昨日は実家で行う、
お盆の予定の件で母に電話をしたのですが。
急いでいて、電話をかけてすぐ、
用件に入った私に対して、
母の声がどこか、
おかしいことに気付きました。
そして母が電話に出た時に、
相手の近況を伺うことを怠った自分を、
「失敗した」
と思いました。
ASD(自閉スペクトラム症)である私は、
余計な挨拶など入れず、
用件だけ語りたいと思ってしまうのですが、
社会で人間関係を円滑に回すためには、
まず相手の近況を聞くなどの、
雑談から入った方が良いというのが、
私が社会で生きていく上で身につけた、
社交術の1つでした。
多分、定型発達者は、無意識に出来ていることだと思います。
一つの物事に囚われてしまうと、
(この場合は、今年実家で行うお盆の予定の確認)
他のことに一切目がいかなくなってしまう、
1点集中型のASDの私には、
ただ用件の前に、
挨拶を入れるということでさえ、
意識してやらないと、
行うことが出来ません。
そしてこういう行動が取れないと、"思いやりのない人間"と受け取られてしまいます。
それでも私は、
母の声の調子がおかしかったことから、
母の体調を聞くことを、
忘れていたことに気付き、
「最近調子はどうなの?」
と、用件の後ではあったけれども、
母を気遣うことが出来ました。
母は私のその言葉に、
一気に自分の体の調子が悪かったことを、
話だしました。
おそらく母は、
自分の体調が悪かったことを、
ずっと私に、
聞いて欲しかったのだと思います。
私は母の言葉を、
頷きながら聴き続けていました。
私の娘夫婦がひ孫を連れて遊びにきた時に、
体が辛くて何も出来なかったと、
何回も繰り返し私に伝えてきたのは、
きっと母が本当は私の娘夫婦に、
色々おもてなしして、
あげたかったからなのだろう、
と母の話を聞いていて思いました。
人の気持ちが分からない、
空気が読めないと言われるASDですが、
そんなことは決してないと、
私は思っています。
ASDは人の気持ちが分からない訳ではなく、
自分の頭の中の思考に囚われるのに忙しくて、
周囲に気を配れないだけではないか、
と思うのです。
一つの物事に注意が向くと、
他のことが目に入らなくなってしまうのは、
ASDの長所でもあり欠点でもあると、
私は思っています。
そして、そんな1点集中の特性も、
人と関わることで、
自分の対人関係の経験値を上げていけば、
自然とは出来なくても、
学習することで、
相手を気遣うことは出来ると思うのです。
今日、私が母に、
いきなり電話で用件を切り出した時に、
母の声色の変化に、
気がつくことが出来たように。
私はHSPの気質も持っているため、
一概には言えないかもしれないけれど。
ASDの人間も諦めずに人と交わり続ければ、
察することは出来るのだと、
母との電話で感じたのでした。