回想録

感謝は自分のタイミングですればいい

感謝の気持ち

私の過去の家庭環境を話すと、
昨日の講師のように

「殺しなさい」

というのは稀だとしても、

「両親に対して怒りを吐き出しなさい」

と言うセラピストは、
沢山いらっしゃいました。

そして、それと同じくらい、

「両親に対して感謝しなさい」

と言われるセラピストの方も、
いらっしゃいました。

でも、そんな風に、
セラピストに言われたからと言って、

「はい、じゃあ私は両親に対して怒ります」

「はい、では両親に感謝します」

なんて風に、
人の心は動いたりしないのです。

もし、そのセラピストの言葉に従って、
自分の心の中から、
怒りの感情や、
感謝の気持ちが湧いてきたのなら、
それは

"感情の誘導"

なのだと私は思います。

そして、
これはあくまで私の経験なのですが、
誘導されて出て来た感情だと、
たとえその時には気分がスッキリしたり、
とても感謝の気持ちが湧いてきたとしても、
しばらくすると、
その感情は元に戻ってしまって、
その後の、
自分の思考や行動を変化させるほどの、
影響力を持たないのです。

自分が心から納得して行った行為ではないから。

私も今は、親からしてもらったことに、
感謝することが出来ますが、
20代の頃は、
自分の人生がこんなに辛く苦しいのは、
子供時代に受けた、
虐待の経験が影を落としているからだと、
両親を憎んでいた時期がありました。

親からの虐待

だから、自分の人生を良くしたいと思って、
内観療法の研修会に参加した時も、
母、父、兄弟、自分の身近な人に対して、

  1. してもらったこと
  2. して返したこと
  3. 迷惑をかけたこと

の3つを書き出して下さいと言われた時に、
私は腹が立ってたまりませんでした。

「してもらったことや迷惑をかけたことを書けなんて、親に感謝しろと言わんばかりじゃないか!
私は親に感謝出来るような、そんな人生なんて生きてこなかったのに!!」

そう思った私は、

「こんな療法、私には出来ない!!」

と、とても投げやりに内観療法を受け、

「二度とこんなとこ来るもんか!!」

と思いながら、
終了の時間が来たら、
逃げるように研修会場を後にしました。

その時の私の心の中は、
親への憎しみと恨み辛みでいっぱいで、
親への感謝を感じることなど、
微塵も出来なかったのです。

苦悩する女性

けれど、それから数年が過ぎて、
親から離れて、
自立した自分の生活が軌道に乗ってきて、
自分に心の余裕が出来てくるようになると。

自分が子供の頃には、
ただただ辛く苦しかった親の言動が、
良い悪いは別にして、
何故そんな言動をとったのか、
理解できるようになってきました。

自分が親から受けた行為や言動の全てを、
あれがあの時の親の精いっぱいだったのだと、
受け入れていいものでは無いけれど。

両親を憎んでも恨んでも
しょうが無いのだという、
なかば諦観にも似たような気持ちが、
私の心を占めるようになったのです。

もう、いいや。

過去に起こった出来事を、
変えることは出来ないけれど。

その過去に起こった出来事に対する、
モノの見方を、
そこにまつわる感情を、
変えることは出来るから。

過去に私に起こった出来事には意味がある。

そんな風に、過去の出来事を捉え直そう、
と決めました。

それから私は、
自分の人生を幸せなものにするために、
両親から受けた言動の中から、
感謝出来ることを見つけ出すようにし、
その出来事に感謝するという行為を、
まるで訓練のように始めました。

私がこのような行為を行ったのは「両親への憎しみを抱えたままでは、自分の人生で色んな問題が起こっていたから」という、自分本位な理由です。

本当に、訓練でした。

最初は感謝出来ることが浮かばずに、

「住む家があった」

「ご飯を食べさせてくれた」

などといった、
誰の目から見ても分かる、
実際に起こった出来事に、
感謝していましたが、
だんだん感謝することに、
慣れてくるようになると、

「お母さんは、
私を理解しようと努力してくれた」

「あれは人の心が分からない、
父親の優しさの表現だった」

といった、
ハッキリとは目に見えない、
心で捉えるような出来事に、
感謝出来るようになってきました。

その訓練を、15年以上続けました。

その15年の間には、
自分の誕生日に両親に対して、

「産んでくれて、育ててくれてありがとう」

と電話するという、
私を生んだせいで母が死にかけたと、
小学校に上がる前の幼い頃から、
父親に責め続けられた私にとって、
とても勇気の必要な言葉を、
両親に告げるという、
行動も含まれていました。

思うだけで心を変えることは難しいから、
とにかく親に感謝している言動を、
取り続けました。

心と体は密接に繋がっていて、
言動を変えると心も変わっていくからです。

感謝の気持ち

父親、母親からは、
私の誕生日は忘れられていましたが、
両親の誕生日には、
私は必ずプレゼントを贈りました。

父の日も母の日も敬老の日も、
プレゼントを贈り続けていたら、
父親からは

「プレゼントが気に入らないから変えてこい!」

とか、

「こんな安物いるもんか!」

といった暴言を吐かれることもありましたが、
私はこの言葉を、
父の照れ隠しだと捉えるようにして、
とにかく笑顔で、
優しく両親と接していました。

そうすると、
母親の私に対する態度が変化してきて、
かなり攻撃的な言動をとっていた母が、
私に対して、
優しい言葉をかけるようになりました。

ほんの3年程前には、

「お前と話すのが一番楽しい」

と、母親から言われるまでになりました。

昨年亡くなった父親が、
私に対して暴言を吐いた時に、

「あの時は悪かったな」

と謝ってきたのは、6年程前のことでした。

それまで、どんなに私に対して酷い言動をとったとしても、父は絶対、私に謝罪の言葉など言いませんでした。

変な言い方になるのですが、
私は両親の、
自分への態度が変わったのを感じた時に、

私はやり遂げたのだ。

と思いました。

機能不全家族の中で、
自分の居場所などなくて、
耐えず暴力と暴言に晒されて、
小学校の時からスカートのポケットに、
身を守るための、
カッターナイフを忍ばせていた私が、
家族に自分の存在を、
認めてもらえた瞬間でした。

長い、長い、40年にも及ぶ、
私が家族に、
自分の存在を認めてもらうまでの物語。

それは、これからちょこちょこと、
このブログに書いていければ、と思います。

この、両親に、
自分の存在を認めてもらう、
キッカケになったのが、
両親へ感謝する訓練、でした。

だからといって、
感謝出来ないと思っているあなたが、
無理に両親に感謝しなくてもいいのです。

私は自分でやろう、と思ったから、
15年以上という長い歳月をかけて、
両親との関係性が変化するまで、
感謝という訓練を、
やり続けることができました。

最初は無理に頑張ってやっていたものが、
習慣として定着し、
自然に両親に感謝出来る思考に変わりました。

自分でやろうと思ったからです。

人に強制されることでは、継続は出来ません。

私も両親を憎みきってからでないと、
このような心境にはなれませんでした。

だから。

感謝は自分のタイミングですれば良いのだと、
私は思います。