社会との関わり方

私が自分を嫌っていたお局部下からプレゼントをもらえた理由

4月にお局部下がいた営業所から、
支社に転勤になりました。
昨年からずっと希望していた異動でした。

発達障害グレーゾーンで変化を嫌う私が、
引っ越しを伴う異動を希望していたのには、
訳がありました。

それは勿論、

「お局部下から嫌がらせを受けて、
耐えられなかったから」

という理由からでした。

私は2年前にここの営業所に転勤になってから、

私のカップだけ洗わない

私の言うことを無視する

といった嫌がらせを、
お局部下から受けてきました。

初めていった見知らない土地で、
その場所のボスとして君臨している、
人間から嫌われるのは、
とても辛いものです。

私が自分のことを、

「発達障害ではないか?」

と疑って検査を受けて、
自分が発達障害グレーゾーンだと知ったのも、
お局部下から毎日受ける仕打ちが、
あまりに辛くて、

「なんで私の人生ではこ、
んなことが繰り返されるのだろう?」

と、
この苦しい人生から逃れたかったからでした。

私は総合職なので転勤が多いのですが、
どこの営業所や支社にも、
一般職で採用され異動がない為、
そこに長くいるからと、
一番偉そうな態度で働いて、
その営業所や支社で、
一番扱い辛いと思われている、
いわゆる「お局」と呼ばれる女性から、
目の敵にされて、
無視などの嫌がらせを受ける事が、
本当に多かったのです。

「私の何がいけないんだろう?」

本当に辛くて、
自分の人生を幸せにする解決策が欲しくて、
私は発達障害の検査を受けたのでした。

自分が発達障害グレーゾーンだと知り、
発達障害専門カウンセリングを受けて、
人付き合いの技術を学んでいくにつれて、
私に対するお局部下の態度は、
どんどん緩和されていきました。

私は深い付き合いは望んでおらず、
仕事に支障が無い程度の人間関係が築ければ、
それで良かった為、
お局部下が私に対して、
敵意をむき出しにして働かなくなった事に、
本当に満足していました。

けれど、お局部下の態度は、
彼女が逆境にたった時に、
さらに急激に変化しました。

お局部下の家族が体調を悪くして、
長期で、
仕事を休まなければならなくなったのです。

家族の介護で休んだお局部下の仕事は、
私ともう一人の部下の女性とで、
やる事になりました。

そして、介護で休んだお局部下の、
社会保障手続きなどをするために、
私の仕事量は倍くらいに増えました。

毎日残業するようになりましたが、
その忙しい合間を縫って、
私は家族の看病で時間の無いお局部下の為に、
色々な社会保障制度を調べて、
お局部下に教えてあげるようにしていました。

その行動は決して、
彼女に対して、
特別にやさしく接した訳ではなく、
やらなければならない、
自分の仕事をきちんとこなし、
上司として、
部下の事を思いやっただけだったのですが、
そんな私の行動に、
お局部下はとても、
感謝してくれるようになりました。

「本当にありがとうございます」

お局部下からは、
何回も感謝の言葉を言われましたが、
私のとった行動は、
彼女から嫌われた時と、
何も変わってはいませんでした。

やらなければならない事はちゃんとやる。

私が彼女に対してとったのは、
発達障害グレーゾーンの特徴である、
真面目な行動だけでした。

けれど、その真面目な行動がもたらしたのは、
彼女の仕事上の間違いを指摘する、
といった時には嫌われ、
彼女の介護休暇取得を援助する、
といった時には感謝されるという、
実に正反対の結果でした。

大部分の人は自分の損得で相手への評価を変えるのです。

そこに、相手の人間性は関係ありません。

発達障害グレーゾーンで、
仕事に私情を挟むのはおかしい、
と考える私にとって、
このお局部下の態度は、
あまり理解出来るものではありません。

けれど社会で生きていく上では、
お局部下のような人間の方が多いのだと、
発達障害専門カウンセラーは言います。

では社会で、
人と揉める事無く幸せに生きていくために、
論理・推理といった想像力が、
一般より低い私は、
人間はそういうものだと学んで、
対処していくしかありません。

学んで対処することは、
自分を殺すこととは違います。
自分を守りつつ、
社会で生きていく方法の1つなのです。

私がお局部下のいる職場から異動する時に、
お局部下とその友人から、
感謝の言葉と一緒に貰ったプレゼント。

発達障害専門カウンセリングで、
人付き合いの方法を学んだ成果は、
確実にでているようです。