心的外傷/トラウマ

Mちゃんの死

仏花

昨日の夜、突然。

ここ数年、
年賀状のやり取りしかしていなかった方から、
電話がかかってきました。

ASD(自閉スペクトラム症)の性質からか、
人と話すことが苦手な私は、
電話がかかってきても、
よっぽど親しい人から以外、
あまり電話を取ることは無いのですが、
その時は何故か、
受けた方がいいような気がして、
スッと電話を取りました。

電話の相手は、
私が今の会社に就職した時に、
私の面倒を見てくださった大先輩で、
今は定年を迎えて、
別な会社に再就職されている方でした。

「お久しぶりです」

私がそう言うと、
大先輩は私にこんなことを言ってきました。

「Mちゃんが亡くなったってよ」

私は一瞬、自分の耳を疑いました。

「えっ?」

私が戸惑って聞き返すと、
大先輩はまた同じ言葉を繰り返しました。

「Mちゃんが亡くなったって。2ヶ月前から入院していたらしい」

私はその言葉に、
どうリアクションしていいか、
分からなくなりました。

Mちゃんは私が今の会社に就職してから、
最初に勤務した支社に出入りしていた、
保険会社の女の子でした。

女の子といっても私より2歳年上で、
現在もまだ、50代手前のはずでした。

亡くなった、
という言葉をすんなり受け入れるには、
まだまだ若すぎる年齢でした。

私が最後にMちゃんに会ったのは、
今からもう7年も前のことで、
私の転勤先に、
たまたま出張で来ていたMちゃんが、
顔を出してくれたのが最後でした。

Mちゃんが亡くなったことを、
教えてくれた大先輩に、
私は葬儀の日程と場所を教えてもらい、
23時すぎにようやく弔電の手配を済ませ、
ホッと一息をつきました。

慶弔といった類の社会的マナーに疎い私は、
ネットで常識やマナーを調べながら、
40分以上をかけて、
葬儀場に送る弔電の手続きをしたのでした。

やらなければいけない事が終わると、
私の脳裏には、
Mちゃんとの一番忘れられない思い出が、
蘇ってきました。

それはまだ、私が20代で、
今よりもまだ、
ASD(自閉スペクトラム症)の特徴が、
強く出ていて、
自分の尊厳が踏みにじられた生活を、
していた頃から、
3年ほど経っていた頃のことでした。

その当時の私は、
やっと就職出来た会社に、
しがみつくのに必死で、
まだ思い出すと、
心の傷からドクドク血が流れるような、
離婚に至るまでの自分の過去を、
女性の先輩達と仲良くなるために、
面白おかしく語っていた時期でした。

私が就職した会社はかなりの大手で、
そんな大手の会社に、
総合職で新規採用された人間が、
バツイチ子持ちだった例は、
今まで無かったため、
私の過去の経歴に、
噂好きな女性の先輩達は、
興味津々で仕方がなかったのです。

私は自分の悲惨な過去を、
面白おかしく女性の先輩達に語ることで、
その支社で初めて採用された、
女性の総合職だというやっかみの目から、
逃れようと考えていました。

私は自分を道化に貶めることで、
人の反感を買いやすいASDの性質を、
覆い隠そうと試みていたのです。

その試みは上手くいき、
その支社を仕切っていた、
お局的存在の女性から、

「うちの支社で初めての、
女性の総合職採用が来るというから、
どんなに頭の良い人がくるかと思ったけど、
思っていたような人間と違ったわね」

と言われた時に、
私はやはり最初に、
良い思いを持たれていなかったのだと思い、
道化を演じて良かったと、
ホッと胸を撫で下ろしたのでした。

私の離婚話は、
その支社の女性達の間では有名で、
Mちゃんも私の離婚に至る話は、
知っていました。

その頃のMちゃんは、
私よりも2歳年上ではあったものの、
すでに結婚して子供を産んで、
離婚した私と違い、
大好きな彼氏とお付き合いをしている、
真っ最中で、
Mちゃんが彼氏に対して悩んでいること、
といえば、

「彼氏が自分を求めすぎて困る」

といった、非常に可愛らしいものでした。

そんなMちゃんには、
私が語る内容が不快だったのでしょう。

ある時、
女性の先輩達からいつものように、
過去の離婚した夫との話をせがまれた私が、
元夫から、首を絞められたり、
包丁を向けられたりした話をすると、
Mちゃんが私のそばに近寄ってきて、
こう言いました。

「そんなに悪いことばかりが起こるのは、
自分に問題があるからだって分かってる?」

私はそんなMちゃんの言葉に、
正直イラッとしました。

私はその時まだ、突然何もかもに絶望して、
死にたい気持ちに襲われることが、
度々ある状態でした。

誰に頼ることも出来ない、
自分が生んだ小さな命を、
育てなければいけない、
という責任感がなければ、
私はもう一度、
自殺を図っていたかもしれない、
そんな心を抱えながら、
必死に毎日を生きていたのです。

私は、女性の先輩達が喜ぶような、
昼ドラのような話だけを、
ピックアップして話していたため、
自分が自殺未遂をしたり、
精神病院に入院したりといった、
人に話したら引かれるような話は、
一切口にしていませんでした。

そしてMちゃんは、
自分は苦労人だと自認している女の子でした。

大家族で育った彼女は、
高校生ながら母親に代わって、
自分の幼い弟や妹の面倒を見ながら、
家事をこなし、
他のお母さん達に混じって、
弟や妹の授業参観に出席したりして、
とても苦労して生きてきたけれど、

それでも自分は、
自分の苦労を人にひけらかしたりしない

そんな風に言われました。

確かにその頃の私は、
自分がどれだけ不幸な人生を生きてきたかを、
人に話すことで、
人に同情されたい、と願っていました。

自分を愛してくれる存在がいなかった私は、

同情でもいいから人に優しくされたい

と願っていたのです。

そんな自分の気持ちを、
彼氏と幸せに過ごしている人間から、
非難されたことに、
私は酷く傷つきました。

その時の心の傷は、
ずっと私の心の中で燻っていました。

私は彼女の苦労と私の不幸は、
全く別次元のものだと思っていました。

「あなたが私と同じ環境で育ってきたら、
同じ言葉を私に言えますか?」

彼女に対して、
ずっとそんな気持ちを抱いていました。

そして彼女の訃報を聞いて、
私の心にはこんな思考が浮かんできました。

望まぬ不幸が、自分に問題があるからだというのなら。

若くして病気で亡くなるという、不幸に遭遇した彼女は、
自分の運命をどのように感じたのだろう?

自分に問題があったから、
若くして病気になったなどと考えたのか。

それとも病気になったことは、
悪いことだとは捉えずに、
自分の運命を淡々と受け入れたのか。

こんな運命は嫌だと足掻いて、
精いっぱいに生きようと努力したのか。

病気になることも、
マルトリートメントを受ける家庭に生まれたことも、
ASDとして生まれたことも、
自分で望んだものではなく、
自分の努力だけで、
克服出来るものでもありません。

私は大家族で育ったという彼女の苦労話より、
若くして病気になったという状況の方が、
努力しても抗えない、
運命という大きな渦に飲み込まれたようで、
よほど自分の不幸と似ていると感じました。

その状況でまだ、

「そんなに悪いことばかりが起こるのは、
自分に問題があるからだ」

と言えるのか、
Mちゃんに聞いてみたかった、と思いました。

それは叶わぬ思いだけれど。

不幸は全て、自分の行いが悪いから起こる訳ではない

と。

Mちゃんが思ってくれていたらいいな、
と思いました。