昨日、私の部下の1人が、
体調不良でお休みしました。
その部下が休んだ日の仕事は全部、
私がやらなければいけません。
私の勤める会社では、
自分の仕事を代行してくれる人が、
決まっていて、
自分が休んだら、
その人1人に負担が行くため、
通常、急に休む時には、
その日にどんな仕事をしなければならないか、
代行者に一言連絡することが、
慣習になっていました。
けれど、その部下は、
課長に休む電話を入れたきりで、
私には一切何の連絡もしませんでした。
そのため、私はその部下が休んだ日に、
どんな仕事をこなさなければいけないのかを、
休んだ部下の机の上に乗っている書類を、
全て確認してから、
自分で判断して、
対応するしかありませんでした。
おかげで、一つやらなければいけない仕事を、
見過ごしていて、
危うく間に合わなくなりそうな仕事が、
1件、発生してしまいました。
(大事になる前に気付き、なんとか間に合いました)
そんなこともあったので、
その部下は定型発達者なのですが、
ASD(自閉スペクトラム症)に該当する、
私の目から見ても、
他人に対する気遣いの出来ない人だなぁと、
感じてしまいました。
その部下は、総合職入社でありながら、
今までほとんど、
転勤したことが無かったため、
久しぶりの転勤で、
うちの支社にやってきた時に、
今まで自分が働いていた支社とは違う、
うちの支社のやり方に、
最初は随分、反発していました。
そして、自分が元いた支社の、
やり方が正しいという思い込みから、
「ここの支社の人達に嫌われてもいいから、
私はここの支社の人達の、
間違った仕事のやり方を正す」
と宣言した時に、
まるで昔の自分を見ているようで、
痛々しいなぁ、と思ってしまいました。
昔の私がそう思っていたのは、
ASD特有の思い込みの強さと、
思考の柔軟性の無さから、
自分のやり方が唯一で、
それが絶対正しいと、
思い込んでいたからなのですが、
その部下がそう思っていたのは、
自分が何十年も同じ支社で働いていて、
その支社のやり方しか知らなかったため、
自分が元いた支社のやり方が、
唯一絶対正しいのだと、
間違った認知を持ってしまったからでした。
そして、私は、
多くの支社に転勤して、
色んな支社のやり方を知ったことで、
自分のやり方が、
唯一絶対正しい訳では無いことを、
学んだのですが、
昨日休んだ部下は、
同じ支社に何十年も居続けたことで、
自分の知っているやり方が、
絶対正しいという訳ではないことに、
気付く機会に恵まれなかったようでした。
こんな時私は、
持って生まれた定型発達と、
発達障害との違いなど、
わずかなものだと感じてしまいます。
出発点では定型発達者に、
大きく出遅れている発達障害者でも、
その後の人生経験や学びから、
正しいコミュニケーションの取り方を、
身につけたり、
自分の認知の歪みを見つけたりして、
社会に対応していくことが出来るのです。
そして、また逆に。
最初はコミュニケーションの取り方や、
物事に対する認知など、
発達障害者よりも、
大きく先を行っている定型発達者でも、
年齢を重ねるごとに、
思考が硬くなって自分の認知を歪ませたり、
自分の人生がわりと順調であったがゆえに、
自分のコミュニケーションの取り方を、
省みることが無かったために、
人の反感を買ってしまうこともあります。
お互い反感を持っていても普通の態度で接することが出来るのが、
定型発達者の凄いところだと思うのですが。
だから、何か、
人間関係でトラブルが起こった時に、
発達障害者である自分の方が悪いのだと、
簡単に思い込まないで欲しいのです。
定型発達者でも認知は歪むし、
コミュニケーションの取り方が、
必ずしも上手い訳でもありません。
ウサギと亀のウサギにはなれないけれど。
亀のようにコツコツと努力していれば、
いつかウサギよりも上手に、
社会で生きていけるようになるのではないか、
と私は思っているのです。