発達障害(ASD)グレーゾーン

不安はASD(自閉症スペクトラム)に必要なスキル

不安があってもいい理由

不安って、
メンタルヘルス的には、

「無い方がいい」

みたいに思われがちなのですが。

私は不安って、
あっていいと思っています。

なぜかというと。

私は元々、
担任の先生から、

「地に足が着いてない」

なんて言われる程度には、
ぼぉっとした子供で。

ASD(自閉スペクトラム症)の性質からか、
自分が興味のない人の話は、
ワザとではなくスルーしてしまっていて。

集団行動をする時に、
1人だけ指示を理解していない、
もしくは、
ASDの特性から、
1人だけ指示に対し違う解釈をしている、
なんてことが、
しょっちゅうある子供でした。

そんな出来事を、
子供の頃から繰り返した結果。

集団に対し一斉に指示を出される場合、

「見落としていることは無いか?」

「指示を正しく理解しているか?」

そんなことが気になってしまって、
自分が皆んなと同じように、
出来ないんじゃ無いかと、
とても緊張して、
不安になってしまいます。

それでも、
指示があったことに気付けていれば、
まだいい方で。

酷い時には、
指示を出されたことさえ、
無意識にスルーしてしまっていて、
1人だけ何もしていない、
なんて事態も発生してしまいます。

今月から始めた新しい学びでも、
すでに連絡されていたことを、
自分だけ知らなかったり、
人の名前を間違えたりといった失敗を、
何回も繰り返しました。

そして。

その新しい学びの中で、
作っているグループがあって、
3人1組でグループをまとめる役が、
当番で回ってくることになっていて。

10月の後半は、
私とあと2人にグループをまとめる役が、
回ってきていたのだけど。

私は10月の初めにその事を知ってから、
不安でたまりませんでした。

全く初めてのことで、

「何をどうすればいいのか?」

よく分かっていなかったから。

グループのまとめ役には、
報告や会議を行うという、
任務が付与されていて、
そのような任務を与えられると、
キチンと果さなければならないと、
異様にプレッシャーを抱える、
ASD特性の私は、
不安で心配だったから、
ずっとそのことが頭を離れませんでした。

でも、だからこそ。

報告や会議を行う締切日が、
だんだんと迫ってきていることに、
不安を感じることが出来て、
他のまとめ役からの連絡が無いからと、
自分から連絡するといった、
行動を起こすことが出来ました。

そして。

ようやく報告や会議の日程が決まって、
そのことを、
グループの皆んなに周知したのだけど、
あまり反応が無くって、
そのことでやっぱり不安になって、
自分の周知方法を確認したら、
グループの皆んなへ周知する方法を、
間違っていたことに、
気付くことが出来たのでした。

最初は自己肯定感の低さから、
「自分が嫌われてるから反応がないのでは?」
と疑ってしまいました。

これは、
不安があったからこそ出来たこと。

だから不安は、
自分を守るために、
未来に対する備えの行動を促す、
感情の働きだから、
あっていいのだと、
私は思っています。

ただ、大切なのは、その加減。

あまりに不安が強いと、
自分を守るための行動を取ることさえ、
出来なくなってしまうから。

不安は自分を守る行動を促してくれる感情

それを意識して、
不安を感じないようにするのではなく、
不安を緩和する方法を探していくことで、
不安の強いASDは、
社会で生きて生きやすくなると思います。

ASD(自閉症スペクトラム)に必要なスキル

私は10月から、
マルトリートメントを受けて、
愛着障害を抱えた人と、
ASD(自閉スペクトラム症)を抱えていて、
生きづらさを感じている人の役に立ちたいと、
新しい学びを始めました。

その学びの中で作っているグループの、
10月後半のリーダーになった私は、
皆んなの報告を取りまとめて、
講師の方にお渡しする、
という任務を行うことになりました。

