社会との関わり方

人の振り見て我が振り直すと人間関係がラクになる

私の職場の課長補佐は、
自分のやらなければいけない仕事は放置し、
人の仕事に口を出してばかりいる、
かなり迷惑な人間です。

そう思っているのは私だけではないようで、
4月に転勤してきた課長補佐の事を、
良く言う人を、私は知りません。

私も課長補佐が、
私の所掌の業務に対し、
色々口を出してくるのが嫌だったため、
今では自然と、
課長補佐に話しかけられると、
心も体も固くして、
身構えるようになってしまっていました。

体全体から拒絶オーラを出している感じです。

けれど、よくよく営業所内を見てみると、
そこまであからさまに、
課長補佐に対して、
拒絶する態度を取っているのは、
私とお局部下だけだ、
という事に気付きました。

私は職務の立場上、一番、
課長補佐の迷惑を被っていると思うのですが、
本来、課長補佐に、
業務を補佐してもらう立場の課長もまた、
自分のいう事を聞かず、
独断専行して動く課長補佐に対して、
かなり迷惑をしている筈でした。

それでも、課長は課長補佐に対し、
言わなければいけない事は言うけれど、
それ以外の時には、
心の中で思う事はあるかもしれませんが、
表面上は、
何のこだわりもなく接していました。

その他にも、私は営業所の中で、
気立てが良くて人当たりの良い、
自分が円滑に社会生活を営む上で、
お手本にする事がある女性がいるのですが、
その人もまた、
課長補佐に対して、
何のこだわりもなく接していました。

課長も、その気立てが良い女性も、
多分、
人間関係で敵をつくる事は無いと思える、
物事を穏便に済まそうとする人達で、
その分、あまり集団の中では目立ちません。
それに対して私やお局部下は、
かなり灰汁の強い人間であるため、
集団の中では、
悪目立ちする事がしばしばあります。

会社という集団の中で、
どちらが生きやすいかは明白です。

私はこの事に気付いた時に、

「私とお局部下が揉めるのは似ているからだ」

と思いました。

傍から見ていると分りますが、
自分の正しさばかりを主張する人間は、
それが例えどんなに正しかったとしても、
かなり鬱陶しいものです。

私は、メタ認知を実践して初めて、
発達障害グレーゾーンの特徴として、
自分が正しいと思うものを曲げない、
自分の中の正義を主張する自分が、
どれ程、鬱陶しかったか、
という事に気付きました。

そして、
自分の正しさを主張して社会と闘い、
自分の意見が認められず、
心が折れてしまうよりも、
課長や同じ営業所の、
気立ての良い女性のように、
自分の意見を相手が受け入れやすい形で伝え、
最終的に、
自分の望むカタチに物事を進めていく方が、
とても賢くて生きやすい生き方だ、
と思いました。

発達障害専門カウンセリングに通う前の私は、
そんな生き方をするなんて、
正直ではなく狡い生き方だ、
と思っていました。

でもカウンセリングに通って、
色んな技術を使いながら、
人間関係を円滑にしていくと、
かえって自分が正しいと思う行為が、
やり易くなる事に気付いたのです。

「方法よりも結果が大事」

最近の私は、
そんな風に思うようになりました。

たとえ大志があったとしても、
実践できなければ、
絵に描いた餅にすぎないのです。

「周りに合わせている風に見えても、
自分の中の譲れない芯だけは、
ちゃんと持った人間であろう」

それは、風になびく竹のように。

真っ直ぐに立っている木は、
強風で倒れてしまうけれど、
風にしなる竹は強風に合わせることで、
ちゃんと立っている事が出来るから。

自分の中の信念を守る為に、
相手に合わす生き方は、
とても格好いい生き方ではないかと、
発達障害専門カウンセリングで、
人間関係を構築する技術を学んでいる私は、
そんな風に思うようになりました。