なぜなら不安は、

「自分を守ろうとする思考」

が働いて起こるものだからです。

不安があるから、
何かあった時のために、
備えておくことが出来るし、
これから起こる未来を予測して、
最善の行動を取ることが出来る。

この水の量を不安に思って、
ペットボトルの水を用意していた人は、
この後に地震にあったとしても、
飲み水には当分困らないでいられるし、
この水の量で安心していて、
何も用意していなかった人は、
この後に地震があったら、
飲み水がなくなって、
困ることになるかもしれない。

でも、そんな地震になんてあわなかったら、
少しの水で不安になる人は、
ストレスを抱えて苦しいかもしれないし、
少しの水で安心出来る人は、
ストレスフリーで、
楽しく過ごせるかもしれない。

自分が置かれている状況によって、
どっちの思考の方が良かったかなんて、
変わってくるものだから、
あなたが自分の思考のクセを、
治さなきゃいけない、
なんてことはありません。

ネガティヴに考えるあなたでも、
ポジティブに考えるあなたでも、
そのままのあなたでいて大丈夫なのです。

ただ、知ってさえいればいい。

自分はネガティヴに考える人間か、
それともポジティブに考える人間か。

性格とは固定したものではなく、自分をどうみているか、というプロセスに過ぎない。

これは現在学んでいる通信大学の、
心理学概論という科目の、
テキストに書いてあった言葉。

私たちは、自分という人間にさえ、
フィルターをかけて見てしまっているのです。

あなたはコップの中のお水をみて、
どっちに考えましたか?

そして、あなたはそんな自分の考えを、
ネガティヴで駄目だと思ったでしょうか?
ポジティブで良いと思ったでしょうか?

実はそれも、全部、
あなたが自分にかけてしまっているフィルター。

私が自分のフィルターがかかった目から、
あなたを見たならば。

まだこれだけの水が入っている、
と考えたあなたは、
自分を安心させるのがとっても上手な人だし、
もうこれだけの水しか入っていない、
と考えたあなたは、
自分を守ることがちゃんと出来る人。

どっちもとっても大切な、
自分を幸せにする才能を持っている人。

あなたは本当はどんな人でしょうか?

自分に厳しすぎるフィルターを外して、
自分のことを見られたらいいな、
と思います。

私ってこんな人?

あなたに偉そうにそ、
んなことを言っている私にも。

人生を生きてきた分だけ、

「私ってこんな人」

という自分へのイメージが出来ています。

40年以上生きてきていた私が、
自分自身に対して持っていたイメージは、

「私は人付き合いが苦手な人」

というものでした。

落ち込む女性

もちろん、そのイメージには、
自分がそう思い込んでしまうような、
ちゃんとした理由があって、
(学校や会社で虐められていた、など)
単なる思い込みではなかったのですが、
実は、そのイメージが、
間違っているんじゃないか、
と思うような出来事に、
先日出くわしたのです。

それは、
今年の2月に父が亡くなってから、
昔のことをよく話すようになった母が、
ポツリと私の娘に言った、
一言から始まりました。

「お兄ちゃんは保育園に連れて行った時に、みんなに馴染めなくて、なかなかお母さんから離れなかったけど、
じゅんは自分から、すぐにみんなの中に入っていって、遊んでいたのよ」

ここで言うお兄ちゃんとは、
一つ歳が上の、私の兄のこと。
お母さんとは、私の母。
じゅんとは、私のことになります。

この言葉を聞いた私の娘も、
そして隣で聞いていた私も、
この母の言葉に、
本当に驚いてしまいました。

なぜなら、私が物心ついた時から、
周囲の大人達に言われていたのは、

「社交性のあるお兄ちゃんに、社交性のない妹(私)」

という言葉だったから。

そして、私の娘は、
社会の中で、
人が苦手で苦労して生きてきた私を、
ずっと見てきていたから。

私に、そんな過去があったなんて、
思いもよらなかったのです。

でも、そんな母の一言で。

私の脳裏には、
私より1年先に、
保育園に入った兄から言われた、

「保育園では、
自分の物が盗られるから気をつけろ」

という人を警戒する言葉や、
保育園で大人しかった兄のイメージ、
物心つくまでは、
毎日楽しく過ごしていた自分の記憶が、
浮かび上がってきたのでした。

笑顔の少女

あれ、私、いつからこんなに、
人付き合いが苦手だと、
思うようになったんだろう?

この思いはきっと、
人と関わる事が上手くいかなかった、
一つ一つの出来事に、
傷ついてしまった私が、
これ以上自分の心が傷つかないよう、
作り上げた心の壁。

「私は人付き合いが苦手だから、
上手くいかなくてもしょうがない」

もう、これ以上、
誰かと関わって傷ついたりしないように、
傷ついて臆病になってしまった、
自分の心を慰めるために作った、
自分の人生が、
上手くいかないことの理由づけ。

でも、私の記憶には無かったけれど、
母が覚えていてくれた、
小さい頃の私は、
決して人付き合いが苦手な子供では、
無かったから。

もしかしたら、
私がずっと自分に対して抱いていた、

「私は人付き合いが苦手な人」

というイメージは、
本来の自分の姿ではないかもしれない
と思いました。

そして、母が教えてくれた自分である方が、
私は自分が自分に持っていたイメージよりも、
ずっと素敵に思えたのです。

だから私は、
自分の中に眠ってしまっているその子を、
見つけ出してあげることにしました。

今まで学んできた、
スピリチュアルから心理学まで、
色んなものを使って。

そして、自分の中の

「私ってこんな人」

のイメージが、
意識と魂までぴったりと一致した、
そんな人になれたら素敵だな、
と思ったのでした。