セラピー/カウンセリング

発達障害グレーゾーンの人には知っておいて欲しい『定型発達者が全て正しい訳ではない』ということ

普通と発達障害の定義

大人から植え付けられた『普通』とは違う=劣っているという認識

ブランコに乗った小学生
私は小学校に入学して、
社会というものに加わるようになってから、
皆が当たり前に出来ていることが、
出来ない人間なのだということを知りました。

そして、そんな、
人と同じことが出来ない自分を、
人より劣った存在だと、
考えるようになりました。

本当は自分からそんなことなど、
考えもしなかったのですが、
周囲の大人達から、
そう言われていたために、
(特に母親はそう言って嘆いたために)
私は人より劣った存在なのだと、
理解するようになったのです。

そしてその考えは、
自分の意見が人と違った時に、

「相手が合っていて私が間違っている」

と考える、
全く自分に自信のない人間を作り上げました。

自分の意見をいうと集団から外れてしまう

その思いは、
自分の考えを口にする妨げとなり、
私は成長するにつれ、
何でも人の意見に同調する、
全く主体性のない人間に、
なっていってしまいました。

誰にも助けてもらえない『孤立するASDグレーゾーン』

女性のいじめ
そして社会というものは、
本当に怖いもので、
社会でどうやって生きていったらいいか、
分らないまま、
手さぐりで生きていた私の自信の無さを、
どうやって嗅当てるのか、
騙したり、
利用したり、
脅したりして、
自分に都合のいいように、
私を取り扱おうとする輩が、
私の周りには、
必ず現れるようになりました。

私はその時必至で、
周囲の人達に助けを求めましたが、
元来の、
人との関わり下手が邪魔をした為か、
私の助けを求める声は、
誰にも届くこともなく、
私は人生が、
苦しくて苦しくて1人もがき続け、
その苦しい思いから、
激しい胃痛に見舞われ、
救急車で運ばれたことも2度ほどありましたが、
医者からも、

「精神的なものだから手の施しようがない」

となんの処置もしてもらえず、
私はただベッドに寝かされたまま、
ひたすら痛みに耐える、
という経験をしました。

そんな経験が、
積み重なったことが、
功を奏したのでしょうか。

誰からも、
救いの手を差し伸べられなかった、
私はとうとう、

自分を幸せに出来るのは自分しかいない

と、
自分が幸せになるために、
人に頼るという思想を、
手放す結論に辿り着きました。

それからの私は、
主に精神的な面に重きを置いて、
自分を幸せに、
出来るようなものがあれば
怪しいものから、
学術的なものに至るまで、
実に様々なものに、
手を出したのですが、
実は、

発達障害専門カウンセリング受診

も、
その中の1つでした。

発達障害専門カウンセリングが私にもたらした気付き

カウンセリング
そして、先日のこと。

その日の発達障害専門カウンセリングで、
私は最初は受診を迷っていた、
このカウンセリングに、
通う事にして本当に良かったと、
思った出来事がありました。

それは、
定型発達者である、
そのカウンセラーが、
私と同じ考えを持っていることを、
知ることが出来たからでした。

もともと、
発達障害グレーゾーンの人間である私が、
何故こんなに、
自分に自信がないかといえば、

素の自分でいると、
普通から外れて奇異の目でみられる

という経験を、
社会にでてから、
積み重ねてきたからでした。

だから必要以上に、
人の目が気になるようになり、
人といると絶えず、

(私の言動はこれで大丈夫だろうか?)

