私の成育歴の記事一覧は、愛着障害に関する成育歴にあります。
前回の記事はこちら→マルトリートメントと私61.病気を望んだ結果
※自分の記憶に基づいて書いているため、事実と違っている可能性があります。
私の父は私が小学生の時に、
家を建てるために出稼ぎに出たので、
私が中学生の時には、
普段は母と兄と私の、
3人で暮らしていました。
そのお陰で私は、
誰にも言えなかった、
父からのマルトリートメントから逃れ、
精神に異常をきたす前に、
助かることが出来たのですが、
私が暮らしていたのは、
父が建てた家だったため、
当然、1年のうちに何回かは、
父は家に帰ってきていました。
父が家に帰ってきた時には、
私は昔、父から、
と呼ばれて馬鹿にされていた頃のように、
自分の部屋に引きこもり、
なるべく父と顔を合わさないように、
していました。
けれど、
子供の頃に父親が愛人宅へ行ってしまい、
母親とも引き離されて、
育ってきた過去を持つ父は、
おそらく発達障害(未診断)である上に、
愛着障害もあったのだと思います。
いつでも自分が注目を浴びていないと、
気が済まなかった父は、
家族が自分の周りに集まることを、
強要しました。
そのために、
家族皆んなで居間に集まると、
他に何もすることがなかったため、
一緒にテレビを観ることが多かったのですが、
そんな時、父はテレビを観ながら、
「これはな、こういうことなんだぞ」
と家族に向かって、
得意気に解説しだすのが常でした。
子供の頃にはそんな父を、
物知りだと尊敬したこともありましたが、
成長して色んな知識が増えてくると、
父の話す内容は、
皆んなが知っていることだったり、
嘘だったりすることも多いことが分かり、
次第に子供達も相手にしなくなりました。
でも、そうして誰も相手にしないでいると、
今度は父は、
「おい、じゅん!!」
と、家族の誰か特定の名前を呼んで、
絶対に自分の話を聞くように仕向けました。
父の話す内容に興味は無かったため、
私達家族は皆んな、
そんな父にウンザリしていましたが、
ここで父の話を聞かないと、
父の機嫌が悪くなるために、
皆んな我慢して、
父の話に付き合っていました。
テレビのチャンネル権は、
父が家に帰ってくると、
私達他の家族には無くなるため、
皆んな父の観たい番組に、
付き合うことになるのですが、
父は動物の番組が好きで、
動物の生態を紹介した番組を延々と観ては、
ナレーターが話した内容を、
さも自分が元から知っていたように、
家族に自慢気に話していました。
そのような番組が無い場合には、
父は頻繁にテレビのチャンネルを変え、
(酷い時には1分に1回くらいの割合)
さらに最大級のボリュームにして、
一番テレビが観やすい、
コタツを挟んだテレビの前を定位置にして、
座っていました。
多分、その配置も悪かったのだと思います。
コタツの中で家族の座る位置は、
家族の中で序列が上の者から、
テレビの観やすい場所になっていたため、
父が座る場所はテレビから1番遠く、
私が座る位置は1番テレビが観にくい、
テレビに近い真横の辺りでした。
その頃には私は自分が、
ASD(自閉スペクトラム症)とは知らず、
母親からでさえ、
と見放されていたために、
どんなに私が大きな音が苦手で、
父の設定するテレビの大きなボリュームや、
頻繁に変えられるテレビの刺激が嫌で、
神経を掻き回される感じがして、
頭を掻きむしりたいくらいに、
苛々したとしても、
その苛々を父の前で出すことも出来ず、
ただ黙って歯を食いしばり、
苛々を少しでも発散するために、
涙を流すことしか出来ませんでした。
そんな私の無言の訴えは、
父からは反抗的な子供だと思われ、
母や兄からは、
「これくらいのことで泣いて父親の機嫌を悪くするな!!」
と怒られるだけで、
誰もなんで私が泣くほど辛いのか、
理解しようとしてくれる人はいませんでした。
そのため私は、
居間で父と一緒にテレビを観る時間は、
苦行のように辛かったのですが、
父のご機嫌を取るために、
ただひたすら耐え続けていました。
けれど、ある時、
兄がこの苦行から1人抜け出したのです。
兄の部屋には、
「長男でいずれこの家を継いでいく人間だから」
という理由で、
家を建てた時に、
兄専用のテレビが設置されていました。
だから兄は、
観たいテレビ番組があるのなら、
無理して居間で父に付き合わず、
自分の部屋に戻れば良かったのです。
今まで兄がそれをしなかったのは、
おそらく兄が、
父親の機嫌を伺っていたからでした。
けれど年齢と共に父親の体力が落ち、
(兄は父が35歳の時に出来た子供でした)
逆に自分の体力が上がってきた兄は、
父親の横暴な態度に、
対抗できるだけの力がついてきたと、
思ったのだと思います。
兄は父が帰ってきても、
食事を取る時に一緒にいるだけで、
食事が終わると自分の部屋に、
サッサと引き上げるようになりました。
父はそんな兄の姿を見て、
「おぅ、部屋に行け、せいせいする!」
などと気にしていないように、
憎まれ口をたたきましたが、
兄が部屋に行ってしまうと、
寂しそうに座り込んでいました。
父は兄が大好きでした。
父は私が幼い頃、
「男の遊びについて来れない女の子は邪魔」
だと言っては、
兄ばかりを遊びに連れて行き、
私は母が父にお願いして初めて、
父と兄の遊びに、
連れていってもらえていました。
そんな私にとって父の愛情は、
どんなに欲しても手に入らないものでしたが、
生まれた時から当たり前に、
父の愛情を受けて育ってきた兄は、
父の愛にそれほどの価値を、
見出していなかったのかもしれません。
それとも兄は、
父にそんな態度を取っても、
嫌われることは無いと、
知っていたのかもしれません。
とにかく兄の態度は、
父に対して、
日増しに邪険になっていきました。
兄に構って欲しくて、
一生懸命に話しかける父に、
にべもない態度をとって、
父の目の前から去る兄は、
その後に残された父が、
どんなに寂しそうにしていたか、
知る由もなかったでしょう。
でも、父が怒り出すのが怖くて。
未だに父に逆らうことが出来なかった私は。
会いたかった兄に立ち去られて、
寂しそうに座り込んでいる父の姿を、
目の前で見ていました。
そんな父の姿を見ていると。
愛されたいと思う相手から、
愛されない辛さを、
散々幼少期から体験してきた私は。
父の煩さから離れて、
部屋に引き上げる兄を、
羨ましいと思いながらも。
父と一緒にいることが、
過去に父から受けたマルトリートメントと、
ASDの特性のせいで、
心も体も緊張して涙を流すほど辛いのに、
父の悲しい気持ちに共感してしまい、
父の悲しい気持ちを、
少しでも紛らわしてあげたいと、
自分の心と体が保つギリギリで、
父のそばにいるように心がけたのでした。
マルトリートメントと私63.甘かった父への期待に続きます。