発達障害(ASD)グレーゾーン

発達障害グレーゾーンが自分を障害者だと考える理由を知ってください

私がフェイスブックで繋がっている人の中に、
障害者の方がいます。

その方がフェイスブックで、
こんな書き込みをしていました。

「自称で精神病名乗ってる奴が嫌い」

「その病気に自分がなりたいんでしょ?って思う(笑)」

「本当に精神病なら、
医者からちゃんと診断だしてもらって下さい」

「医者の診断もなく精神病名乗るとか頭おかしい」

そんな書き込みの後に、

「私はちゃんと医者の診断がでてる」

と言って、
その方は自分が診断をもらっている病名を、
書き連ねていました。

そして、その病名の一番初めに、

「注意欠陥多動性障害(ADHD)」

が書かれていました。

注意欠陥多動性障害(ADHD)は、
発達障害の一つで、
脳の異常であるから、精神病ではありません。

その方も、社会人になってから、
生き辛くて障害者認定を受けた、
と書いていたので、
その後に書き連ねられていた、
精神病の病名たちは、
発達障害からくる、
2次障害だったのではないか、
と私は思っています。

そんな書き込みをする彼女からみたら、

「アスペルガーだと思うけど、
社会で生きていけてるし、
もっと酷い人も沢山いるから、
診断書までは必要ないでしょう」

と言われて、
医者から特に何の指示も受けなかったのに、
発達障害グレーゾーンとして、
こうやってブログを書いている私は、

「精神病になりたがっている頭のおかしな人」

になるのだろうな、と思います。

※現在は診断基準が改訂され、
アスペルガー症候群は、
自閉スペクトラム症(ASD)に、
統合されています。

「医者から診断のつく人は本物の障害者だけど、
医者から診断のつかないグレーゾーンは偽物」

そういった意見は彼女だけのものではなく、
社会一般で持たれているものだと思います。

発達障害グレーゾーン = 出来の悪い定型発達者

その、自分の出来の悪さを言い逃れる為に、
自分は発達障害なのだと言って、
甘えようとしていると思っている方が、
多いのではないでしょうか?

私も、自分が当事者でなかったら、
そんな風に思っていたかもしれません。

でも私は決して、

「障害者になりたい」

などと思っている訳ではありません。

自分の生き辛さの、
理由が知りたいだけなのです。

そして、その理由が分ったら、
改善して幸せに生きたいだけなのです。

きっと、
自分が発達障害グレーゾーンだと考えている、
人達の多くは、
そのように思っているのではないか、
と私は感じています。

私のこのブログは、
発達障害グレーゾーンを、
自分の努力によって改善し、
克服していく過程を、
綴っているものであって、
決して自分の人生を、
誰かに助けてもらおうなどという、
コンセプトで書かれてはいません。

発達障害専門カウンセラーの手は、
借りるけれども、
基本的に自助努力を行っています。

それでも、私の、
発達障害改善に対する取り組みを、
読んで下さる方は、
徐々に増えてきて下さっています。

それはきっと、
発達障害グレーゾーンの自分の人生を、
障害者として、
社会制度に頼って生きていくのではなく、
自分で幸せにしたいと思っている人間が、
多く存在しているからではないか、
と思うのです。

私は決して、この書き込みをした彼女を、
批判している訳ではありません。

これが社会一般の反応だと、
自分が発達障害ではないかと、
人に相談した時に、

「そんなに障害者になりたいの?」

と言われた事がある私は、
よく知っているからです。

定型発達者からも発達障害者からも、
発達障害グレーゾーンの位置にいる人間は、
生き辛さを訴えても、

「甘え」

だと思われて一蹴される現実があることを、
私は経験者として知っています。

どちらからも理解されない現実を、
でも発達障害グレーゾーンの皆さんには、
悲観して欲しくないと思います。

私は、メタ認知を実践するうえで、
自分の認知の歪みに気付いたら、
その認知を自分が生きやすいように変更する、
という事を行っています。

その中で、私が変更した一つの認知を、
皆さんにシェアしたいと思います。

発達障害グレーゾーンは、

定型発達者側にも、発達障害者側にも入れてもらえない

のではなくて、

定型発達者側にも、発達障害者側にも属することが出来る

存在であるということ。

そんな風に自分のことを捉えなおしたら、
私は自分の心が広がるように感じたのですが、
皆さんはいかがでしょうか?

私と同じように思う必要はないですが、

発達障害者の気持ちに共感できる自分

定型発達者の社会で自分の力で生きている自分

に、
発達障害グレーゾーンで、
頑張って生きている人間は、
もっと自信を持っていいのではないか、
と思うのです。