と心配してしまうため緊張がとれず、
人と一緒にいたい、
という気持ちがありながらも、
1人の方が気が楽という、
結果に落ち着いてしまっていました。

でも私は40年以上生きているうちに、
自分なりに、
辿り着いた答えがありました。

それは…

定型発達者同士であっても、
普通だと思っていることが全く同じ人などいない

ということでした。

定型発達の人同士は普段、
自分が普通だと思っている部分が、
多く重なっているから、
気が付かないだけで、
皆んなそれぞれ、
人とは違う部分を持っているのです。

この下の図のように。
普通と発達障害の定義

そして発達障害、
特に社会で苦労しながらも生きていける、
グレーゾーンの人間は、
人と外れている部分が、
定型発達と呼ばれる人達より、
多くあるだけなのだと、
社会で25年以上何とか生きてきた私は、
そのように思うようになったのです。

そんな自分の考えが、
この日、
発達障害専門カウンセラーと同じと知って、
私はとても嬉しくなったのでした。

それは、
自分の意見は間違っていると、
常に考えてしまう癖がつくくらい、
自己否定が習慣化してしまった私にとって、
自分という存在を、
認めてもらえたかのような喜びを、
私に与えてくれたのでした。

ただ、
そのような成功体験が1回あったとしても、
長年染みついてしまった思考法は、
簡単に成功体験の記憶を打ち消して、
事あるごとに、
私が間違っているのだと、
無意識に私に思わせてしまいます。

その後に受けた、
発達障害専門カウンセリングでも、
私はカウンセラーの言葉に対して、
自分でも気づかぬうちに、
そのような発言を、
してしまっていたようでした。

そのため、
私はカウンセラーから
こんな言葉を言われました。

「定型発達者が全て正しい訳ではない。
ただ発達障害者よりも生きやすいというだけです。
定型発達者同士だって人間関係で争っているでしょう」

その言葉を言われた時に、
私ははっとして、
カウンセラーの顔を見返しました。

カウンセラーの言いたい事は、
私が常日頃から、
思っていることと同じだったため、
痛いほど分っていました。

分っていたのに、
私は長年の習慣から、
無意識に、
自分が間違っていると思ってしまい、
しかもそう思っている事に、
気付くことさえ出来ない自分が、
とても悲しく感じてしまいました。

その無意識の中に、
発達障害グレーゾーである自分が、
長い間虐げられてきたのだという事実を、
感じ取ったからでした。

定型発達者が正しいという思い込みのために、
私が今までどれだけ、
劣等感に苛まれてきたか。

私はそんな自分の過去を振り返り、
どれほど自分が、
勘違いの劣等感を味わっていたのかに、
思いを馳せました。

私は思考に囚われると、
一切の動きを止めてしまいます。

この発達障害専門カウンセリングでは、
私はよく動きを止めるため、
その度にカウンセラーから

「今はどうして止まっているの」

と、
質問を受けることが何度もありました。

この時も、
動きを止めた私を、
カウンセラーが見つめたため、
私は自分が、
動きを止めた理由を説明しました。

理由を聞いたカウンセラーは、
私にこう言いました。

「過去のことはいい。
自分の思考を、
自分で気付くことは出来ないから、
私のような、
第三者に教えてもらう事が必要なんです」

もし子供の頃に、
私に自分の気持ちや、
感情を打ち明けられる人間がいたら。

もっと早く、
自分の劣等感を抱く理由は間違いだったと、
気付くことが出来たかもしれません。

でも私は、
その頃には人がすっかり怖くなっていたので、
そんな事を、
話せる相手はいませんでした。

だから私は、
自分で気付くしかありませんでした。

そして気付いてからも、
自分の思考の歪みを教えてくれる相手である、
この発達障害専門カウンセラーに出会うのに、
10年以上かかりました。

定型発達者がいつも正しい訳ではない。

気付けば当たり前の、
なんということは無い真理です。

でも、だから思うのです。

このブログを読んでくださっている
発達障害(ASD)グレーゾーンの皆さんが、
私のように無駄な時間を過ごすことなく、

「定型発達者が全て正しい訳ではない」

という、
当たり前の思考を持って、
生きてくださるようにと。

それだけで、
発達障害(ASD)グレーゾーンが抱える、
劣等感や罪悪感は、
少し軽くなっているのではないか、
と思うのです。