心的外傷/トラウマ

成育環境が性格と思考に与える影響

泣く赤ちゃん

男尊女卑が当たり前だった私の子供時代

走る子供達
鹿児島の田舎出身だった私にとって、
生まれた時から男尊女卑は当たり前の世界でした。

小学生の頃から、私は母親に

「お前はいずれ(結婚して家を)出て行く人間だから」

と言われて育ちました。

母のこの言葉に、
どんな意図があったのかは分かりませんが、
父親から不要な子供と、
言われていた私にとって、
母のこの言葉は、
私に家族の中での居場所を失わせるのに、
十分な効果を持っていました。

家庭の中での男女の役割も、
子供の時からにハッキリ分かれていました。

小学校に上がる前の私が、
お茶碗洗いの手伝いをしても当たり前でしたが、
1歳違いの兄は、
台所仕事などさせられた事もありませんでした。

兄が高校卒業後、
家から遠くの大学に入学することになり、
一人暮らしをするからと、
母親に料理を教わっていたのですが、
その習っていた料理が
"目玉焼き"だった時には、

「えっ?こんなことも出来ないの!?」

と、我が目を疑ったものでした。

目玉焼き

そういえば私が小学校の中学年になり、
簡単な料理が出来るようになると、
給食の出ない土曜日は母親から

「お兄ちゃんの分の昼ご飯も作ってあげてね」

と頼まれることがあり、
私はそれが嫌で、
あえてカップ麺を食べたりしていたのでした。

兄は、
私が昼ご飯を作ってあげても、
当たり前の顔をして、
感謝しないどころか文句を言うこともあった為、
兄の分のご飯など、
作りたくなかったのです。

兄の部屋にだけ、
自分専用のテレビがあったこと、
高価なゲーム機やゲームソフトがあったこと等、
買い与えられている物の、
違いも大きかったのですが、
その扱いの差がおかしいなどとは、
私の家族だけでなく、
親戚中の誰一人も思ってはいませんでした。

それに引き換え私は。
高校で入った美術部で油絵を始めるも絵の具を買うお金がなく、
関係性の悪さから母に無心も出来なかったため、
絵の具の購入費用を捻出するために、
母からもらったお弁当代300円を使用せずに貯めておき、
でも昼ご飯を抜くとお腹が空くため、
家に余っていて誰も食べなかった草餅をこっそり持って行ったところ、
後にそのことが発覚した時に兄から、
「お弁当代をもらいながら草餅を黙って持っていくなんて、お前はなんて自分勝手でがめついやつなんだ」
とこっぴどくどやしつけられて、美術部の活動を断念した経験がありました。
(ASDグレーゾーンの私は、校則でアルバイトイトをしてはいけないと決まっていたため、こっそりアルバイトをするという考えも浮かびませんでした)

私の家族・親族の中では、

女の子が男子(しかも長男)と差をつけられるのは当たり前

だったのです。

幼少期の家庭環境が私に与えた影響

顔を覆う少女
そんな家庭環境の中で、
私の自己肯定感が育つはずはありません。

私が社会人になって働き出してから、
職場の人間関係も、
プライベートの人間関係も上手くいかず、
そんな自分の生きづらさの原因が知りたくて、
自分の思考や性格を精査した結果、
自分の人生が上手くいかないことの理由の1つに、
自分の自己肯定感の低さがあると気付いた時、
私は自分の幼少期を思い出し、
自分が育ってきた環境がとても可哀想で、
私は他の誰も泣いてくれない自分のために、
たくさんたくさん涙を流しました。

そしてそれから、
私は自分の人生を変えたくて、
スピリチュアルな本を読んだり、
自己啓発のセミナーに参加したりしていたのですが、
私はそれらの本やセミナーの中で、
よく言われていたことに、
違和感を覚えるようになりました。

現実に起こることは自分の心を反映している。

そしてこの言葉の後には、
決まってこう言われるのです。

だから自分の人生が上手くいかないと思っているなら、
まず自分の心を変えなければいけない。

この言葉を最初に聞いた時、
私は自分の自己肯定感が低く、
自分のことが嫌いだという自分の心が反映して、
自分の人生が上手くいかないのだと、
ますます自分を責めてしまいました。

