セラピー/カウンセリング

発達障害専門カウンセリングとの向き合い方

昨日は久しぶりに、
発達障害専門カウンセリングに、
行ってきました。
2月のカウンセリングの日程と、
父の葬儀が重なった為、
前回受けたカウンセリングから、
実に1か月以上、
間が空いてしまっていました。

カウンセリングの最初に、
前回のカウンセリングから今回までの間で、
何か変わった事が無いか必ず聞かれる為、
私は父が亡くなったことが一番の変化だと、
カウンセラーに伝えました。

父が亡くなった事は、
カウンセリングの予約をキャンセルする際に、
カウンセラーに伝えてあったため、
カウンセラーも知っていた内容でした。

前回のカウンセリングで、
私が父から子供の頃に受けた行為を聞いて、
それは虐待ですと、
はっきり言ったカウンセラーは、
私が父の死を聞いて、
どう思ったのかを聞いてきました。

私は子どもの頃、
父の暴力に怯えながら暮らしていました。
自分の気に入らない事があると、
すぐ暴れる父は、
小学校に上がる前の幼かった私にとって、
畏怖の対象でしかありませんでした。

家族の団らんの場であるはずの夕食時に、
父は私の事が気に入らないと言って、
よく暴れて私の食事を床に投げつけたため、
ご飯の食べられなかった私は、
お腹を空かせながら眠ることも、
よくありました。

子どもだった私に、
安心していられる場所はありませんでした。

そんな父でも亡くなった姿を見た時に、
自然と涙が出てきたことを、
カウンセラーに伝えると、

「泣いたらスッキリしましたか?」

という言葉を私にかけてきました。

私は父の死顔をみると、
悲しいなどと言う感情が動く前に、
自動的に涙が出てきていたので、

「スッキリとはしませんでした」

と答えると、カウンセラーは、

「じゃあ胸がもやもやしたのですね」

と言ってきました。

私はその言葉が受け入れられませんでした。

私は決して、
もやもやなどしていなかったからです。

ただ、ずっと子どもの頃から自分を圧迫し、
その影響にずっと苦しめられていた存在が、
遺体という、
こんな小さな姿になって、
私の目の前に現れた事が、
世の無常や儚さを感じさせ、
諸行無常といった寂寥感を、
感じさせたのでした。

だから私はカウンセラーに対して、

「いいえ、
私の気持ちはもやもやしていません。
ただ涙が流れてくるのです」

と伝えたのですが、
カウンセラーに、
私の気持ちが理解されることは、
ありませんでした。

カウンセラーの中には、

「スキーマ(信念)があるから感情が起こり、
感情が動くから涙がでる。」

といった知識があったために、
私が父の死から受けた寂寞とした感情は、
情緒的なものとして、
自分の本当の感情に向き合っていないものと、
映ったようでした。

私とカウンセラーは、
私が父の死で感じた感情について、
かなり長い時間をかけて話し合いましたが、
カウンセラーに、
私の気持ちを理解してもらうことは、
無理だと私は感じました。

私の心の扉はカウンセラーに対して、
ぱたん、と閉じました。

きっとこの気持ちは、
生殺与奪の権利を相手に握られ、
何十年と怯えて生きてきた人にしか、
分らない感情なのでしょう。

自分が何十年も費やして、
克服しようと向き合ってきた問題が、
相手の死という、
超自然的な力であっさり解決されたとしたら、
あなたは自分のかけた、
時間と労力とお金を思い、
虚しく感じたりはしないでしょうか?

父が死んだことによって、
私が父の影に怯えることはもう無くなり、
その恐怖が取り除かれたことで、
代わりに父が私にしてくれた事が、
光り輝くように、
私の記憶に甦ってくるこの状況を、
カウンセラーが使うような、
簡単な単語で現すことは、
私には出来ませんでした。

どんなに私が、
父に酷い事をされていたとしても、
父が私に対して、
良いことをしてくれたことがあった事も、
また事実だし、
人の気持ちの想像が得意ではない、
発達障害グレーゾーンの私が、
父に対して色んな酷い言動をとってきた事も、
また事実なのです。

私が父に対して抱いている気持ちは、
結局のところ、
当事者である私にしか分りません。

私と違う人生と、
価値観を持って生きてきたカウンセラーに、
いくら心を扱う事が仕事とはいえ、
私の気持ちを、
100%理解してもらおうとする事が、
そもそも間違いなのです。

しかも私は、
発達障害グレーゾーンの当事者であり、
カウンセラーは定型発達者です。

そもそも人と違う思考形態をしている私の、
全てを理解することを、
相手に望むのが間違っているのです。

カウンセラーの、
私が父に対して持っている感情を、
言い現そうとする、
その言葉は受け入れられなかった私ですが、
カウンセラーの次の言葉は、
納得して受け入れる事が出来ました。

「私はあなたの言葉を、
そういう考え方もあるんだな、
と受け入れる態度をとっています。
理解出来なくてもいいので、
あなたも私のような考え方もあるのだと、
受け入れる態度をとってください。
色んな考え方を受け入れることも、
ビジョントレーニングの一つです」

その言葉で私は、
相手にばかり、
理解を求めている自分に気付きました。

社会では人と違う、
発達障害グレーゾーンの私の思考や言動を、
理解して受け入れてくれる人は殆どいません。

その為に人間関係で揉めやすい私は、
社会で円満に生きる方法を、
この発達障害専門カウンセリングに、
学びに来ているのです。

それなのに、
相手がカウンセラーだからといって、
自分への理解ばかり求めていたら、
社会で円満に生きる方法を、
学ぶことなど出来ません。

このカウンセリングルームで起こっている、
発達障害グレーゾーンの私の気持ちや行動が、
理解されないという出来事は、
一般社会で常に起こっている出来事なのです。

それなのに私は、
カウンセラーが、
自分に優しくしてくれるために、
自分の承認欲求を満たしてもらおうと、
相手への要求ばかりをしていたようでした。

この発達障害専門カウンセリングの場は、
私の心を癒す場所ではなく、
社会で円満に生きるための方法を学ぶ場所。

そう思うことで、
私は自分が、
とても心を許していたカウンセラーに、
理解されない寂しさの落としどころを、
見つけることにしました。

カウンセラーが悪い訳ではありません。
私はカウンセラーが、
とても自分に、
良くしてくれていることを知っています。

ただ、思考形態が、
あまりに違うカウンセラーに対し、
自分を理解してもらう言葉を、
私が持ち合わせていないだけなのです。

これも訓練していったら、
身に着くものなのかは分らないけれど。

ただ理解されないことに傷ついて、
行動を起こさなければ、
何も変えることは出来ないので。

今はカウンセラーに、
心の理解を求めるのではなく、
円満に生きる方法を学ぶために、
発達障害専門カウンセリングに、
通おうと思います。