セラピー/カウンセリング

カウンセラーとさえ分かり合えない事実との向き合い方

それは、
前回の発達障害専門カウンセリングから、
2週間をあけて、
カウンセリングを受けた時に、
起こった出来事でした。

カウンセラーはいつものように、
2週間の間に何があったかを、
私に聞いてきました。

そのため私は、

「自分が失敗した話」

をカウンセラーに話しました。

発達障害グレーゾーンの私は、
人の言葉を真に受けすぎたり、
自分の意見を率直に言い過ぎる、
きらいがある為、
普段一緒に働いている人間に対しては、
クッション言葉を使ったり、
その人がどのような傾向のある人間か、
見極めて、
自分に出来る、
最大限のコミュニケーションスキルを、
使うのですが、
先日、九州支社から査察に来た、
幹部の方達は初対面だった為、
距離の取り方や接し方がよく分らず、

「意見があるなら遠慮せずに、
何でも言って下さいね」

という相手に対し、
私は本当に忌憚ない、
自分の意見を率直に具申して、
相手を不快にさせてしまった為、

「相手の性格と距離感を見誤り、
接し方を失敗した」

と思った、という話でした。

私にとってこの出来事は、
いつも行っている、
コミュニケーショントレーニングの、
実験の結果の一つだったのですが、
カウンセラーからはこの出来事に対して、
私が予想だにしない答えが返ってきました。

「反省したのですね」

カウンセラーのこの言葉を聞いて、
私はとても驚きました。

私は自分が”失敗した”とは言いましたが、
”反省した”などとは、
一言も言わなかったからです。

「反省なんかしてないですよ?」

カウンセラーの言った、
”反省した”という言葉の中に、
内罰的な響きを感じ取った私は、
カウンセラーの誤解を解こうと、
こう言いました。

するとカウンセラーは

「でも、失敗したって言いましたよね」

と言ってきました。

「だから、失敗したけど、
反省はしてないんです」

私がそのように返すと、

「失敗したと思うって事は、
反省したって事ですよね」

とカウンセラーはまた言ってきて、
私とカウンセラーは暫く、
このような水掛け論を繰り返していました。

「何でカウンセラーは、
失敗したら必ず反省すると、
思い込んでいるんだろう?」

議論にうんざりしてきた私は、
そのような事を考え始めて、

「失敗する」

という言葉に対して持っている概念が、
カウンセラーと自分では、
違う事に気付きました。

カウンセラーにとって失敗するという事は、

「反省するもの」

であり、
後悔や自分を責める要因に、
なるものらしいのですが、
私にとって、
(今回の場合の)失敗するという事は、

「この方法は誤りだと分った」

という事であり、
決して自分を責める要因には、
ならないものでした。

それは私が、職場での人間関係は

「生きる糧を得る為のもの」

と割り切り、
決してプライベートな繋がりを求めていない、
というところにポイントがありました。

今の私にとって職場は、
自分の生きる糧を得る場所でもあるけれど、

「自分のコミュニケーションスキルを上げる実験場」

といった意味合いも持っていました。

発達障害専門カウンセリングで習った事を、
職場で実践し、
自分の社会で生きていく能力を上げる事で、
自分がもっと、
自分らしく生きて幸せになることが、
私が今現在、
仕事よりも熱心に取り組んでいる課題でした。

そんな実験場で、
失敗するたびに反省し、
自分を責めて後悔などしていたら、
実験する事に臆病になってしまい、
よりよい実験結果など、
得られるはずがないのです。

私は職場で、
発達障害専門カウンセリングで習った事を、
実践する時、
いつもトーマス・エジソンの、
次の言葉を思い浮かべていました。

私は失敗したことがない。
ただ1万通りの上手く行かない方法を
見つけただけだ。

私は今回、
「失敗した」という言葉を使ったけれど、
心の中では、

「この場面でこの方法を使うと失敗するのだ」

という事を学んだ、
という風に捉えていました。

そして、私にとって反省という言葉は

「自分のやった事は間違っていた」

と、自分を責める意味合いに感じられる為、
カウンセラーの

「反省したのですね」

という言葉に、
自分が実験から学んだ事を否定されたようで、
反発を覚えて、
決してカウンセラーの言葉を、
受け入れることが、
出来なかったのでした。

私はカウンセラーと、
理解しあえない事が分って、

「もう(この話は)いいです」

と、
この相容れる事のない議論を、
終わらそうとしたのですが、
私が癇癪を起したと思ったカウンセラーから、

「失敗するという言葉を、
皆んながどういう意味合いで使っているのか、
ネットで調べてみてください」

と言われました。

私は無駄な事だと思い、
やろうとは思いませんでした。

一般の人が、
失敗したと思ったら反省するという事は、
カウンセラーとの議論でよく分ったからです。

一般の人の思考法は分ったけれど、
私はその思考法を真似しようとは思いません。

失敗する度に反省していたら、
私は以前の、
夢ばかり大きくて何も行動に移せない、
臆病な私に戻ってしまう事が、
分っているからです。

失敗は上手くいく道を見つけるための第一歩

今まで自分の生き辛い人生を歩んできて得た、
そんな自分の思いは、
一般という言葉に流されることなく、
大切に持っていたいと思います。