心的外傷/トラウマ

私の思い癖

友達

私のブログには、

「人に無視された」

とか

「仲間外れにされた」

とかいう出来事が多いな、
と感じることが多くなってきました。

それが事実か思い込みかどうかは、
問題ではなくて、
私の言動が、
そう感じることで制限されてしまう、
そのことがとても窮屈で、
疲れて、面倒くさい、
と感じるようになりました。

人間関係が上手くいっていない時、
私はとてもエネルギーを消耗します。

状況によっては、
家に帰ると疲れ果てて、
動けなくなってしまいます。

そんな生活を続けたくないな、
と思うようになりました。

そして、そんな気持ちと向き合った時に、
私はそのままの自分では、
人に受け入れてもらえないから、

「カテゴライズを主張する」

人間になっているのだと気づきました。

ただのじゅんちゃんだと、
仲間に入れてもらえないから、

「○○会社の女係長」

という称号を手に入れて、
職場の人達が女子会を開いた時に、
自分が呼ばれないと、

「私も女子なのに仲間に入れてくれない」

と、
自分を呼ばないあの人達は、
仲間外れをする酷い人達だと嘆き。

仕事で自分が主務の業務を、
上司が勝手に進めると、

「私は係長なのに私を無視した」

と感じて、
自分の存在価値が無くなった気がして、
ここに私は不要なのだと、
思って涙がでてくるという。

自分が入っている括りから、
自分を外されると、
とても傷つく人間なのだということを、
最近感じるようになりました。

そして、そんな主張を自分がするのは

「カテゴライズが同じである以外に、
人と繋がる術を持たない」

からだ、ということに気づきました。

小学校に入って、
沢山の同じ歳の子供達を見た時
私はこんなに同年代の子供がいたのかと、
ビックリしました。

それまで私は、ほぼ兄としか、
遊んだことがありませんでした。

そんな私は1人でいることも多かったため、
いつも一緒にいてくれる、
不思議な皆さんの存在を感じながら、
生きていました。

だから1人で寂しい、
などと感じたことはありませんでした。

でもそんな私が小学校に上がったら、
変わった子だと言われるようになりました。

確かに学校に馴染めなくて、
暴れて逃げ出したりと、
付き合うのに難しい子でしたが、
あの時の私には、
それが精いっぱいの行動でした。

先生達の言うことが、
分からなくて出来なくて、
泣いて暴れることでしか、
自分の気持ちを表すことが出来ませんでした。

そして、そんな私は、
周りから奇異の目でみられ、
疎外されるようになりました。

皆んなと一緒にいたかった私は、
仲間に入れてもらえなくなって、

「集団の中で感じる孤独」

を覚えました。

それが本当に辛くて恐ろしくて、
私は自分であることよりも、

「皆んなの中に入れてもらうこと」

を選びました。

それは自分を殺すことでした。

そして、
私の苦しみはここから始まりました。

人と違う自分では、
いけないのだと思い込んで、
必死で皆んなに合わす行為は、
あんなに大好きだった、
自分とずっと一緒にいてくれた存在を、
捨て去ることに繋がり、
そのことは私の心と体を蝕み続け、
やがて生きていくことさえ難しくなりました。

怪しいスピリチュアル講師に、
救いを求めてしまうくらいに。

そこまできてやっと、
私は自分の選択が、
間違っていたことに気づきました。

自分を殺す決意をしてから、
15年以上経っていました。

そしてそれから、
殺してしまった自分と、
世界を蘇生させるために、
20年以上の月日をかけています。

そんな中、自分と自分と一緒にいてくれる、
不思議な存在を愛しましょうと言ってくれる
魂カウンセラーさんに出会えたことで、
いま、ようやく少しずつ、
失った大事なものを、
取り戻すことが出来ています。

私はもう学生ではないし子供ではないから、
親の庇護を受けなくても、
生きていくことが出来ます。

1人で暮らすことが出来ているから、
蛍光灯の明かりが嫌で、
暗い中で生活していても母から怒られないし、
瞑想したり、
自分の心の中で遊んだり、
不思議な存在と心を通わせていたりしても、
親から気持ち悪るがられることもありません。

安心して自分が存在できる場所が、
あることが本当に幸せです。

だから、昔に感じた恐怖にとらわれて、
孤独を回避するために、

「カテゴライズで人と繋がること」

に執着することは、
もういらないんじゃないか、
と思えるようになってきました。

色んな肩書きを付けて、
自分の存在を、
めいいっぱいアピールしないと、
居られない場所に居続けることは、
私にとって辛いことしかないんじゃないか、
と思うようになりました。

本当に少しだけれど、
ただのじゅんちゃんで、
居られる場所があります。

ただのじゅんちゃんは泣き虫で、
こだわりが強くて、
人と会話が噛み合わなかったりします。

それを受け入れて見守ってくれる、
優しい人達がいることを、
私は知りました。

だから私を疲れたり窮屈にさせたりする、

「私は人に嫌われる」

という思いグセを手放すことにしました。

そんな風な考えが、
湧き上がってきていることに気付いたら、
私が自分で自分に

「愛してるよ、大好きだよ、じゅんちゃん」

と言ってあげようと思います。

そして、そんなただのじゅんちゃんと、
繋がってくれる人達を、
大切に大切にしていきたいと思います。