以前参加した、
脳の右側で描くワークショップで、
一緒になった方から、
「発達障害だったら凄い才能があるんじゃないの?」
と言われた事がありました。
これはおそらく、
サヴァン症候群のことだと思います。
1988年に公開されたこの映画で、
ダスティン・ホフマン演じる、
サヴァン症候群の兄が、
驚異的な記憶力の高さや、
数字への強さをみせています。
発達障害の話をすると、
彼女のような誤解をしている人に、
時々会いますが、
実際にこのような能力を持っている人は、
自閉症者の中の10人に1人と言われていて、
サヴァン症候群のおきる原因は、
傷ついた左脳を右脳が発達して補っている、
という見解もあるようですが、
現在でもはっきりした理由は分っていません。
自閉症者の中でも10人に1人なのですから、
努力すれば、
社会生活が送れる程度の能力がある、
発達障害グレーゾーンの私には、
そんな卓越した能力はありません。
けれど卓越していない、
発達障害グレーゾーンにも、
やはり人と違うが故の才能があると、
私は自分の経験を通して実感しています。
例えば私は人よりもこだわりが強く、
規則やルールが決まっている事は、
どんなに大変でも、
きっちりその通りにやらなければ、
気が済みません。
これは定型発達者からみると、
「融通が利かない」
と評価されて、会社で人から煙たがられる、
私の特性の一つなのですが、
この特性が私にあるがゆえに、
私の所属する営業所が助かる事が、
時々あります。
私の携わっている業務は、
国の法律や条例に関係するものが多く、
本来はその規則を、
把握していなければならないのですが、
ずっとルーティンワークで、
その業務をしていると、
誰もいちいち、
その業務の根拠法令を確認しません。

けれど私は、何かあるたびに、
その根拠条文を確認してから業務に臨みます。
根拠が分らないと、
あっているか心配になるからです。
これは一言一句決まった通りにしたがる、
発達障害グレーゾーンであるが故の、
私の特性であり、
私が勤務する営業所の誰も、
私のように、
法律書のどこに何が書いてあるかを、
把握している人はいません。
だからこそ。
突発的にいつもと違う事が起きた時に、
対応できる人間が私しかいない、
という状況が、
年に1回程度、発生する事があります。
ルーティンワークで、
業務をこなしている人間は、
何で自分が、
その業務をしているか理解していないけれど、
私は根拠条文を把握している為、
いつもと違う状況がおこっても、
どうしたら良いかを理解しているからです。
先週も、
私の勤務する会社で初めての事例がおきて、
私が一人で関係条文を調べて、
最善と思われる対応策を、
課長に進言したことがありました。
それは私の業務ではありませんでしたが、
本来対応すべき人間が、
面倒だと手をつけずに責任逃れに走った為、
その事への対応法が分らないと、
私の勤務する事業所自体に、
ペナルティが課せられる事を危惧した私が、
自発的にとった行動でした。
根拠法令を課長の机の上に並べて、
関係諸機関に確認した内容を、
踏まえて話す私に、
課長がポツリと、
「凄いな」
とつぶやきを漏らしました。
私は自分の胸がすく思いがしました。

こんなに困った状況でなければ、
私の今回の行動はでしゃばった行動として、
周囲の人間から嫌がられる類のものでした。
けれど、私の営業所の誰もが、
関わるのを嫌がっていた案件だったがために、
今回の私の行動は評価されたのです。
私のとっている行動は、
人に嫌われる時と感謝される時で、
何の違いもありません。
ただ、周囲の人間の私への評価が、
違っているだけなのです。
そんな勝手な人達の顔色を伺って過ごすのは、
とても勿体ない事だと思います。
今回の私の事例のように、
「人よりも拘りが強い」
ただそれだけの事を突き詰めることで、
自分にしか出来ない事が発生したりします。
その事で、
自分の居場所を確保できることもあるのです。
発達障害グレーゾーンは、
定型発達者と、
全く同じに振る舞う事は出来ないし、
障害の程度の強い人達の中の1部のように、
突出した才能がある訳ではありません。
それでも自分の特性を知り、
そこを極めていく事で。
才能と呼べるものになるのではないか、
と思います。
