先日、
10月から始めた学びの課題が終了し、
ホッとした時間を過ごしていたのですが。
「そういえば、課題を作成し終わったら、
報告をしなければいけないんだった!」
ということを思い出し、
その内容が書かれた、
Facebookのメッセンジャーを、
遡って確認しました。
(Facebookの機能の1つである、
メッセンジャーはチャットと呼ぶのですね)
10月から始めた学びの、
メッセンジャーのグループに、
「課題を作成した人はこちらにメッセージをください」
と書いてあったので、
そのメッセージが書かれていた、
メッセンジャーグループに、
「課題作成終わりました」
と書き込んだのですが、
すぐに、このグループのお世話役の方が、
「違う〜」
と、
私が書き込んだ場所が、
違っていることを教えてくれました。
確かに課題作成が終わっている人は多いのに、
私以外誰も、
課題作成が終わったと、
書き込んでいる人はいなかったので、
「おかしいなぁ??」
とは思ったのですが、
自分が何か間違えているのではないかと、
このメッセージを再確認したところ、
やっぱり、
「"こちら"にメッセージをください」
と書かれていたので、
私はその言葉のとおり、
そのメッセージが書かれていた、
別のメッセンジャーグループに、
課題終了の報告を書き込んだのでした。
確認して間違えてしまったのだから、
私にはもう、
どうしていいか分かりません。
「"こちら"ってどちらだろう?」
途方に暮れながら、
また自分1人、
理解出来ていないことが悲しくて、
「定型発達者なら分かるのかな?」
と、
泣きたい気分になっていたら、
私が理解していないことを察してくれた、
グループのお世話役の方が、
私に個別にメッセージをくれて、
私がどうすればいいか、
丁寧に教えてくれました。
この方は以前、
私がやっぱりこの学びのグループの中で、
1人勘違いしてしまっていた時に、
私に連絡をくれて、
その時に、私がASDで、
言葉を額面通りに受け取ってしまう、
特性があることを話したら、
「気が回らなくてごめんね」
「気軽に質問してね」
と、優しい言葉をかけてくれた方でした。
前回も今回も、
人に助けて貰わなければ、
皆んなと同じことが出来ない自分に、
悲しくはなりましたが、
その方の親切が、
本当に心からありがたかったです。

だって私は。
学校という、
ある意味、生徒同士が争う社会の中で。
私1人、
皆んなについていけていないことに、
他の生徒達が気付いていたとしても、
皆んな自分のことで精いっぱいで。
手を差し伸べてもらえない悲しさを知っているから。
多分、私は、
自分が理解出来ていないことを教えてくれる、
親切な人がいなければ、
社会についていくことは出来ない人間です。
その親切な人を得るために、
以前の私は体を差しだしたりしていました。
そんな自分の特性と生い立ちが、
悲しく感じることはあるけれど、
誰も助けてくれない環境を経験している分、
助けてくれる存在の有り難さが身に染みます。
だから今回、
人の助けがなければ、
講座についていけない自分を、
とても悲しく感じましたが、
こんな風に意識を切り替えることにしました。
親切にしてくれる人がいる、
環境にいられる私は幸せだ。
そう受け取り方を変えたら、
皆んなについていけなくて、
悲しくて泣きそうだった気持ちが、
感謝でいっぱいになって、
今度は有り難くて、
泣きそうな気持ちになりました。
もし、
このブログを読んでくれているあなたが。
私と同じように、
人の助けがないと、
皆んなと同じことが出来ない、
そんな人だったとしたら。
きっとそんな自分に、
悲しい気持ちになると思うけど。
悲しんだ後は思い切り、
親切が受けられる自分の環境に、
感謝してみてください。
そうしたらきっと、
惨めに感じる気持ちから、
幸せいっぱいな気持ちに、
自然に変わることが出来ていると思うのです。