どうしたら、
自分を幸せに出来る心に変われるのだろう、
自分を好きな自分になれるのだろうと、
とても苦しみ悩みました。

けれど私は、
あるセミナー講師の言葉で気づいたのです。

「オギャーと生まれてきた赤ちゃんで、
自分が嫌いなんて思って生まれてくる子はいない」

泣く赤ちゃん

目が覚めたような気持ちでした。

私は本当に小さい頃、
自分が嫌いだと思ったことなどありませんでした。

私は周囲の男尊女卑な環境や言動によって、
徐々に捻くれた、
自分嫌いの子供になっていったのです。

そして、その捻くれた態度も、
元々は、
傷ついた自分の心がこれ以上傷つかないよう、
自分を守るためのものだった、
ということを、
私は思い出すことが出来たのでした。

現実は自分の心を反映している、の本当の意味

天使と鏡
自分がなぜ、
今のような性格や思考になったのか、
思い出した私は、
やはり今の現実は、
私が望んだものではないと、
強く思うようになりました。

なぜならもし、
現実が自分の心を反映しているのなら、
男尊女卑を経験した私はまず、

自分(女性)を男性より低く扱っていい

と思っていなければおかしいからです。

けれど、私はここで断言します。

私はそんなこと、
無意識でも一度も思ったことはありません。

なにしろ幼い頃の私は、
女の人の方が男の人より劣っているといった、
性差の考えさえ、
持ち合わせていなかったのですから。

本当に小さい頃は、
たった1歳違いの兄と差をつけられるのが嫌で、
両親に泣いて抗議していたのですから。

心ではなく、まず現実が、
自分を、
女性であることを、
嫌いになるような環境だったのです。

ただ私の場合、この自分が女性であることへの嫌悪感は、
男尊女卑で育てられたからだけではなく、
私が物心ついた時から父に
「女の子なら要らない」
と事あるごとに言われていたことも大きく影響していると思います。

そしてスピリチュアルな教えや、
自己啓発セミナーに疑問を持った私は、
通信制の大学で心理学を学ぶようになり、
そしてその学びの中で知ったのです。

性格は遺伝と環境の相互作用で決まる

ということを。

遺伝は、
私の意思で変化出来るものではありません。

環境は、
大人になった今の私ならともかく、
親の庇護が必要な年齢の子供の時代には、
どんなに辛くとも、
親から与えられた環境で生きていくしか、
術がありませんでした。

私が自分が嫌いな人間に育ったのは、
私の責任ではなかったのです。

そして私は心理学で得た知識と、
実践を繰り返していく中で、
現実が自分の心を反映しているのではなく、

現実の受け取り方に自分の心が反映されている

という結論に、
至るようになったのです。

なぜ、
そんな結論に至ったかといえば。

自分のことを認められるようになった今なら、
そんなことは無いと分かるのですが、
自分のことが嫌いだった、
自己肯定感が低かった頃の私は、
誰かに酷いことをされたとしても、

「きっと私の何かがいけなくて、
相手を怒らせてしまったのだ」

と、
非は自分にあると考えてしまう、
自罰的な人間でした。

その卑屈さは、上司から、

「すぐにすみませんと言うな!!」

とお叱りを受けてしまうほどでした。

パワハラを受ける女性

そんな自分の思考の偏りに気付いた私は、

「自分が悪い」

と思ってしまうような出来事に対する、

自分の受け取り方(思考)を変える

ことで、
私は必要以上に自分を責めることなく、
ポジティブに、
物事を捉えることが出来るようになり、
そして起きる物事を、
ポジティブに捉えることが、
出来るようになった私の人生は、
ようやく、
好転する兆しを見せ始めたのでした。

