社会との関わり方

ASD(自閉症スペクトラム)を自己開示してはいけない

私はASD(自閉スペクトラム症)の、
グレーゾーンの人間です。
その事を検査で知ってから、もう1年以上、
発達障害専門カウンセラーの元に通って
その指導を受けています。

そのカウンセラーのおかげで私は、
私の自己肯定感を下げてくる人に対して
適切な態度で対処することが出来たため、
今の職場環境は、
かなり快適なものになっています。

自分がASDグレーゾーンであり、
ものの見方に偏りがあると知っている私は、
誰かと意見が合わない事態が起こるたびに、

「今の私は偏ったものの見方をしていないか?」

と自分に問いかけて、
相手の意見を受け入れる姿勢を示すことで、
職場の人間関係を、
円滑にする努力をしているのです。

そんな私の姿をみて、
私が非常に真面目な人間だと思う人は、
存在しても、
私がASDではないかと疑う人は、
今の支社には、
存在していないと自負しています。

だから、以前の営業所にいた時のように、
職場で、
お局部下から受ける苛めから逃れるために、
自分が、
ASDグレーゾーンであることを開示して、
周囲の人間の配慮を求めよう、
という気持ちは、
今の私からは無くなっていました。

だから私が、
先日受講したある講座の講師の方に、
自分がASDグレーゾーンであることを、
伝えたことに、
特に深い意味はありませんでした。
ただ、その講師の方が、
受講生に発達障害者が多いと話していたため、

「実は私もそうなんですよ」

と、話の流れで伝えただけだったのです。

講座の中で、自分に対して、
配慮して欲しいとは思いませんでしたし、
講師の方が言われている内容も、
理解していました。

ただ私はその講座の中で、
講師の方の教える考え方が、

「とても枠にはまった窮屈な考え方」

に感じられることが幾つかあって、
その考え方を自分に強要されることが、
とても抵抗があって、
心が苦しく感じることがありました。

そんな私の様子に気付いた講師の方は、

「講座の内容が理解出来ないのですか?」

と声をかけてきました。

なので私は、
講座の内容は理解出来るけれども、
講師が教える考え方が、
枠にはまりすぎて窮屈に感じていて、
その考え方を強要されることが、
苦しいことを伝えました。

けれど講師は、
自分の考え方が、
世間一般を代表する考え方であり、
私が枠にはまっていると感じる事が、
理解出来ないと言い、

「自閉スペクトラム症は、
相手への共感力が乏しいと言いますからね」

と結論づけたのです。

何度も言いますが、
私は講師の言う事を理解していました。

そして理解した上で、
講師の考え方を強要されることが苦しい、
と伝えていたのです。

けれど、
どんなに私が言葉を尽くして、
苦しく感じる理由を説明しても、

「この人はASDで共感力が無いから、
講座の内容が理解できない」

と思い込んでいる講師にとっては、
それが真実であり、全てでした。

私は講師に、
自分がASDグレーゾーンだと話したことを、
とても後悔しました。

どんなに私が自分の考えを口にしたとしても、

「この人はASDだから理解できないのだ」

という偏見で見られていたら、
議論にもならないのです。

そしてこれは、もともとの

「ASDは共感力がない」

と言われる内容にも関係することでした。

実は私は以前、京都大学の研究で、

「ASD(自閉症スペクトラム症)患者同士は共感しあう」

という研究結果が明らかになった事を、
ネットで知りました。

そして、その記事を紹介した文章の中で、

「ASD同士は共感できて、定型発達者に対して共感することは出来ない。
定型発達者同士は共感できて、ASDに対して共感することが出来ない。
共感とは一方通行で行うものではなく、双方向で行うものであるから、
ASDにだけ共感力がないと考えるのは、単に数の論理ではないか」

そう書いてあった時、
私は自分の中の疑問が解決したのです。

私は以前、

「発達障害グレーゾーンは人の気持ちが分らない訳ではない」

という記事の中で、

手が怒っていたり悲しんでいたりするのは分かるけれど、
なぜ悲しんでいるのか、怒っているのかが、理解出来ない」

と書いていました。

それがASDの、
共感力のなさのように言われていて、
自分でもそのように感じていたのですが、

「自分と同じような思考パターンの人にしか共感できない」

のは、ASDも定型発達者も同じであり、
定型発達者が、
共感力があるように思われているのは、
定型発達者の方が数が多くて、
自分と同じような、
思考パターンの人が多いからではないか、
と、そのネット記事は書いていたのです。

本当にその通りだ、と私は思いました。

人間は、
自分が理解出来ない出来事に出会った時、
その理由を見つけて安心しようとします。

今回の講座の講師のように、
私が講座の内容を理解しながら、
なぜ、
講師が教える考え方を苦しいと感じるのか、
その理由が理解出来なかった講師にとって
私がASDで、
共感力が無いから理解出来ないのだ、
と思う事は、
自分を安心させる理由として、
最適なものでした。

そして、
そのことを理由に安心した講師にとって、
それ以上、
その内容を掘り下げることはありません。

けれど、
私が講師の考え方を苦しく感じた、
本当の理由は、
『共感力の乏しさ』ではなく、
『思考パターンの相違』なのです。

定型発達者とASDでは、
生存数が圧倒的に違うため、
多数派が正論と言われてしまえば、
ASDは太刀打ちする事が出来ません。

そんな数の論理に負かされて、
悔しい思いをしないよう、
ちゃんと自分の意見を、
聞いて欲しいと思うのなら、
ASD(自閉スペクトラム症)
グレーゾーンであることは、
迂闊に話さない方がよいようです。