愛着障害

涙が出た2回目の精神科受診

悲しむ女性

昨日は2回目の精神科受診日でした。

1回目の精神科受診で、
ウェクスラー式知能検査の中の、
16歳以上の成人知能検査である、
WAISIIIを、
受ける流れを書かれた紙を、
見せてもらいながら、
説明を受けたのですが、
多分、
その時の私の頭の中は、
検査を受けて、
自分の状態をはっきりさせたい、
という思いでいっぱいで、
その説明の紙をもらったのか、
ただ見せられただけなのかも、
記憶になかったため、
2回目の検査の流れを、
把握していませんでした。

臨床心理士の方と個室に入り、
絵の書かれた簡単な質問に、
◯、✖️、△、
で答えるように言われたのですが、
これが難しすぎて、
私は思わず涙を流してしまいました。

その質問は子供の頃の自分と、
現在(大人)の自分で、
答えるようになっていて、

「子供の頃の自分は、
小学校6年生くらいで構いません」

と臨床心理士の方は言われました。

そして、こう付け加えたのです。

どちらも自分で努力して身につけたものではなく、努力しなかったならばどうなっていたか、で答えてください。

この一言で、
この質問の難易度は、
格段に上がってしまいました。

言いたいことは、分かります。

後天的に身につけた、
社会性で答えてしまったら、
ちゃんとした発達障害の診断が、
出来ないということは。

けれど。

私はすでに、
小学校3年生くらいの時に友達に、

「私に普通を教えてください」

と頭を下げて、

「私のマネをしたらいいよ」

と言われ、

自分を殺して、
その子のマネをして生きてきた人間でした。

それくらい、
集団生活での生きづらさと、
普通に出来ないプレッシャーに、
小さな頃から苦しめられてきたのです。

小学校6年生の私は、
すでに努力の結晶の人間でした。

それでも中学校の担任の先生から、
友達の家での家庭訪問で、

「あの子は変わっている」

と言われ続けて、友達からは、

「私の家庭訪問だったのに、あなたの話ばかりだった」

と苦情を言われたのです。

そんな私の本質は、
大人になってからも変わりません。

35年以上努力しても変わっていない、
自分の心の中の本質に気付いたから私は、
父親からキチガイ呼ばわりされた、
精神科受診を決意したのです。

自分で努力して獲得したものを、
抜いて回答したのなら、
子供の頃の自分と、
現在の大人である自分の、
違いなどありません。

そして、
小学校6年生では意味がありません。

私が私らしく小学校でいられたのは、
小学校1年生で入学した、
ほんの最初の時だけだったからです。

その時の私は、
小学校中の人間が遠巻きに見つめる中、
体育教師と1対1で睨み合い、
自分から突進していって、
簡単に張り飛ばされ、
それでももう1回立ち上がって、
突進していくような子供でした。

まぁ2回目とも、
簡単に張り飛ばされて終わりましたが。

体育教師は体が大きく力が強かったため、
小学校1年生の、
入学したての女の子の体など、
頰を思い切りひっぱたいただけで、
簡単にすっ飛んでいきました。
(早生まれだったため、
同級生と比べても体は小さい方でした)

それから、
授業を妨害するくらいの暴れ方は、
しなくなったと思います。

そんな人間に。

「小学校6年生の時に、授業中にじっとしていられませんでしたか?」

などという質問をされても、
私には、
何て答えようもありませんでした。

私が暴れる時には、
私なりの理由がありました。

ただ、じっと出来ない、
という理由ではなかったのです。

こんな画一的な質問に答えて、
自分はこんな人間だと診断されることを、
私はとても恐れました。

精神科受診は自分にとって、
発達障害と愛着障害を改善する、
最後の希望だったからです。

けれど臨床心理士に、
私のこの気持ちは伝わりませんでした。

私は、
今までの人生で繰り返してきたように、
ここでも、
自分の気持ちが伝わらないことに、
もどかしさを感じながら、
苦しい気持ちでこの質問に、
画一的に答えていったのでした…