9月から10日間の、
サイコセラピーの講座に通っています。
自分の人間関係を良くしたいと思って、
オープンセッションを受けたのですが、
私が人と上手く関われないのは、
子供の頃に原因があるようだけれど、
私は子供の頃の自分の感情を、
ちゃんと感じられていないから、
セッションが進まないと言われて、
今現在は一生懸命、
自分の子供の頃の出来事を、
思い出しているところです。
子供の頃に、
親の愛情を受けられなかったことが、
成長するにつれて、
人間関係に影響を与えるようなので、
自分もそうなのかな?
と思っていたのですが、
イメージの中で親に対して、
「もっと愛して欲しかった」
と言っても、
あまりピンと来ませんでした。
感じることを止めてるのかなぁ?
と思っていたのですが、
私には、
愛されたいという気持ちの前に、
もっと切実な想いがあったことに、
今日気づきました。
「存在を認めて欲しい」
この言葉が浮かんだ時に、
愛して欲しいでは出なかった涙が、
はらはらと流れていました。
「存在させて、存在していいって言って」
そう思ったら、
喉の奥が腫れたように感じて、
少し胸が苦しくなりました。
「女の子ならいらない」
生まれたばかりの私を見て、
父が言ったというその言葉を、
私は覚えていないのに、
ただその言葉を思うだけで、
体に衝撃が走って、
呼吸が苦しくなりました。
私はただ、
私の存在を、
私が生まれたことを、
祝福して欲しかった。
それが、
私がまず一番に感じた想いなのだ、
と思いました。
愛されたいと繋がる、
想いだとは思うけれど、
まず存在を認めてもらえなかったことが、
悲しくて苦しかったのだと思いました。
そして、その想いを感じていたら、
左の肩胛骨から下が痛くなって、
1時間ほど、
意識を失ったように、
眠ってしまっていました。
今もまだ、
左の肩胛骨と肋骨の裏の痛みは、
続いています。
左の肋骨の裏の痛みは、
子供の頃からずっと感じていて、
少しずつ忘れていたものでした。
この痛みがずっとあったから、
私は子供の頃に自分は、
長くは生きないと思っていました。
子供の頃は、
呼吸が止まる位に痛くて苦しんだ、
この痛みだけど。
私が生きる為に封じ込めた想いが、
ここに残っているのなら、
今度こそちゃんと感じきってあげたい、
と思いました。