私の成育歴

マルトリートメントと私22.問題児認定

ブラックリスト
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※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。

問題児認定

私の父は、
およそ一般的な家庭の父親とは、
ほど遠く違っていました。

父親から怪我をさせられて泣くと怒る。

父親から食事をとられて泣くと怒る。

父親から貯めていたお金を使われる。

そんな環境で育った私は、
父親の前で場面緘黙症になる
という状態に陥り、
自分の気持ちを言葉にすることが、
恐ろしく下手な子供に育ちました。

けれど、それは父親も同じでした。

恐らく発達障害であっただろう父は、
自分と他人の意見が合わなかった時に、
怒鳴って暴れる以外の手段を、
持たない人間でした。

きっと実の兄弟や、
母親からでさえ怖がられていた
極端な癇癪持ちだった父は、
暴れたら、
周囲の人間に意見を聞いてもらえると、
誤った学習を、
してしまったのでしょう。

私の出生時、父の母は父が怖くて家に来てくれず、母は家事を手伝ってもらえなくて無理をしたため、
危うく死にかけたエピソードからも、その怖がられっぷりがうかがい知れると思います。

そして、その誤った学習は、
父の娘である私に引き継がれました。

私は自分の生まれ育った家庭の中で、
自分の意見を人に伝えたい時に、

  1. 泣く
    (私が自分の意見を聞いてもらうために、家庭の中で唯一出来た行動)
  2. 怒って暴れる
    (父が自分の意見を押し通すためにとっていた行動)

の2つしか、
学ぶことが出来ませんでした。

定型発達者である母はきっと、
もっと違う方法を、
知っていたと思うのですが、
いつも身勝手な父に対して、
自分の意見を言う事が出来ず、
ただ黙って泣いてる私を、
庇ってくれていたため、
母が意見を言う時も私の心の中には、
母が怒っている姿しか、
印象に残っていませんでした。

私の家庭の中では、

搾取する側とされる側

といった構図が成り立ち、
穏やかな自己主張など、
望むべくもなかったのです。

そんな間違った、
自己主張の仕方しか、
身に着いていなかった私は、
小学校での生活に、
本当に苦労しました。

なぜなら私は、
平成31年4月30日に精神科医から、

「ASD(自閉症スペクトラム障害)の可能性が高い」

という所見をいただきましたが、
この、
ASD(自閉症スペクトラム障害)という、
発達障害は、
以前はアスペルガー症候群と呼ばれていて、
その代表的な特性である、

「3つ組の特性」

は、
小学校という環境で生活するには、
非常に不向きな特性だったからです。

ちなみに、
「3つ組の特性」とは、
次のようなものです。

  1. コミュニケーションの特性
    独特の感性を持ち、言葉のニュアンスや裏を読まない。
    良くも悪くも思った通りのことを口にする。
  2. 社会性の特性
    社会常識やマナーがなかなか身に着かない。
    人と共感せず、人の気持ちに興味が持てない。
  3. 想像力の特性
    興味のかたよりが強く、頑固な面がある。
    融通がきかず、臨機応変な対応ができない。(大人のアスペルガー症候群より抜粋)

特性について、
詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。


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集団行動や社会性が求められる、
小学校という場所で、
このような特性を持っている私は、
自分から、
外れようとしている訳ではないのに、
人と同じ行動がとれず、
本当に苦労しました。

皆んなと同じ説明を聞いて、
行動しているのに、
何故か皆んなと違う行動に、
なってしまっているのです。

そこには多分、ASDの、
独特の感性を持ち、
言葉のニュアンスや裏を読まない、
といった特性が、
関与していたと思うのですが、
小学校の先生には、
私が反抗しているように、
受け取られたようでした。

私は保育園、幼稚園とも、
決して泣いて暴れたりしない、
どちらかというと、
大人しい子供だったのですが、
以前盛大に暴れたことで、
先生は私を、
問題児だと決めつけて、
しまっていたのかもしれません。

そんな先生の偏見に対して、
私はわざと、
皆んなと違うことを、
しているのではないと、
伝えたかったのですが、
自分の気持ちを、
言葉にするのが下手だった、
私の話は、
先生に聞いてもらえず、
自分の意見を伝える方法を、

「泣いて怒って暴れる」

しか知らなかった私は、
先生に、
自分の気持ちを聞いて欲しくて、
その方法を用いたことで、
更に先生から、
問題児として、
扱われるようになりました。

この時に、
発達障害というものが、
今位認知されていたなら、
もしくは、
発達障害が認知されていなくても、
私の家族が、
マルトリートメントを行うような、
機能不全家族ではなく、
泣いて怒って暴れる以外の、
きちんと、
自分の気持ちを伝える方法を、
教えてくれる、
一般的な家庭だったなら、
私の人生は、
大きく違っていたのかもしれません。

けれど私は、
発達障害児でも、
マルトリートメントを受けている子供、
でもなく、

「躾のなっていない問題児」

として、
小学校から認定されてしまったのでした。