そしてようやく私は、
スピリチュアルや自己啓発セミナーの講師が、
言っていたことの本質を、
理解することが出来たのです。

彼ら彼女らは、
現実に起きた出来事が全て、
当人の心の反映のように言っていましたが、
実際は違いました。

実際は、
現実に起きる出来事は、

当人の心が反映されたものもあれば、
反映されていないものもある

が正しかったのです。

【自分の心の反映】
自分が誰かのことを快く思っていない場合、
上手く隠さなければ、
その気持ちは相手に伝わって、
相手との関係が悪くなってしまう。

【自分の心は反映されていない】
【相手の心の反映】
自分が女性であるといった、
生来のもので嫌われてしまった場合、
それは嫌っている相手方の心の問題であり、
自分がどうこうできるものではない。

そして相手の心が反映された問題の場合、
私にできることは、

自分が相手から嫌われているという事象を
どのように受け止め対処するか

という、

自分の行動で変えられるものだけ

だったのです。

なのに私は、

現実は自分の心を反映している

という言葉が、
全ての出来事に当てはまると誤解した、
講師の言葉を真に受け、
自分に起こる出来事は、
全て自分の責任であると誤解し、
他人の分の責任まで、
背負いこんで苦しんでいたのでした。

人の心を変えることなど出来ないのに。

このことに気付いた私は、
とても心が軽くなりました。

私がこんなに社交性がなく、
人に対して媚びへつらう嫌な性格なのは、
決して、
私の生来の性格という訳ではなく、
その成育環境に、
よるところが大きかったからなのだと、
頭だけではなく心で、
理解することが出来たからです。

自分を嫌いな人間が自分を好きになるには?

セルフハグ
ただ、
自分が嫌な性格に育った理由が、
家庭環境によるものだと分かったところで、
周囲の人間達がそんな自分を哀れに思い、

「それは大変だったね」

などと言って、
赤の他人の嫌な性格の自分を、
受け入れてくれることはありません。

まして庇護が必要な子供でもなく、
大人になった人間相手ならなおさらです。

でも、そのことで、
私が大人になって、
人に優しくしてもらえない自分のことを、
嘆く必要はありません。

だって私はもう、
親の顔色を窺っていなければ生きていけない、
子供ではないのです。

人に優しくしてもらうことは出来なくても、
自分で自分の環境を選べる経済力を身に付け、
社会から責任能力があるとみなされて、
他人に迷惑をかけなければ、
行動の自由を制限されることのない、
大人になっているのです。

だったら、他人という、
不確かなものの優しさに期待しなくても。

大人になっている自分が、
自分に優しくしてあげればいいのです。

ハグは人の心を癒すのに、
効果的だそうですが、
嫌な性格に育ってしまった私が、
ハグをお願い出来る相手など存在しません。

でも私は自分を癒そうと探っていく中で、

セルフハグ=自分で自分を抱きしめる

も、
他人からしてもらうハグと、
同じ癒し効果があると知ったのです。

これなら自分の心への負担もなく、
いつでも出来ると思った私は、
今まで頑張ってきた自分を労わって、
たっぷり優しくしてあげるために、
自分に対してセルフハグを、
行うようになりました。

その成果は、
すぐに出たわけではありあません。

3歩進んで2歩下がるような、
遅い、遅いものでした。

でも着実に少しずつ、
その効果は表れてきて、
私の癒しが進んでいく分、
私の生きづらさも少しづつ、
改善されていくようになりました。

そうして自分でも、
嫌だと思っていた自分の性格が、
少しづつ、
好きになれていくように感じました。

そうして、
それでもまだ嫌だと感じる自分の性格は、
変えていこうと思えるようになりました。

性格を変えることは簡単ではないけれど、
人の気持ちを変えようとしていた昔よりは、
よっぽど実現可能なものだと、
思えるようになりました。

私が自分の性格で嫌だと感じるところは、
幼い頃の私が身に付けた、
親の悪意から自分を守るために、
親の顔色を窺うところや、
社会で生き延びるために仲間外れにされないよう、
人に媚びへつらうところだったため、
私は自分のそんな嫌な性格が顔を出すたびに、

もう、そんなことをしなくていいんだよ

と、心の中で、
自分に言い聞かせてあげるようにしました。

だって大人になった私は、
もう親に見限られても、

生きていくことが出来るのだから。

そうやって私は少しずつ、
地道な努力を繰り返して、

自分のことが好きと思える自分

に、
変化していったのでした…