回想録

突然気付いた母に対する認知の歪み

可哀想な老女

明日は父の3回忌の法事があるため、
実家のある鹿児島に帰ってきています。

実は私、
母親に会うのが気が重くて、
朝早く福岡の自宅を出発したものの、
なかなか実家に向かうことが出来ませんでした。

子供の頃に、

自分の家族は敵

認定した私にとって、
家族に会うことが気が重いのは、
仕方が無いことだとは思っていたのですが、
私は自分の心の中に、

母親に対して後ろめたい気持ち

が存在していることに気づきました。

その後ろめたさが、
私が母親に会うことに対する気の重さを、
更に助長していたのです。

私は母親に対して、
過去に受けた言動に対する恨みつらみや、
私のASD(自閉スペクトラム症)による、
育て辛さに対して、
申し訳ない気持ちは持っていたものの、

後ろめたく感じる事由に、
心当たりはありませんでした。

そのため私は、

「何に対して後ろめたく感じているのだろう?」

と、自分の心の中を、
探ってみることにしました。

すると突然、

私は母親を、

自分が構ってあげないと、
誰にも相手にしてもらえない、
可哀想な存在

だと認識していることに、
気付いたのです。

私の父親は、
診断こそ受けていないものの、
その言動から、
おそらく私よりも程度の重い、
発達障害を持った人間でした。

母親のことが大好きだった父親は、

「逃げたら血の果てまで追いかけて殺してやる。
俺は刑務所に入ることなんて、
何も怖くないんだ」

と母親に言っていたから、
怖くて逃げることが出来なかったと、
小学生だった私は、
何度も母親から聞かされていました。

私の原家族(自分が生まれ育った家族)は、
父親の恐怖に縛られた、
安心や安全とはかけ離れた場所でした。

脅し

そんな家庭に、
遊びにやって来る人などいるはずもなく、
来るのは盆や正月に、
仏壇のある本家(私の原家族)に、
挨拶にくる親戚くらいで、
私が唯一、
父親が家に友達だと言って連れてきた人を見たのは、
元?ヤクザだという、
ガラの悪そうな男の人1人だけでした。

そんな父親とずっと一緒にいた母の、
友達というものを、
私は1度もみたことがありません。

そんな母親を、
友達が誰もいない可哀想な人だと、
私は自分より下にみて、
哀れんでいたのです。

でも、これは、
私の視点からみた母親の姿の話で、
真実ではありません。

現に母親には、
父の葬儀や法事の時に、
母親を気遣ってくれる、
自分の姉や弟という存在がいました。

私は生まれた家族の愛情に恵まれず、
母親は結婚して築いた家族の愛情に、
恵まれませんでした。

でも、母親は私が知らない、
母親の原家族の中で、
家族の仲がよく育っていました。

それは盆や正月に兄と顔を合わせると、

「お久しぶりです」

と敬語で話すような兄妹関係の私には、
持ち得ないものでした。

母親を可哀想な人間にしていたのは私の意識でした。

そのことに気づいた時に、
私は自分がとても傲慢な人間だったと思いました。

母親の幸せは母親が決める。

そんな当たり前の権利を、
私は自分の母親には、
認めてあげていなかったのです。

そのことに気付いたら、
私の肩から少し力が抜けました。

「可哀想な母親を喜ばすための、
良い娘を演じなければならない」

というプレッシャーから、
少し解放されたからでした。

ここまで自分の気持ちに気付いて、
ようやく実家に向かう気力が湧いてきました。

今から実家に向かいます。

でも、さっきまでとは違い、
何だか笑顔で帰れそうです。