私の成育歴

私が自分の成育歴を振り返ることにした理由

見つめる女性

被虐待児だった子供時代

虐待を受ける子供

私は先日参加した通信制大学のスクーリングで、
臨床心理学の講義を受け、
被虐待児と発達障害の関係を学びました。

そして、この講義の中で先生の言われた、

健全に生まれた被虐待児が、発達障害になる可能性はある

という言葉に、私は大きな関心を引かれました。

なぜならこの話は私にとって、
決して他人事などではなかったからです。

私自身も子供の頃、
父親から虐待を受けていた被虐待児であり、
そんな私の状況を知りながら、
母親から放置されていた過去を持つ人間です。

あの頃の私は、
自分の気が狂うんじゃないかと考えていました。

そして自分の気が狂った方が、
ラクになれるんじゃないかと考えていました。

幸いにも幾つかの幸運が重なり、
気が狂う前に、
私は虐待の状況から抜け出せたけれど、
あれほど辛かったはずなのに、
若しくははあれほど辛かったからなのか、
私にその時の記憶はあまりありません。

時折、ふとした瞬間に浮かんできた、
当時の記憶の断片とともに、
虐待を受けていた時の身体感覚が甦り、
ゾッとすることもありますが、
それでもその記憶は、
しばらくすると、
紗幕がかけられたように霞はじめ、
どこか他人事のように、
遠のいていきます。

そのせいでしょうか。

大人になった今の私は、
自分が子供の頃に親から受けた行為は、
絶対に許せないことだと、
頭では理解はしているけれど、
酷いだけではなかった父がいたことも、
一生懸命私を育てようとしてくれた、
母の思いも分かるから、

私は子供の頃に虐待を受けた

と言い切ってしまうことに、
親が悪者になってしまう、
この言葉を使うことに、
罪悪感を覚えてしまうのです。

そして罪悪感を覚えた私の脳裏には、

虐待というのは大袈裟なんじゃないか?

という思いが浮かんできてしまうのです。

そのため、
通っている発達障害専門カウンセラーの先生に、
自分の幼少期の出来事を話したところ、
客観的にみてもやはり、
私の子供に起こった出来事は、
虐待に該当する内容のようでした。

私がこのブログで、
自分が被虐待児だということを、
カミングアウトした上で、
なぜ本当なら誰にも知られたくない、
無かったこととして生きていきたい、
自分が子供の頃に受けた虐待体験を、
綴っていこうとしているかといえば、
ASDグレーゾーンと精神科医師に言われた私が、
自分の過去を振り返ることで、
私の発達障害の症状に、
過去の経験がどのように関わっているか、
自分自身で確認したいという思いと、
生きづらさを抱えて生きてきた私の人生の軌跡が、
私と同じように、
発達障害や愛着障害の症状で苦しんでいる方の、
生きていく上での、
何等かのヒントになればいい、
と思ったからでした。

でもそう考えた時、
私の心には、
1つの大きな壁が立ちふさがっていました。

私が過去を振り返る際、『虐待』ではなく『マルトリートメント』という言葉を使うことにした理由

虐待ではない

私は第三者に自分の過去を初めて告白し、

「それは虐待だよ」

と教えてもらい、
さらに心理の専門家からも、

「あなたの受けていたことは虐待にあたると思います」

と言われたにも関わらず、
私は自分の過去を知った人達から、
自分の両親を悪く言われた時に、

嫌な、もしくは哀しい気持ちになる

という経験を繰り返していました。

第三者からみれば、
自分に酷いことをした人間を庇う行為は、
愚かにみえるかもしれませんが、
子供だった私には、
例えそれが、
相手(親)の気紛れで行われたことで、
優しくされたことの方が、
酷い扱いをされた経験より、
はるかに少なかったとしても、
自分に優しくしてくれた相手(親)の姿の方が、
本当の姿なんじゃないかと、
思ってしまうのです。

自分でも頭では、
そんなことは無いと分かっているのに、です。

これはもう、
親を庇いたいと思う、
子供の本能のようなものなのかもしれません。

そのため、
親から受けた言動に対し、
虐待という言葉を使うのに抵抗のある私は、
自分が親から受けた、
過去の虐待を振り返る記事を書く際、
事実をありのままに書く妨げにならないように、
親の全てが悪かったように感じてしまう、
"虐待"という言葉はあえて使わずに、

『マルトリートメント』

という言葉を、
使わせていただきたいと思います。

これは英語で、
maltreatment(マルトリートメント)と表記され、
treatment(扱い)にmal(悪い・悪く)という、
接頭語がついたもので、
意味は次のような内容になります。

児童虐待は「児童虐待の防止等に関する法律」第2条で、

  1. 身体的虐待…児童の身体に外傷が生じ、又は生じる可能性のある暴行を加える。
  2. 性的虐待…児童にわいせつな行為をする・させる。
  3. ネグレクト…児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置等、の保護者としての監護を著しく怠る。
  4. 心理的虐待…児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応等、児童に著しい心理的外傷を与える言動を行う。

と大きく4つに定義されていますが(一部条文抜粋)、
マルトリートメントには、
虐待という言葉に対し私達が持っている、

子供が対外的にも分かるほど傷つけられている
酷いと感じる比較的強い感情)

という一般的な認識だけでなく、

大人の子供に対する不適切なかかわり全般
可哀そうと感じる比較的弱い感情)

が含まれているため、
心理的にまだ使いやすい言葉になります。

大人になって生きづらさの原因を探し、
自分がASD(自閉スペクトラム症)、
アスペルガー症候群に該当する人間だ、
という答えに辿り着いた私ですが、
子供の頃の私のマルトリートメント体験が、
自分の脳や心の発達に、
どのように関係しているのか、
これから少しずつ、
自分の過去を振り返り、
解き明かしていこう、と思います。