全く初めてやる事だったため、
どのようにやるのか、
配布されている資料を確認したら、

「30日の23時59分までに報告する」

と書かれていました。

何となく、
月末の31日までだと思い込んでいた私は、
自分の勝手な思い込みで、
報告期限を間違えなくて良かったと安堵し、
前回同じ任務を担当していた方が、
報告締切日の2日前までに、
皆んなからの報告を集めていたので、
私も真似をして、
28日までに私に報告を出してくれるように、
お願いをしました。

「28日までに出してくれたら、
29日に取りまとめの作業をして、
30日に余裕を持って報告出来る」

いつも一斉に何かの説明を受けると、
ASDの特性から、
聞き漏らしたり、
勘違いしてしまったりして、
皆んなと違う行動を取りやすいけれど、
今回のこの任務は、
ちゃんと資料を読んで、
文章で確認したから大丈夫だと、
安心していました。

けれど。

今回の任務も、
私は間違えてしまっていたことが、
分かりました。

私はASDの特性から、
言葉を額面通りに受け取ってしまいます。

だから今回も、
30日と書かれていたから、
30日までの報告だと思っていたのですが、
そこに書かれている30日という日付は、

"月末"

という意味だったことを、
後から知りました。

このような勘違いをしていたのは、
私だけだったようなので、
おそらく定型発達者の方にとっては、
前後の文章の流れやニュアンスから、
月末と読み取れる内容だったのでしょう。

私も今の仕事でなら、
考え方が皆んなと違っていても、
今までの23年という、
職務経験から推察して、
おそらくこのような意味で、
この文章は書かれているのだろうと、
読み取ることが出来るのですが、
今回は新しく始めた、
学びのグループでの出来事だったため、
そのように推察が出来るほどの、
経験を積んでおらず、
ASDの特性全開のまま、
書かれている文字通り、
受け取ってしまったのでした。

私の間違いを教えてくれた方から、

「気が回らなくてごめんね」

という言葉をいただいた時、
私の目からは涙がこぼれてしまいました。

周囲の人に気を遣ってもらわないと、
皆んなと同じ行動が取れない自分が、
情けなく感じて。

この感情は小学生の頃、
皆んなと同じ行動が取れなくて、
人に気を遣われていた時に、
感じていたものと、
同じものでした。

私は今、
46歳という年齢だけれど、

「自分の本質は、
小学生の頃と何も変わっていないのだ」

と考えると、
その成長のなさに、
涙を堪えることが出来ませんでした。

その方は、
私のASDの特性を知ると、

「気軽に質問してね」

と声をかけてくれたのですが、
私はこれ以上、
自分を惨めに感じるのが嫌で、

「質問なんかせずに、
ちゃんと自分1人の力で頑張ろう!」

と考えていました。

でも、やっぱり、
初めてやる事に対して、
ASDの私は、
小さなことが気になったり、
キチンと書かれていないことは、
確認しないと不安になってしまうため、
結局、何回も、
その方に質問してしまいました。

そしてやっぱり、その方が、

「気軽に質問してね」

と言ってくれなかったら、
なかなか質問しづらかったと思うので、
私はその方の心遣いが、
本当にありがたくて、
心から感謝の気持ちが湧いてきました。

そして、気付いたのです。

「私はやっぱり、小学生の頃の自分とは違う」

って。

小学生の頃、
愛着障害も抱えていた私は、
人に気を遣われる自分が惨めで、
そんな惨めな自分を受け入れられなくて、
自分に対する親切を、
素直に受け取ることが出来ませんでした。

だから周囲の人間に対しては、
自分に親切にしてくれる相手でも、
自分のことなど、
誰も理解してくれないのだと心を閉ざして、
牙をむくばかりの子供でした。

でも、少しずつ自分を癒してきて、
自分のこんなASDの特性を、
愛おしいと思えるまでになった私は。

そんな自分に、
親切にしてくれる相手に対して、
素直に好意を抱けるようになって、
その親切に、
心から感謝出来るようにも、
なったのでした。

そして、
感謝している自分の方が、
心を閉ざしていた小学生の頃の自分より、
遥かに生きやすく感じるのです。

それは、そうですよね。

自分が出来ないことを、
手伝おうと差し出してくれた人の手を、
掴みにいっているのだから。

考えたら、至極当たり前のことなのだけど。

でも、子供の頃に、
機能不全家族の中で、
マルトリートメントを受けて、
愛着障害を抱えていた私には、
その差し出されていた人の手にさえ、
気付くことが出来なかったのです。

