幸せになる方法

精一杯の子育てから私が得たもの

お宮参り

20歳で自殺未遂をして、
それから8ヶ月後くらいに離婚して、
私は縁もゆかりもなく、
知り合いもいない、
元結婚相手の地元で、
1人で0歳児の赤ちゃんを育てました。

元結婚相手は、
私が離婚後も自分の地元に居続けたのは、
自分への嫌がらせだと、
思っていたようですが、
私にそんなつもりは毛頭なく、
単に私に、
実家に戻って両親と暮らすという選択肢が、
なかったからというだけの事でした。

機能不全家族の中で育った私にとって、
実家や親戚達が暮らす自分の地元は、
決して逃げ帰れる場所ではなかったのです。

そんな私の子育ては本当に手探りで、
私は下ろすと赤ちゃんが泣くからと、
抱っこをやめることが出来ず、
トイレに行くのを我慢しすぎて、
2回も膀胱炎になりました。

子供のあやし方さえ分からずに、
子供の背中を、とんとんと叩くことも、

スピードや力加減はこれで良いのだろうか?

などと、
悩みながらぎこちなく行っていました。

機能不全家族の中で育って、
家庭の暖かさが、
よく分からなかった私には、
どのようにしたら、
子供を幸せに育てることが出来るのか、
よく分からなかったのです。

もちろんシングルマザーとなった私は、
子供の面倒を見るだけではなく、
生活のために働くことも、
しなければなりませんでした。

朝の3時から新聞店で1時間働いて、
8時過ぎに子供を保育園に預けに行って、
9時から3時まで食堂でパートをして、
その後、子供を迎えに行くという生活を、
約1年続けました。

とても、貧しい生活でした。

そんな生活の中でも、
子供はいつもなんの屈託もない笑顔を、
私に向けてくれました。

自分のことを、
こんなに受け入れてくれて、
愛してくれる存在は初めてだ、
と思いました。

そして、この子には、
私しか頼る人がいないのだ、と思うと、
自分でも知らない家庭の暖かさを、
この子に味あわせてあげなければいけない、
と思いました。

絶対に人生を立て直す。

そんな目標を立てた私は、
こんな、
その日暮らしのような生活ではダメだと思い、
きちんとした正社員の職に就こうと、
新聞店の仕事が終わって、
食堂のパートに行くまでの間と、
子供を寝かしつけてからの何時間かを、
資格試験の勉強に当てました。

幸い、その努力はきちんと実り、
私は資格試験に合格したおかげで、
周囲の誰もから高望みと言われた、
大手企業に就職することが出来ました。

それからも、職場で虐めにあったり、
不倫騒動に巻き込まれたり、
親との関係改善のために、
心理セラピーに、
高級外車が買える程のお金を注ぎ込んだり、
中学校から高校の間の子供の生活態度が荒れて、
あんなに頼りたくなかった両親に、
泣きながら電話をしたりと、
色んな出来事があったのですが。

娘は一昨年結婚し、
昨年の12月には、
孫を抱っこするという経験が出来ました。

新生児

そして先日は、
孫のお宮参りに行くことも出来ました。

お宮参り

普通の人並みな幸せを、
自分の娘が経験出来ていると感じることが、
私にとってとても感慨深いものでした。

あの時、助かって良かった。

あの自殺未遂をした時に、
そのまま死んでしまっていたとしたら、
私にとって生きることは、
とても苦しくて辛いことのままで、
終わっていたでしょう。

けれど、精一杯、
子供を育てるという経験をした私は、
図らずも家族の暖かさを、
子供から教えてもらうことが出来ました。

生きてきて良かったと、思います。

私は今、40代半ばという年齢ですが、
人生という長い視点でみたならば、
まだ半分程しか生きていません。

これから、
生きていて良かったと思う経験を、
いっぱい重ねていこうと思います。