私の成育歴

マルトリートメントと私3.4歳頃の記憶〜お母さんのお手伝い

皿洗いをする女の子
私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、私が自分の成育歴を振り返ることにした理由をご覧ください。
私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。

※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

4歳頃の記憶〜お母さんのお手伝い

4歳頃の私は、家族が大好きな、
特にお母さんが大好きな子供だったと思います。

だから、お母さんに喜んで欲しくて、
私はよく、
台所に立つお母さんについて行って、
お茶碗を洗うといった、
お手伝いをしていました。

子供の頃には気付かなかったのだけど、
私の家はかなり貧乏だったらしく、
台所は2畳ほどの広さで、
そこにシンクやガスレンジが置いてあったため、
お母さんとお父さん、
そこにシンクの高さまで背が届かない私が、
踏み台を置いて並んで立ったら、
もう台所はぎゅうぎゅう状態で、
私は両親とそんな近さに居られることが、
本当に嬉しく感じていました。

私がお茶碗洗いの手伝いを自分から進んでしていたのは、
お母さんに喜んで欲しかったことと、
お母さんのそばに居られることが理由でした。

お母さんのお手伝いで皿洗いする女の子
でも、いつからか。

私がお茶碗洗いのお手伝いをお母さんに申し出ると、

「じゃあ、お願いね」

と言って、
お母さんは台所から出ていって、
隣の居間でお父さんやお兄ちゃんと一緒に、
テレビを見るようになってしまいました。

私は障子1枚を隔てた隣の居間から聴こえてくる、
家族の楽しそうな声を聞きながら、
1人で踏み台の上に立って、
家族4人のお茶碗を洗うようになりました。
(私は両親と1歳上の兄との4人家族でした)

それは、自分が家族の中で1人、
仲間外れにされたような感覚で。

あんなに楽しかったお茶碗洗いのお手伝いは、
なんだか、
とても辛く感じるようになってしまって、
私は早く、
家族皆んながいる居間に戻って一緒に居たくて、
なるべく早く、
お茶碗洗いを済ますようになりました。

1人で台所に立っているのが寂しくて、
でも、
お母さんには喜んで欲しかった、
4歳の頃の私の、
手を抜いたお手伝い。

けれど、このやり方は、
お母さんの気に入らなかったらしくて、
お手伝いが終わった後に、
私はお母さんに、
終わったことを報告していたのだけど、
以前はお茶碗を洗い終わった様子をみて、
あんなに喜んで、
褒めてくれていたお母さんが、
私の終わったお手伝いの確認に来たときに、

「洗った後の飛び散った水を拭いてないじゃない!」

とダメ出しして、

「ここまでやって終わりだから」

と、とても不機嫌に怒りながら、
私の洗った後の、
シンクの水跳ねを拭いていて、
私はそのお母さんの様子に、
1人で、
台所でお茶碗を洗う寂しさを伝えられずに、
お手伝いをしても、
お母さんに怒られる悲しさを、
ただ黙って心に感じていたのでした。

追記

お母さんの言葉の影響力の大きさを実感したこと

ピカピカな流し台
この時のお母さんの言葉は、
よほどトラウマになっているのか、
家事に関しては、
かなりズボラな私が、
この時から40年以上たった今でも、
お茶碗を洗い終わった後は必ず、
キッチリと、
シンクの水跳ねを拭くことだけは、
欠かさずに行っています。

この過去を振り返るブログを書かなければ、
なぜ自分が、
シンクの水拭きだけはちゃんとやるのか、
気付くことは出来なかったので、
幼少期に親から言われた言葉の影響力の大きさを、
改めて知ることができました。

私がお母さんを喜ばせたかった本当の理由

今、岡田尊司先生の
「愛着障害〜子ども時代を引きずる人々〜」
を読んでいます。


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偶然、この本の中に、

不安定な愛着状態におかれた子どもは、3、4歳の頃から、保護者のように親を慰めたり手伝ったりすることで、不足したり不安定だったりする親の関心を補うようになる。

という記載があり、
まさに自分だ、と思いました。

このような周囲をコントロールするような行動が、
その後の人格形成に、
大きな影響を及ぼすと書かれていますが、
本当にそうだと、
大人になった私は実感しています。