↓これが小学生の頃の私だとしたら…
独りぼっち

↓これが、自分を癒してきて、
愛着障害を少しずつ克服してきた、
今の私。
独りぼっちに差し出された手
ASDという、
生まれ持った特性は変わらないけれど、
1人で暗闇の中で泣いている私と、
差し出された手に気付ける私の人生は、
きっと全然違う。

だからASDの人間が、
幸せに生きるためには、

「人の親切を素直に受け取る」

このスキルが絶対に、
必要なのだと思うのです。

自分の苦手なことを、
頑張ることも勿論大切なのだけど、
それだけでは超えられないものは、
絶対にあるのだから。

周囲の人の無理解や、
異質なものを排除したがる社会の中で、
人と違う個性を持って生きてきたASDが、
人に心を開こうとするのは、
きっと簡単ではないけれど。

全部の人に心を開かなくていい。

自分に親切に、
優しくしてくれる人にだけでいい。

そうしたら、少しずつ、
世界は自分に優しくなっていくから。

そんな世界で、生きていこう。

決して劣っている訳ではないASD(自閉症スペクトラム)

2段落目の、
【ASD(自閉スペクトラム症)に必要なスキル】
の中で、
自分の情けなさに泣いたと書きましたが。

その時、私はまた、

「人と同じことが出来ない自分は劣った人間」

だという気持ちに囚われて、
何か怖いものから身を守ろうとするように、
この世に存在するのが申し訳ないように、
身を竦めて固まってしまっていました。

その気持ちは、
しばらく続いていたのだけど。

そんな私の頭の中に現れた、

「でもね?」

の気持ち。

人と違う思考回路の持ち主である、
ASD(自閉スペクトラム症)の私は、
確かに皆んなと同じ内容を聞いても、
同じように考えなくて、
同じ行動が出来ないけれど。

それって、
悪いことばかりでは、決してない。

現に昨日も仕事中、
皆んなが見過ごしていた業務の間違いに、
私1人が気付いて、
今日はその業務をやり直してもらっています。

私がその業務の間違いに気付いたのは、
消費税が10月から10%に変わるため、
処理を間違わないように、
注意を喚起するメールが、
本社から送られてきたからなのですが。

私と同じメールを見ても、
私の所属する部署の人達は、
私の上司も含め私以外誰一人、
そのメールが、
自分達の業務にどのように影響するか、
考えることをしませんでした。

そのメールを見た私が、
うちが行っていた業務の何が間違っているか、
説明するまで、
何もピンと来なかった定型発達の人達。

そこにあるのは、

「自分には関係ない」

という思い込み。

でもASDであり、
新しい物事に対する不安感が強い私は、
定型発達者の皆んなと同じように考えず、
この出来事が、
自分の業務にどのように影響するか
あらゆる可能性を考えました。

そして見つけた、
うちの部署が行っていた間違い。

これは新しい出来事に対して、
不安感の強いASDの私だから、
気付けたこと。

最初の段落、
【不安があってもいい理由】の、
記事の中で、

「不安があってもいい」

と書いたけど、
その通りの出来事だと思いませんか?

ASDって、人と違うって、
決して他の人より劣っている訳ではない。

人と思考回路が違うから、
理解してもらえなくて、
悲しい気持ちになることもあるけれど。

皆んなが気付けないことに気付ける、
そんな自分を素敵だと、
感じることが出来るから。

悲しい気持ちを感じて、
俯いて、
涙を流すことがあったとしても。

心の中の悲しみを、
涙で洗い流すことが出来たなら。

また顔を上げて、
堂々と生きていけると思います。